『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

わたしの書

2018-01-28 10:18:00 | 趣味
昨日は夜からの
カウンセリングご予約を
無理を言って
午前中に変更頂いて、
テニス倶楽部の「呑み会」で
カミさん共々愉しんできた。

パセオも裏通りも
圧雪の凍結路で
ツルッツルであった。

楽しく和やかな会ゆえ、
日頃のダイエットも忘れて
鯨飲馬食に甘んじた。



昨晩は寒さで
深夜に目が覚め、
見ると寝室の気温が
9℃まで下がっていて
簡易ヒーターを
タイマーで入れ直した。

そしたら、
寒にやられたのか、
今朝は全身の関節痛で
目が覚めた。

まーた、
風邪にやられたと
諦めて鎮痛剤を服用した。

ウイルスではなく、
閾値を越えた寒冷刺激が
自律神経の
ホメオスタシス(恒常性維持)を
狂わせてしまったのだろう。

電気敷き毛布を最強にした
フトンの中でも寒気がするので、
押入れから更にもう一枚の
電気毛布を出して
毛布の上に掛けて
サンドイッチ状態にした。

こんなW電気毛布は
初めての試みである。

それほどに
寒さが厳しいという
ことなのかもしれない。

夏に「暑気中り」というのはあるが、
冬に「寒気中り」というのは、
先日の屋外テニスに続いて
今季二度目である。

寒気性風邪には、
なにせ「暖」を取り、
栄養と水分補給と
静養よりない。




録画してあった
『ジャッカル』を観た。

ウィキによれば、
73年の『ジャッカルの日』の
リメイクらしく、
97年の作品で
ブルース・ウィルスも
リチャード・ギアも
若々しい。

ブルース・ウィルスの
悪役ジャッカルも
まあまあの存在感だったが、
『ダイハード』の意気軒昂な
正義漢のイメージが強くて、
73年のエドワード・フォックスの
痩身で病んだような
不気味な存在感の方が
秀逸であった。

それと、
リチャード・ギアの
ノッペリした表情は
なんだか間抜けていて
緊迫感に欠けていた。

90年代ハリウッド映画の
ドガチャカ演出の
薄っぺらい浅薄さが
鼻につくような
冴えのない『ジャッカル』だった。






カミさんが
土日ともに部活の引率で
D中に赴いているが、
そこの校長が
大学の同級生でもあり
ギター部仲間でもある
A君である。

体育館に
彼の大きな書が
展示してあったと
カミさんが驚いて
写メで送って寄こした。

今年の年賀状にも
書道展で「入選」したと知り、
その多才さに驚いている。

元々、書道はやっていたようで、
大学時代には一緒に聞いていた
落語の寄席文字なぞも器用に
書いていたことがある。

ギター部の仲間は、
同級生で現T中校長のNや、
校長職を退職して公民館館長になったN、
後輩で現校長のTなど、
みんな能書家なのが凄い。

自分は書道歴がなく、
小学校はプチ不登校と小児喘息で
ろくろく通っていなかったので、
字がヘタクソ過ぎて
未だに小学校半年生(1年生の半分)
ほどのレベルである。

でも、書は好きで、
いっ時、文房四宝に凝って、
硯や墨、紙、筆の蒐集を極めて、
道具からアプローチした。

三面ある端渓硯に
松煙墨、油煙墨、青墨、
茶墨、古墨なぞを合わせ、
象牙と翡翠の筆で
二十年以上寝かせた
中国の手漉画仙紙である
浙江棉単箋を用いる。

これらの道具組みに、
土湯の湧き水やら
日本百名水やら、
初雪の融雪水やらと
曰くある水を
数多ある水差や水滴、水盂(う)と
共に楽しむのである。

これは道具フェチであって
能書家とは違う。

だから、
小学半年生のような
虚心坦懐で外連(けれん)味のない
児童画のような書を
バランス感覚と美的感覚を
総動員して書くという
独自の「ヘタうま流」である。

茶席に自筆書を掛けたら
書の師範だった
故人の叔母が、
「柔らかい字だねぇ」
と感心してくれたことがある。

他に誉めようがなかったのかも
しれない(笑)。









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