『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

リング再び

2023-11-26 10:47:36 | 映画

きのうは
市内で初雪がちらついたが
積雪には至らなかった。

それでも、
今朝方は0℃の予報となり、
いよいよ、戸外では
凍死もし得る
本格的な寒さとなつた。

*

きのうは、
前々から思っていた
ブランド豚の
「前田ポーク」の試食に行くべく、
口開けの11時に行きつけの
とんかつ屋に赴いた。

まだ、一組しか客がいず
ガラガラで心地よかった。

紅葉の前庭に
室内の山頭火の俳画が
佳い取り合わせだった。

**

以前は、
カツ丼でやって
さすがに一味違うと感心したので、
今回は、ロース定食で
豚肉そのものの旨味を
堪能しようと思った。

まずは、
『東京とんかつ会議』で
さんざん、見せつけられたように、
七切れだったので、
そのど真ん中から箸をつけた。

口中にインサートする時には、
コロモ側の両サイドを箸で摘まみ、
肉の断面を上っ側にし、
ロースの脂身を先頭にすべし、
という・・・(笑)。

はなは、なにも付けず、
下味のみでやってみる。

ンッ・・・?!

さほど、豚の旨味が
感じられない・・・。

つづいては、
卓上の岩塩でやってみる。

おなじく、ガツンとした
コク味がない。

されば、
甘口ソース、辛口ソースを
かけたところで、
肉の旨味はますます
コーティングされてしまうだろう。

カツ丼では
旨味を感じたのだが、
甘辛の味醂・醤油味でこそ
引出されたブランドの旨味なのか・・・
と、いささか怪訝に思われた。

ま、それでも、
並みのトンカツ以上には
上等の肉質ではあるようだった。

食し終えてから、
こんなんだったら、
スーパーで800円くらいの
ステーキ用牛ロースを
家で「ビフカツ」にした方が
よっぽど楽しめたなぁ・・・と、
思ったものである。

なにせ、
その三倍もの
『前田ポーク』だった。

***

帰路、ちょいと足を延ばして、
プロ御用達のホームセンターまで
楽器用材を調達に寄ってみた。

これまで
『SPF材』というのが
何のことか知らずにいたが、
材木置き場の前でググッてみたら、
スプルース・パイン・ファー
(トウヒ・マツ・モミ)の
頭文字だと初めて知った。

スプルースは、
楽器の表面板に用いる主材で、
松もギターでは高級材である。

その白い木肌は
まさしく楽器に相応しいが、
ホームセンターに卸されるのは、
節の多い板目材ばかりで、
目の詰んだ柾目材は皆無だった。

しかたなく、
質(たち)の良い柾目の
「ホワイトパイン(白松)」の
細材を2本だけ購入した。

テーブルソーを導入したので、
これを薄く剥いで、
継ぎ合わせて
製作ちゅうのリュートフォルテの
表面板としようと思った。

雪がちらつく
戸外の資材置き場で
念入りに選定してたので、
すっかりカラダが冷えてしまい、
店頭の自販機で
この冬二度目の「お汁粉」を買い、
車中で温まった。

**

本来、リュート製作では用いない
ライニングという
「糊代」になるパーツを
リュートフォルテという
特殊な折衷楽器の為に
装着してみた。

*

一昨年の12月から、
ご注文を頂いたのを機に
3.11後、10年ぶりに
古楽器製作を再開したので、
新しく電動工具を4種も
導入したので、12畳の工房も
加工作業場が手狭になってきた。

それでも、
電動工具は有難く、
手作業のみで
切ったり削ったりでは
労力も時間も桁違いである。

ただし、
怪我が付き物で、
油断したら、一発で指が
吹っ飛ぶような
超危険な工具もある。

幸い、今の処は、
電動サンダーで指まで
擦りおろして皮が向ける程度で
済んでいるが・・・。

なので、
工房内には
ご神前を設置し、
作業前後の安全祈願と
無事御礼の御祈念を
させて頂いている。

***

今年、小6の年齢ながら、
飛び級でアメリカの音楽大に
入学している
超天才ヴァイオリニスト
「ヒマリ」ちゃんの演奏する
バッハのソナタ1番の
『アダージオ』を聴いて、
その名演奏に心を揺さぶられた。

これまで、
クイケンはじめ
幾人もの名人・マエストロたちの
演奏を耳にしてきたが、
ヒマリちゃんのライヴでの演奏ほど
感動させられた事はなかった。

やはり、この子の
「音楽を伝える力」は
並大抵のものとは次元が違う。

12歳までに40ものコンクールを
すべて優勝してきたキャリアは
だてではなく、錚々たる審査員たちに
「1000年早く生まれてきた」
「必ずや歴史に名前を残す」
と言わしめたほどの超逸材である。

最近では
ゾゾの大富豪の前澤氏より
所有のストラディバリウスを貸与され、
ますます、彼女の音色は
魅力的になってきた。

さる審査員は、
「ストラドが、ヒマリが
生まれてくるのを
300年も待っていたようだ」
と評し、なるほどと唸った。

*

彼女の名演奏に促されて、
楽譜を書庫から取り出してきて、
これから、リュートかギターで
アナリーゼをしてみたいと
思っている。


***

今朝方、
YouTubeサーフィンをしてたら、
たまたま『リング』が
2週間限定の無料公開
とあったので、
もう、4度目くらいになるが、
寝床で全編鑑賞した。

日本一どころか
世界一怖い、傑作ホラーだと
自認しているので、
古典の名作に共通する
幾度鑑賞しても飽きがこない。

4度目で
何か新しい発見はないか・・・と、
分析的鑑賞眼でも視たが、
やはり、冒頭のシーンでの
15歳でデヴューした
竹内結子が自死した事が
痛ましくも憐れ感を誘われた。

それと、
松嶋奈々子が
超絶的に美しく撮られており、
真田正広も名演であった。

1時間35分という
短尺ながら
無駄がなく、濃密に
仕立て上げられた
稀有の作品である。

本来、リアリティの薄い
「呪い」物だが、
現代音楽のようなBGMが
巧みに用いられて、
仄暗い照明の効果もあり、
ヒプノティック(催眠的)に
変性意識に誘われるような
編集・構成が見事である。

原作とはキャラ設定が
異なったりしているが、
むしろ、本作では、
脚本・演出・効果・編集・・・と、
ピタリとツボに嵌った感がある。

同じ監督の別作品も見たが、
まったくの駄作で
呆れるばかりであった。

本作では、
「元型を刺激しない作品は
100年後まで残らない」
という、
ユングの名言が思い出された。

***

1998年の劇場公開時に見て、
翌日にブログに載せた
ユンギャン(ユング派)的分析が
今もネット上にある。

***
***

超能力者が恨みを残して死ぬと、
ただならぬことになる・・・
という設定が秀逸だ。

落語のマクラに、
バカの与太郎が死んだら、
方々に見境なく化けて出て困る、
という噺があるが、
「そこが、バカだから・・・」
というオチには爆笑した。

「バカは隣の火事より怖い」
と落語では云う。

なので
ケタハズレの念力を持つ
超能力者が化けて出るのは、
反則である(笑)。

日本の怪談系譜には
類例のないシュールな発想である。

怪談数寄者として、
成功している要因を分析すると・・・
 
・都市伝説の不気味悪さ
 
・7日間という時限爆弾的追い込みの切迫感

・美女・松嶋奈々子のシンメトリックな顔が、
呪いの写真でアシメ(非対称)になる。


乳幼児に、アシメ顔の絵を見せると、
不安反応が起こる。

・数学的直感の世界に生きる
科学者である元・夫が持つ
シャドウの部分である
非科学的なオカルティスティックな
領域への違和感。


誰もが、合理性と非合理性の
二面性をもっているが、
現実は合理性優位で暮らしているので、
非合理性は劣等機能となり、
シャドウとなって
気味悪いものと感じられる。

・息子への
「呪うべき気質」の世代間伝達。

・貞子の白い服は、
死に装束=花嫁の白無垢、
を連想させる。
(娘として死に、嫁として再生する)

・長い髪は、
女性性の象徴だが、
ネガティブな側面として、
般若、夜叉、魔女、鬼婆、山姥、
という女性の魔性の
シャドウを想起させる。
         
また、
「少女から女へ」移行する過程での
「死と再生」のイメージも喚起される。

・最後まで無言の貞子。


『らせん』『リング0』『リング2』
とも生身の貞子が喋っている。


それでは我々の現実感に近く、親近感が生じて恐怖感は薄まる。                 

無言電話同様、
得体の知れないものに
人は不安と恐怖を抱くのである。

・松嶋奈々子のポジティブな母性性が、
井戸で惨死した貞子の亡骸に
頬ずりして慰霊し、
呪いの連鎖の物語は
大団円で終焉したかに見えたが
(観客は一旦、安堵する)、
その後、貞子のネガティブな母性性
(殺す母)が突如現れ、
父親を呪い殺す。

安心させといて驚かす
ドンデン返しである。

・井戸から現れる貞子の動きが
淀んでいて不気味である。

人間らしい
円滑な動きをしない人間に、
人間は恐れを抱く。

・テレビから実体化?し、
現出する、という非合理性の恐怖。

・非楽音的ノイズの多様。
特に、金属が軋むような
生理的嫌悪感を誘う音。
 






 


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