お 母 さ ん
暗い夜がしだいに青くなり、やがて水色に変わろうとしていた明け方ごろです。
「クゥーン。ウォーン」
という、まるで地の底から湧きでるようなうめき声が、あたり一面にこだましました。
それは聞くものの魂をゆさぶる悲鳴のようでした。
ボンが、泣いていたのです。
ボンは、お母さん犬です。
まだみんなが寝静まっている夜明け前。
お母さんボンは縁の下で、悲しみに打ちひしがれた顔で、目を赤く泣きはらしていました。
「ウォーン。クォーン」
その泣き声は、まるでこの世のかなしみが集まってできた『湖』から、いきおいよくあふれ出る流れのようでした。
前の晩のことです。
お母さんボンは半年もいっしょに暮らしていた男の子を、目の前で連れ去られてしまったのです。
飼い主の家では、
「やっともらい手が現れた」
と言ってよろこんでいました。
ですが お母さんボンにとっては、初めて生まれた大切な、大切な、可愛い、可愛い子どもをうばわれてしまったのです。
お母さんボンは三日三晩うめきました。
食事ものどを通りません。
光るような毛並みの、若かったお母さんボンは、このときを過ぎてから、目はしょぼしょぼ、白い毛もふえて、見るからに「お婆さん」のようになってしまいました。
その後も、お母さんボンは何度か子どもを産みました。
しかし、自分の子どもが目の前で連れ去られようというときでも、もう吠えたり、泣いたりはしませんでした。
何年かあとに、あの泣き別れた男の子が、飼い主に連れられて、偶然、お母さんの前に姿をあらわしました。
お母さんは というと、
「わが子・・・ 」
とは思ったのでしょうか。
ただ一声、小さく
「ワン・・・ 」
と、吠えただけでした。
かつて、お母さんにじゃれついて叱られたり、甘えてお乳をもらっていた男の子。
お母さんの胸に顔をうずめて、安らかに眠っていた男の子 。
それは、かなしい母と子の再会でした。
たくさんいたボンの子どもたちで、最後にのこったのは「タロタロ」だけでした。
タロタロは体の大きさが、お母さんの倍もある、光るようにつややかな毛並みの子です。
はじめはみんながタロタロは「男の子」だと思っていました。
でも違いました。
それは、ある日、タロタロのお尻を、ボンがなめていたことでわかりました。
お母さんボンはタロタロが「女の子」であるということを知っていたのです。
「女の子」が「お母さん」になる用意ができたとき、タロタロもお尻から赤い血を流しました。それを、お母さんボンは、毎日、毎日なめてあげていたのでした。
ずいぶんと歳をとってから、お母さんボンは シキュウキンシュ という病気にかかりました。
おなかの中に大きなできものができて、毎晩、毎晩、痛くて、痛くて、苦しみました。
「クゥーン。クォーン」
と一晩じゅう泣く声は、聞くものの耳をも痛めました。
お母さんボンは、お尻からたくさんの血を流しました。
タロタロはそばにいて、いっしょうけんめいにお母さんのお尻をなめました。
飼い主も、お母さんボンをお医者さんに診せましたが、お医者さんは、ただ首を横にふるだけでした。
やがて、お母さんボンはやせおとろえて、小犬のように小さくなってしまいました お医者さんが、黒いカバンをさげてふたたびやって来たときです。
「ウォン! ウォン! ウォン!」
と、タロタロは大声で吠えさけびました。
お医者さんは、お母さんボンの背中をやさしくなでると、その小犬のように小さくなった手に、青い注射をそっと打ちました。
お母さんボンは、それから静かに目をとじました。
いま、タロタロは小犬のときのボンのように、元気いっぱいに吠え、元気いっぱいに走りまわっています。
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