旅の三日目は
ペンションの朝食を頂いて
9時発のトロッコ電車に❗️
名前は知ってたが、
かつては、ジモティーだったので、
乗るのは初めて。
終点は亀岡までの
たった四駅の観光花電車である。
屋根なしの露天車輌は
大人気で予約が取れなかったという
ツアコンのカミさんだった。
カミさんは、
来月も修学旅行で
生徒を引率して来るという。🤣
…
トロッコの駆動車輌は
ディーゼルのDE10で、
かつてNゲージ(鉄道模型)で
息子たちとよく走らせて
遊んだものである。
明治時代の単線を
廃線にせんと、
観光資源に使こてるのは、
いかにも、京都人らしい始末っぽい。
煉瓦造りのトンネルは、
昭和の頃を思わす
風情あるものだった。
車輌はスプリングが効かんくて、
もろ、鉄の車輪の振動が
伝わって来る。
しかも、クッションなしの
木製座椅子とあって、
オシリの冷たいやら、痛いやら…。
😭
…
終点の亀岡は、
二十代の頃、テニス部の顧問で
高校生たちを夏合宿に連れてきて、
ビシビシ鍛えた思い出がある。
1年生は、あまりのハードさに、
コートの片隅で、
立ったまま嘔吐していた。🥵
思えば、昭和の末期で、
帝国海軍みたいなスパル式で
オニのようにシゴいたものである。
先日の金光40周年記念式でも
初代キャップと久しぶりに会い、
「みんな、往復ビンタの時、
私だけ、キャップやから、って
ダブル往復ビンタでしたわ…」
と懐かしそうに笑っていた。
その彼は
小学校の教師になったので、
後年、自分がカウンセラーになり
「子どもに手ぇあげたら、
あかんでぇ‼️」
と言うたら、
「センセ。用、言うわ…❗️」
と笑われた。
ほんまに、昭和の頃は、
ようテニス部員をビンタした
暴力教師やった。
ほいでも、
お母さん方からは、
「顔付きが変わりました…」
言うて、
躾けてもろてる、
熱意で教育してもろてる、
…と、一切苦情なぞなかった。
その勢いと荒々しさは、
長男のフミも洗礼を受けている。
そのせいか…?!
後年、彼はテニスで
全国大会にも行き、
ランキング9位にまでなった。
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