久しぶりに
放映された『ぽんぽこ』を
録画してじっくり観た。
94年の封切りの時は、
京都から帰郷した年で、
5歳のフミ(長男)と
映画館で観たのが最初である。
それ以降も
レンタルビデオや
テレビ録画で何度も
子どもたちと観た。
何年ぶりかで
じっくり観てみたが、
今尚、鑑賞に堪える作品であった。
殊に、キャラ狸たちが
頻繁に四つの姿に
変化(へんげ)するのが
はじめは煩わしく
奇天烈にも感じるのだが、
そこに「化ける/化かす」という
作品の一つの「キーコンセプト」が
貫かれていることに
最後の方で気がつく。
リアルな人間の姿、
リアルな狸の姿、
擬人化した姿、
マンガチックな姿、
それぞれが交錯することによって
「人間のエゴ」「自然破壊」
「滑稽さ」「ユーモラス」
「アニメ=漫画・ポンチ絵・たわ言」
・・・というような
重層的、多義的なメッセージが
伝わる仕組みになっている。
クライマックスの
「大変化の行列」は
ひとつの見所だが、
そこで、今回はじめて、
ジブリの製作者たちの
「遊び」を発見した。
なんと、「トトロ」はじめ
「魔女宅」「思い出ぽろぽろ」
「紅の豚」などのキャラたちが
魑魅魍魎の合間に挟まって
コソッと登場しているではないか。
今まで、子どもたちと
何度も観てきたが、
まったく気がつかなかった。
細部をじっくり味わってみる
という鑑賞法だと、
思わぬ発見があるものだ。
録画した2時間半の
『エネミー・オブ・アメリカ』を
また観てみた。
ウィル・スミスは覚えていたが、
ジーン・ハックマンを忘れていた。
今回は、強面のエージェントが
どこかで見たことがあるなぁ・・・と、
思って調べてみたら、
なんと、『プライベート・ライアン』の
あのキャラの立った
名狙撃主役であった。
バリー・ペッパーという。
放映された『ぽんぽこ』を
録画してじっくり観た。
94年の封切りの時は、
京都から帰郷した年で、
5歳のフミ(長男)と
映画館で観たのが最初である。
それ以降も
レンタルビデオや
テレビ録画で何度も
子どもたちと観た。
何年ぶりかで
じっくり観てみたが、
今尚、鑑賞に堪える作品であった。
殊に、キャラ狸たちが
頻繁に四つの姿に
変化(へんげ)するのが
はじめは煩わしく
奇天烈にも感じるのだが、
そこに「化ける/化かす」という
作品の一つの「キーコンセプト」が
貫かれていることに
最後の方で気がつく。
リアルな人間の姿、
リアルな狸の姿、
擬人化した姿、
マンガチックな姿、
それぞれが交錯することによって
「人間のエゴ」「自然破壊」
「滑稽さ」「ユーモラス」
「アニメ=漫画・ポンチ絵・たわ言」
・・・というような
重層的、多義的なメッセージが
伝わる仕組みになっている。
クライマックスの
「大変化の行列」は
ひとつの見所だが、
そこで、今回はじめて、
ジブリの製作者たちの
「遊び」を発見した。
なんと、「トトロ」はじめ
「魔女宅」「思い出ぽろぽろ」
「紅の豚」などのキャラたちが
魑魅魍魎の合間に挟まって
コソッと登場しているではないか。
今まで、子どもたちと
何度も観てきたが、
まったく気がつかなかった。
細部をじっくり味わってみる
という鑑賞法だと、
思わぬ発見があるものだ。
録画した2時間半の
『エネミー・オブ・アメリカ』を
また観てみた。
ウィル・スミスは覚えていたが、
ジーン・ハックマンを忘れていた。
今回は、強面のエージェントが
どこかで見たことがあるなぁ・・・と、
思って調べてみたら、
なんと、『プライベート・ライアン』の
あのキャラの立った
名狙撃主役であった。
バリー・ペッパーという。
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