『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

震災短編『母燃ゆ』2

2022-11-23 07:54:56 | 創作

 激しい揺れの間は、誰もが、その場に立ち尽くし、あるいは、しゃがみこんで、離れることなぞ、とても出来やしない状況であった。

 今にも地球が壊れてしまいそうな激烈な揺れが突き上げてくるたびに、辺り一帯には
「キャーッ」
 という悲鳴と
「オォーッ」
 という怖れの叫び声とが入り混じった。 

 誰もが、どうしようもなく、大地の蠢きが収まるのを祈りながら待つより術がなかった。
 時間にして、およそ三分ほどだろうか。

 安穏な日常に生きる人間にとって、非日常の恐怖が三分も続くというのは、限界ギリギリのかなりに過酷な状況である。

 しかも、これは、ジェットコースターやスリラー館のように、やがて予定調和の安心が待っている作り物の怖さではない。
 先の判らぬ、自然現象なのである。

 誰もが、無事に着地、帰還できるとは限らない、その先には「死」が待っているかも知れぬ、底知れぬ恐怖である。
 この尋常でない地震の強さ、そして、その長い持続時間に、誰もが、紛う方なき大変な超巨大地震であることを悟った。

 三分を経て、さすがの「6強」も漸くにして止んだ。
 しかし、間髪を入れずに、「5」とも「4」とも発表される余震が、立て続けに数十回ほど襲ってきた。

 舞衣のケータイは、その心とシンクロするかのように、数分おきにブルルと振るえては「地震警報」を頻発させていた。
 目の前のアスファルトの路面には、何百メートルにも渡って亀裂が走っていた。

 道路上はどの車もノロノロ運転となり、自然に渋滞が発生した。

 路線バスは待てど暮らせど到着する気配すらなかった。 

 舞衣は震える足の外腿をパシリとひと叩きし、その場で己れに渇を入れた。
 そして、敢然と難局と対峙するかのように歩き始めたのである。 

 そう。人間には、移動器官である歩行脚があるのだ。これさえ、互い違いに出していけば、やがては帰宅が可能なのである。 

 三里の道も一歩から、であった。

            

 

 

 


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