『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

猛暑日

2021-08-03 05:47:00 | 頂きもの
昨日は35℃を越す猛暑日だった。

午前の涼しいうちに
買い物&散歩に出たが、
それでも帰ってきたら、
ポロシャツが汗でビッショリ。

そのまま
一日過ごすのはキモチわるいので、
前夜の冷めた水風呂に入って
体を冷やし、
ついでに洗髪もした。

今日も今日とて
37℃のキチガイじみた
暑さになるという。

今朝も、
寝起きの温度は
27℃だった。

それでも、
カラダが
暑熱順化(heat acclimation)
したのか、たいして
暑くも感じないから
不思議なものである。

***

きのうは
県内の観戦者数が
136人と過去最高に達した。

市内は10人というから、
ジワジワ増えている。

コロナと猛暑日続きで、
嫌でも巣篭りしてなきゃである。

英語好きのコイケ知事の
「ホーム・ステイ」だの
「ソーシャル・ディスタンス」だの
あんまり使いたくないから、
「お籠もり」とか「間合い」と
言い換えるようにしている。





最近、
"ぼっちフレンチ"も
飽きてきたが、
それでも夕餉の一品に
それらしくドレッセしたりしている。

ゆんべも
タコとチーズとナッツ、
レーズンでサラダを創った。

決め手は、
ハーブの
セルフィーユで、
この風味によって
パリっぽくも
マルセイユっぽくもなる(笑)。

なので、
ふだんの買い物でも
必ずやこれは
一パック買ってくる。













夕飯後に
たまたまついてたテレビで
女子の卓球をやってたので、
視るともなく見てしまった。

平野 美宇という選手は
よく知らなかったが、
真剣な表情と
時折ふと見せる笑顔が可愛くて
見入ってしまった。

きのうは
夕方、マッサージ機をやりながら
テレビで女子体操の床競技を視ていた。

海外選手の
胴:脚が4:6くらいの
プロポーションに見慣れていたら
その後から出てきた村上選手が
胴:脚が5:5のいかにも日本人体型で
短足に見えてしまった。

それでも、
アクロバチックな
凄技を次々と決めて
「銅」に入った瞬間を
リアルタイムで目撃した。







いつも紹介患者さんが
お世話になっているK先生から
「お中元」を頂戴した。

リサイタルにも
奥様とおいでくださり、
楽屋見舞いまで頂戴して
恐縮したが、15年来、
盆暮れのお心遣いを頂いている。

そのたびごとに、
私製の駄本や
自家CDを返礼に
お送りしている。

今回は、
春休みに仕上げた
漱石の『夢十夜』の
深層分析の一冊を
お送りさせて頂こうと
思っている。











この夏休みは
スペインの作曲家の
ピアノ曲を勉強している。

アルベニスは
ほぼ全部に目を通し、
馴染みの曲は
ピアノで音出しもしてみた。

アルベニスの『コルドバ』は
ギター発表会にもかけた
難曲だったが、
オリジナルのピアノだと
案外やさしいので、
ギターでは編曲ゆえの
難しさだと解った。














アルベニス、グラナドスときて、
次はファリャのピアノ曲も
見てみようと思う。

ギターでは、
『粉屋の踊り』
『きつね火の歌』
『魔法の輪』
『スペイン舞曲第一番』
などを
リサイタルやコンクールで
弾いたことがある。

ピアノで有名なのは
『火祭りの踊り』である。

あれだけは
ギターソロでは
オリジナルの感じを表現できず、
パコ・デ・ルシアは
兄ラモンとの二重奏でやっていた。

教員時代に、
顧問だったテニス部の
女子マネージャーが
音楽室で弾いてくれたのを
聴いたことがあるが、
なかなかカッコよかった。

ファリャの経歴を
ウィキで見てたら、
パリに出た時に
認められたのは
『魔法使いの弟子』で有名な
デュカだったことを
初めてしった。

その後、彼を通じて、
アルベニスを紹介され、
アルベニスからラヴェルへと
人脈が広がり、
ドビュッシーとも親交を結んだようだ。

それゆえに、
讃歌『ドビュッシーの墓のために』
という作品をも残しており、
これはギター曲に編曲されている。



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世が世なら「次女」?

2021-01-10 09:06:00 | 頂きもの
コロナ関連記事で、
真冬の寒さと乾燥は
粘膜を刺激し
抵抗力が低下していると
風邪や肺炎の温床になる…と、
iPSの山中先生が
朝刊で言っていた。

たしかに、
ここ数年、毎冬ごとに、
風邪の長患いやら
気管支炎の長患いを
経験している。

今も、
冬休み前から
風邪を患い、
楽しみにしていた
クリスマス・コンサートでの
生徒たちとの筝曲合奏を
ドテキャンし、
以後、体調不良と回復を
今日に至るまで繰り返している。

コロナに罹っていないだけ
幸いなのだろうが…。

この長引く風邪模様や
オシリの鈍痛なぞは、
あるいは、
自分の行動範囲を狭めたり
活動意欲を低下させてくれて、
コロナ罹患の確率を下げるのに
寄与している無意識下の
セルフ・アレンジメントかもしれない、
と思ったりもしている。

心身症的症状には、
そのような
目的論的な発症機構も
あるのである。




きのうは
朝一で鍼治療に出かけたが、
戸外は-5℃で、
車内は-4℃を示していた。

フロントガラスに氷結した
雪を掻き落とすにも
戸外にあったプラ・スコップの柄が
氷の棒のように冷たく
素手で握ってるのは
30秒が限界だった。

きのうは、
岩手でも-24℃を記録した
というので驚いた。

いちど、
教員時代のスキー訓練合宿で、
万座温泉のゲレンデで
-17℃という極寒を経験したが、
あまりの寒さに生徒たちの唇が
紫色になり、動きも緩慢になって
日中の訓練を中止したことがあった。

北海道の極寒地でよくやる
濡れタオルを
ブンブン振り回してみたら
ウソみたいにカッチンカッチンの
棒状になって
驚いたことがある。

この寒さで、
筋肉も縮こまってるのか、
鍼治療でも
いつもより入りにくい
と施術者が言っていた。

冬に神経痛がわるくなり、
温泉療治にいくと善くなる
といったのは、
なるほど、こういうワケか…
と体験者として納得がいった。





新年の初分析に来られた
R先生から
お菓子籠を頂戴した。

いつもなら、
お茶を差し上げる処だが、
風邪気味でダルイと、
茶人と称しながらも、
香を炊く、湯を沸かす、
茶を振るう、茶巾をセットする、
主菓子を拵える…という
一連のルーティンさえ
億劫になってしまう。

「体(たい)の丈夫を願え。
 体を作れ。
 何事も、体が元なり」
という
「祈り」の詞(ことば)が
『食後訓』としてあるが、
勤務中は弁当のあとに
唱えていた。

冬休み中の"ぼっちランチ"では
ダンマリだったので、
今日からまた
「願い」「祈り」「暗示」
として唱えようと思う。

詞/言葉には、
スピリチュアルなパワーがあり、
言霊(ことだま)や呪文が
それを証明している。

それと、
仕事や夢中になることが、
カラダの免疫機能を高めたり、
自律神経の不調を
回復させてくれる事があり、
「安静」か「リハビリ」か…
の見極めと選択も
自己診断のキー・ポイントである。




『落ち目の祈り』(笑)
・・・もとい
『乙女の祈り』を
弾いてみた。

高校時代に買った楽譜が
いまだに楽譜庫に保管してあったから、
いつか弾くかもしれないと
その頃に思ってたのだろう。

それが、まさか、
45年後に取り出して
やってみるとは、
夢にも思っていなかったろう。

日本では、
オルゴールのメロディとして
お馴染みである。

いちおう、
曲としては整っており、
似た音型の繰り返しが多く、
いかにもオルゴール向きの
甘美なメロディである。

調べてみると、
作曲者のバダジェフスカが
1856年の18歳頃の
4番目に書いた作品のようで、
パリの音楽ニュース雑誌に掲載され、
その名が広く知られる処となったらしい。

ただ、当時は、
音楽教育を受けていない少女に対して、
「浅薄な素人くささを超えられなかった」
と、音楽事典等では
酷評されていたようだ。

日本の表記では、
バダジェフスカが一般だが、
ショパンと同じポーランド人で
「ボンダジェフスカ」が
正しい発音に近いようである。

音楽教育は受けていなかったが、
サロンでのピアノ演奏家として活躍し
35曲もの作曲も行っていた。

結婚し5人の子どもがいたが、
1861年に病弱のために
ワルシャワにて27歳で夭折。

本国ポーランドでは
認知度が低く、
「祈り」という言葉が
共産圏の影響下にあった頃は
不適切とみなされ、
また、先人に当たる
ショパンのような偉大な
作曲家に比されると
作品に高い芸術性が認められず
音楽界では相手にされなかったようだ。

『乙女』シリーズは他に、
乙女の感謝/乙女の誓い
乙女の恥じらい/乙女の晩祷
などがある。

日本では、
JRや信号機やゴミ収集車などで
よく聞かれるが、
少女たちのレッスン曲としても
広く愛されているので、
来日したポーランド人により
「再発見」され、
本国でも少しずつ
再評価がなされてきているという。

ショパンの『幻想即興曲』に比べたら
はるかに易しい曲だが、
全音ピースの「難易度」では、
「B」(初級上)になっていた。

ちなみに、
『幻想』は「E」(上級)である。

ついでに、
お稽古している
曲の難易度を俯瞰してみた。

ソナタ『悲愴』 D (中級上)
ソナタ『テンペスト』 E
エリーゼのために B

英雄ポロネーズ F(上級上)
雨だれの前奏曲 E

月の光 C
夢想 C
アラベスク C

亡き王女のためのパヴァーヌ C

・・・たしかに、
妥当なレイティングかもしれない。





近所の『万サイ堂』が
来週で閉店するので、
投げ売りセールしてないか
のぞいて見たが、
それらしき風もなかった。

それでも、
300円と200円のプレートを
"ドレッセ遊び"用に
買ってきた。

白地で
「葉型/波型」の
縁取りのプレートは、
それなりに上品で、
『仔羊のソテー』を
ドレッセしてみたら、
まあまあのキャンバスに
なってくれた。





週末の朝は、
女神容貌の
アサちゃんのイケヴォで
目覚めている。

彼女、
フミより三つ下、
アキより一つ上の
92年生まれの29歳で
すでに人妻である(笑)。

だから、
ダンゴ三兄弟でなく
"三姉妹"だったら、
次女くらいなのである(笑)。

なのに、
毎週末、
「カ~イ~ナ~!!」
と、見惚れている(笑)。






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誕プレ

2020-12-08 04:01:00 | 頂きもの
お嫁さんの
ミカちゃんから
リッ君の可愛い写真が
送られてきたので、
思わぬ「誕プレ」になった。






フクシマ弁で
いちばん可愛い孫を
「一等孫」(いっとまご)
とよく近所の
爺様たちが口にするのを
幼い頃に耳にしたことがある。

まさに、
初孫のリッ君は
"いっとまご"である。




5月に生まれて、
半年を経た今もまだ
会えないという
恨めしいコロナ禍である。






ナッちゃんが赤ちゃんの頃、
小学生のフミが可愛がって
あやしていたビデオがあるので、
さぞかし我が子をも
可愛がっているのだろうと
想像がつく。







おとついの晩に、
久しぶりに
「閃輝性暗点」に見舞われた。

突然、両視界に
眩しいギザギザ模様が現れ
次第に大きくなり
やがて消えるものである。

初めて発症したのは
大学生の頃だったが、
その直後に猛烈な
片頭痛と吐き気を催し
以後、しばらく、その発作には
苦しめられ、医者通いと予防薬も
服用した。

これは、脳血管の一過性の
攣縮(れんしゅく/けいれん収縮)
により生ずる症状で、
その後に血管が拡張する際に
激しい片頭痛となるのである。

去年も、
熟成チーズを食べすぎて
久しぶりに起こったが、
その後に片頭痛は到来しなかった。

調べてみたら、
中年以後はそのような
頭痛を随伴しないケースも
多いと知った。

一昨日も、
幸いにして片頭痛は
起こらなかった。

後で、食べたものを
チェックしてみたら、
その発症に関与している
チラミン含有物を
沢山摂っていたことが判明した。

バナナ、チョコ、餡子、大豆、
コーヒー、シークワーサー、
カボス、漬物…、
そして、決定打となったのが
カミさんが夕餉の菜に買ってきた
好物の「ニシンの酢漬」を
大量に摂取したことだった。

7時に夕食を済ませてから、
8時に閃輝性暗点が発症した。

体内の蓄積チラミン濃度が
閾値を超えたのであろう。

ほんに、人体とは
ケミカル・マシンであることを
再認識させられた。

JKにも片頭痛持ちが
けっこういるので、
必ずや、閃輝性暗点が
prodrome(前駆症状)として
なかったか確認する。

生物学科の大学生の頃に、
自分の症状について
よくよく調べたので、
その頃に覚えた
「Migraine aura」
(マイグレイン・オーラ/片頭痛前兆)や
「Scintillating scotoma」
(シンチレイティング・スコトーマ/閃輝性暗点)
というタームを
カルテに記すことも多い。

よく、SC協議会で
転任後に後任の若いSCから、
「先生のカルテは英語表記で
調べるのが大変ですぅ…」
と半分冗談で
こぼされた事がある。

中学時代から
英語が五教科のなかで
いちばん好きだったので、
長じて教員になっても
備忘録はいつも英語で書いていた。

今も、買い物のメモは
英語と仏語のゴチャまぜである。



高校時代に
芥川龍之介の小説にハマり、
その全集を読破したが、
『歯車』という作品が、
閃輝性暗点を記したものだと
後々知ることになった。

*****

最近、
希死念慮を訴えるJCを
多くカウンセリングしているが、
このコロナ禍の半年で
250人もの十代の自殺者が
出ていることを鑑みて、
どうしても慎重に
「クライシス・インターベンション」
(危機介入)的な
アプローチをしているから、
疲れ方がハンパない。

これじゃ、
オシリ痛が治んないのも
当然といや当然なのかもしれない。

カウンセラーという商売は、
クライエントの「毒」に中ったり、
「病み」が感染するという、
まるで、コロナ禍の医療従事者と
同じような危険性を伴うものである。

それを、知らずに、
単に「人助け」の仕事をしたい、
なぞというロマンチックな
憧れを抱いているうちは、
まだまだトーシロー(素人)
であって、プロとは言えない。

42歳の厄年の頃、
1週に5校×5人で
25人ものカウンセリングをして、
重い「うつ病」を患った時、
主治医になってくだすった
研究会仲間のドクターから
「先生。
20人以上カウンセリングするなんて
自殺行為だよ」
と呆れられたことがある。

なにせ、
カラダが麻痺して
ベッドから起き上がれず、
「垂れ流し」まで
してしまったのである(笑)。

その時の過労が仇になり、
その後、幾度も
再発・寛解を繰り返し、
今日に至っている。

現在も寛解状態にはあるが、
研究会に来られていた
医大の教授や名誉教授、
主治医ら他の誰に訊いても、
ストレスフルな心理職の仕事柄、
再発予防で少量の抗鬱剤を
常用していた方がいいと
奨められて、それに従っている。

たしかに、
ベースラインが上がっていると、
ちょっとしたストレスでは
再発までは落ち込まず、
服用前まであった
セロトニン欠乏による
苦痛を伴う諸症状からは
解放されている。








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六十三の生まれ日

2020-12-06 08:24:00 | 頂きもの
わがいのち今あるは
 遠く生うけて生まれたる日の
  恩にはじまる

遠き日の
 にがきかなしみ通り来て
  六十三とよはひたまれり

            碧水歌
   




近所にお住まいで
毎週、教育分析に来られる
同僚のR先生から、
誕プレを頂戴した。

いつも、
学校でも家でも、
バスタオルだったり
破れた膝掛を使ってるのを
見かねて素敵な物を
プレゼントしてくだすった。

スリッパも冬用の
厚底のフカフカするもので、
有り難くさっそくPC仕事に
どちらも使わせて頂いている。

粗末なものを
けっこう平気で人前で
長らく使い続けているので、
それをご覧になられた
クライエントの方々から
これまでも色々と
代替品を頂戴したことがある。

ほんに、
有り難いことである。

我が家の家訓は…

【物を大事にすると
 物から大事にされる。

 人を大事にすると
 人から大事にされる】




新しくお弟子さんになられた
R先生とは、
毎週、濃茶やら薄茶での
簡単な茶事をさせて頂いている。

茶人にとって、
ひと様をおもてなしするお点前が
なによりの実践的なお稽古になるので、
そのお相手をして頂いている。

きのうは、
初めて"芋善哉"を拵えてみた。

普段使いしている
ダイソーのものじゃなく、
『いちい』にある
北海道産の優良小豆と
甜菜糖だけによる無添加の餡子で、
価格も百均物の5倍もする。

まだ、糖質制限食餌療法をする前に、
餡子の比較試食をして
見つけた最美味の逸品である。

炊き立ての餅米を
麺棒で五部づきにする
通称"半殺し"(笑)にして、
焼き芋を角切りにして
若干の片栗粉でトロミをつけてみた。

週末は、
糖質制限食餌療法も
わりと緩めて、
「完全」には
拘らないようにしている。





ツタヤに赴いたら、
ちょうど『ゴルゴ13』の
新刊が平積みになっていたので
買ってきた。

漫画用書棚には、
これが1巻から全巻ズラリと
揃っていて壮観である。

いよいよ、
4月の新刊で200巻を迎える。

そうすると、
『こち亀』に並ぶ
ギネスのタイ記録になる。

それを
『クッキングパパ』が
今155巻で追っかけている。



鍼治療に出かけたら、
尻筋増強のための
チューブ体操を推奨され、
自分への誕プレの一物として
買ってきて、さっそく、
PC仕事をしながら
両足にハメて
ワギワギやっている。





YouTubeを
幾度も見ながら、
Win「32ビット版」から
「64ビット版」への
ヴァージョン・アップを
試みているのだが、
USBメモリを用いても
DVDを用いても、
BIOS設定でBOOT優先を換えても
起動してくれずジリジリしている。

ゆんべは、
その作業が深夜にまで及び、
最後は"神頼み"となり、
「どうぞ、誕生日プレゼントに、
うまいこと起動させて下さい」
と、PCに向かって手を合わせたが
やっぱしダメだった。

今日も、
朝から再トライしてるが、
うまくブレイクスルーできず、
なにが不具合かが
見当つかずにいる。

【金で解決できるものは
 金で解決せよ】
というモットーもあるので、
いよいよの時は、
正規版を購入するか
PCショップに持ち込んで
アップしてもらうより仕方がない。

そうでないと、
せっかくメモリを8MBに
増設した意味がなくなるのである。

それと、
CPUをハイエンド物に
交換する楽しみがなくなる。

なんとか、
誕生日の今日のうちに
「64ビット版」に
辿り着きたいものである。









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プレゼント

2020-08-25 07:39:00 | 頂きもの
きのうは
初めて姉妹で来られた
クライエントのお姉ちゃんが
ちょうど19歳の誕生日というので、
学校に持っていこうと思っていた
『庭の桜桃』を
プレゼントにさしあげた。

そしたら、
妹さんが
「いいなぁ…」
と羨ましそうだったので、
も一枚あった
『裏磐梯の水芭蕉』
の写真を差し上げたら
喜んでおられた。




いずれもダイソーの
110円の額装なので、
あんまし喜ばれると
返って恐縮するが、
不二家のケーキを
手土産に頂いたので、
その返礼でもある。




夕餉のデザートを
頂戴したので、
サーモンを山葵醤油でやる
予定を変更して、
オリーヴオイルとスパイスで
フレンチ風に仕立てた。




今日は、
フランス産リエットの
詰め合わせのお中元が届くので、
また、晩には
ヴァケットと泡物で
フレンチ風にしようかと思ってる。



明日から、
いよいよ2学期の勤務が始まる。

コロナ休暇中の
子どもたちじゃないが、
なんだか、早く学校に行きたくて
しょーがない(笑)。

SCは、75歳が定年なので、
それまで、カラダさえ丈夫なら
“好きな仕事”だから
ずっと続けられたらいいなぁ…と、
思っている。

そしたら、
ケストナーの名作
『飛ぶ教室』の“禁煙先生”や
『ヨーンじいちゃん』のような
児童文学に出てくる
好々爺のようになりたい。

いずれも、
老賢者であり
プシコポンポース(魂の導者)的な
存在である。

カウンセラー/サイコセラピストから
ソウル・メイカーへと進化するのが
ひとつの理想かもしれない。



この 夏、
「なぜ時間があるのか」
という素朴なことを
思考実験として考えてみた。

その答えは実に明瞭で、
経験というものをするためである、
ということに気づいた。

これはすなわち、
「なぜ意識があるのか」
という問いの答えにもなっている。

自意識と言ってもよく、
英語では「 I am 」のことである。

仮に、自意識だけ存在しても、
時間と空間がなければ 、
そこに経験というものは
存在し得ることはできない。

その逆も真なりで 、
時空だけ存在しても、
そこに意識がなければ、
経験というものは起こり得ない。

それでは、
経験とは一体何だろう。

常識的には、
ある場において、
ある一定の時間、
自意識が感知する事象、
と言えるだろう。

Wikipedia による定義では・・・

認識としてまだ組織化されていない、
事実の直接的な把握。

感覚や知覚によって
直接的に与えられるもの。

感覚・知覚から始まって、
自覚されたもの。

座学的な知識と
五感や手・足など身体をフルに使って
得られる認識・記憶の総体。

「 I am 」という存在と自意識は
自明なことなので、
これを「何故生じてきたか」
というのを問うても
明解な答えは得られていない。

しかし、
これまでも在り、
これからも在るもの、
と考え、それを信じてみると、
“大いなる安らぎ”を
得られるような気がする。

金光教祖は、
神様に神界・霊界に
三日間連れられて見せられた
という神秘体験をしているが、
それらのことは
言っても解らぬし
信じることもできないだろうとし
詳述していない。

だが、
「魂は生き遠し」である、
とだけは明言している。



我がオシリ痛も
世界のコロナ禍も
現象界では通底しているので、
今生の世で、何故、このような
世界の様相になっているのか、
今しばらく悲観論に陥ることなく
分析・総括してみて、
人類が恒久的に助かる
処方箋を考えてみたい。

河合先生は、
カウンセリング室に訪れる
ひとりのクライエントは
社会病理の代表者でもある、
と仰っていた。

それゆえ、
我われ心理師は、
為政者のような
「大所高所」からでなく
「小所低所」から世界を観て、
その治療法を考えるのである。

⁂+

世界・人類は、
【第三の道】を求めて
「SDGs/Sustainable
Development Goals
(持続可能な開発目標)」を
2030年までに達成しようとしている。


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