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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

爺じい旅 7 ―トロッコ電車に乗るの巻―

2025-03-24 12:08:54 | エンタメ

旅の三日目は
ペンションの朝食を頂いて
9時発のトロッコ電車に❗️

 

名前は知ってたが、
かつては、ジモティーだったので、
乗るのは初めて。

終点は亀岡までの
たった四駅の観光花電車である。

 

屋根なしの露天車輌は
大人気で予約が取れなかったという
ツアコンのカミさんだった。

 

カミさんは、
来月も修学旅行で
生徒を引率して来るという。🤣

トロッコの駆動車輌は
ディーゼルのDE10で、
かつてNゲージ(鉄道模型)で
息子たちとよく走らせて
遊んだものである。

明治時代の単線を
廃線にせんと、
観光資源に使こてるのは、
いかにも、京都人らしい始末っぽい。

煉瓦造りのトンネルは、
昭和の頃を思わす
風情あるものだった。

車輌はスプリングが効かんくて、
もろ、鉄の車輪の振動が
伝わって来る。

しかも、クッションなしの
木製座椅子とあって、
オシリの冷たいやら、痛いやら…。
😭

終点の亀岡は、
二十代の頃、テニス部の顧問で
高校生たちを夏合宿に連れてきて、
ビシビシ鍛えた思い出がある。

1年生は、あまりのハードさに、
コートの片隅で、
立ったまま嘔吐していた。🥵

思えば、昭和の末期で、
帝国海軍みたいなスパル式で
オニのようにシゴいたものである。

先日の金光40周年記念式でも
初代キャップと久しぶりに会い、
「みんな、往復ビンタの時、
私だけ、キャップやから、って
ダブル往復ビンタでしたわ…」
と懐かしそうに笑っていた。

その彼は
小学校の教師になったので、
後年、自分がカウンセラーになり
「子どもに手ぇあげたら、
あかんでぇ‼️」
と言うたら、
「センセ。用、言うわ…❗️」
と笑われた。

ほんまに、昭和の頃は、
ようテニス部員をビンタした
暴力教師やった。

ほいでも、
お母さん方からは、
「顔付きが変わりました…」
言うて、
躾けてもろてる、
熱意で教育してもろてる、
…と、一切苦情なぞなかった。

その勢いと荒々しさは、
長男のフミも洗礼を受けている。

そのせいか…?!
後年、彼はテニスで
全国大会にも行き、
ランキング9位にまでなった。


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