『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

やはり名作!!

2021-09-12 09:41:00 | 映画
きのうは
胃腸炎と全身痛で
まるまる一日
床に伏せっていた。

一年365日
書斎のPC前に座って
早朝からブログを書いているが、
それが出来なくなるほど
具合悪くなるのは
珍しくもあった。

幸いにして、
夕方頃からは
大分とましになってきたが、
今朝は喉の痛みと
頭痛で目が覚めた。

まるで、
風邪がオナカから
症候移動したみたいである。

若い頃は
季節の変わり目によく
扁桃腺炎になって
高熱をだしたものだが、
歳をとってからは
それがなくなった。

その代わり
ダラダラと風邪のような
様態が長く続くのが
やりきれない。

それでも、
仕事に行くと
シャンとするから
不思議でもあり、
有り難くもある。

80年代の教員時代、
中国への修学旅行で、
本格中華のギトギト油脂と
不衛生な食器類に当たって、
高熱を発したが、
不衛生な病院にも行かず
一晩ホテルでウンウン苦しんだ。

翌日もフラフラ状態だったが、
担任として40数名もの生徒を
従えていたので、
シャンとせねばと
気力を振り絞ったら
信じられない速さで
回復した経験がある。






きのうは
夕方5時から
夜10時過ぎまで
アベマの団体戦があり
『チーム藤井』として
ソーちゃんが三局対戦した。

超早指し戦なので、
一局30分ほどで終わるが、
リーダーの自分が初戦を落として
そうとう落ち込んだらしく、
見かねたチームメイトの高見七段が
彼の好きなお菓子を買いに行こうか
と思ったという(笑)。

その後の対戦では2勝して
チームとして勝利できた。

ソーちゃんは
アベマ・トーナメントは
三連覇しており、
毎回、賞金一千万ほどを
稼いでいる。






BSでまた
『シャーロックホームズの冒険』の
再々放送が始まり、
いちど全編を視たのだが、
久しぶりにちょいと視てみた。

舞台を現代に置き換えた
カンバーバッチ版の新作よりも、
やはり当時感のある
ジェレミー・ブレット版の方が
しっくりくる。






きのうは
9.11から20年目だった。

NHKの特集を視て、
泪が止まらなかったという
知人もおり、
恋人を亡くされたので、
『記念日反応』が
起こったようである。

ニュースを視ていたら、
2900名あまりの犠牲が出た
大惨事だったが、
それへの報復戦として
イラク・アフガンで
戦死した米兵は
6900人もなるという。

その亡くなった若者たちの
親族にとっても
9.11は忘れがたい
メモリアル・デイなのだろう。

ビンラディンやフセインは
討伐されたが、
はたしてそれで世界は
平和になったかと言えば、
見ての通りである。

民族・宗教・主義主張の
「違い」が
多くの対立を起こし、
血生臭い殺し合いの戦禍が
今日も各地で絶えることはない。

コロナ禍中に行われた
パラリンピックは、
「みんな違って
 みんないい」
という多様性容認をテーゼとして
世界に発信できたかもしれないが、
先進国にワクチンが集中して
貧困国から新たな変異株が
上陸してくるという
負のスパイラルが起こっている。

世界の死者数は
「第三次世界大戦」に等しい
と形容されるのも
むべなるかなである。

賢くなったつもりでいる人類だが、
まだまだ「野蛮の入り口」に
いるような気がしてならない。







昨晩、BSの深夜枠で
『バベットの晩餐会』の
デジタル・リマスター版が
放映された。

生涯のベスト3に入る
名作なので、
もう幾度観たかわからないが、
評判になった86年に
レンタル店のVHSテープから
ダヴィングしたものを
繰り返し観てきた。

昨晩のは、
画像もキレイになっており、
それをブルーレイ・ディスクに
録画する事ができた。

今朝、十数年ぶりに
じっくり見てみたが、
最後のバベットの
銘セリフにジーンときて
泪がこぼれた。

やっぱし、
名作は「力」があるなぁ…
と感心させられた。

今回は新たな発見があり、
物語の深さを
さらに感じさせられた。

時は19世紀、
処はデンマークの
貧しい海沿いの小集落。

静養に訪れた名オペラ歌手に
「歌の天才」として見出された
美人姉妹の姉は、
牧師の娘として
信仰に生きる道を選択し
華やかなパリでの
音楽家としての成功を断念する。

数十年の時を経て、
パリの動乱で夫と息子を亡くした
中年女性が今や老いさらばえた
オペラ歌手の手紙を携えて
貧しい姉妹の小屋を訪ねる。

何もかも失った彼女を
ふたりは無給家政婦として
受け入れるが、
その集落は貧しく、
老人たちは日々、
愚痴、不平を言い合い、
互いを罵り合い、
食べる物は毎日、
ビールで煮たパンばかり、
と何一ついい事はない。

そこへ、
バベットにパリの友人から
手紙が届き、
毎年、頼んで買ってもらっていた
宝くじが当たったという。

その賞金1万フランで
彼女は泥みたいな
「パンのビール煮」しか
食べた事のない村人たちに、
一世一代のフランス料理を
御馳走しようと全額を投入する。

彼女こそ、
パリで「天才」と謳われた
最高級フレンチ・レストランの
女性シェフだった。

信仰は厚いが
保守的な姉妹や村人たちは、
その材料の生きたウミガメやウズラや、
出汁を取る牛の頭、鶏の脚などを見て
「これは魔女の為す事」だと
震えあがる(笑)。

しかし、
普段からビール煮を
届けてもらっており、
温厚でやさしい彼女の手料理を
喰わないという事はできない(笑)。

それで、
陰で申し合わせて、
いっさい料理の事は話題にせず
強い信仰心をもって
誑かされないようにと絆が深まる(笑)。

「舌は話をする為に使うのよ。
 料理を味わってはいけない」
・・・(笑)。

その晩餐会には
かつて姉妹の妹に恋したが、
その成就を諦めて
パリの騎兵隊で出世した老将軍が
引退したというので訪れる。

その彼は、
VIPとして通った
『カフェ・アングレ』の
名物料理にどれもこれも一緒だ…と、
感激するも、村人たちは、
「明日は雪ですかなぁ…」
とか頓珍漢な反応しかしない(笑)。

それでも、
さすがに、舌は胡麻化せず、
生まれて初めて
超美味なる料理の
フルコースを味わって
頑迷固陋な老人たちの顔が
柔和になり、酔うほどに、
互いを許し合うようになり、
最後は手を取り合って
讃美歌を唄い合うまでに
心が通じ合う。

料理は言葉を持たないが、
「天才」料理人の作品は
人々を「愛」と「喜び」に
目覚めさせる「力」を持つ、
という事を知らしめる。

招待客12人分の食事代が
『カフェ・アングレ』では
1万フランだったというのを聞き、
老姉妹は仰天するも
「あなた、また貧しくなってしまったわね」
と言うと、
「芸術家は貧しくありません。
出来得る最高の仕事をすることが
芸術家の喜びなのです」
とバベットは
誇り高く毅然と言う。

ここがカッコよくて、
いつも泣いてしまう(笑)。


ヒ~! ヽ(;▽;)ノ バベチャン カッチョヨカ~! 


















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春休みだぁ…

2021-03-26 06:27:00 | 映画
春休み…
一週間目である…。

毎日を隠居爺然として
暇を持て余している(笑)。

カミさんは
毎日、出勤してるが…。

再任用の最終年が
同じ学校になったので、
42年間の教員生活を
悔いなく過ごすつもりなのだろう。

なんだか、退職後は
家でブラブラするつもりなのか、
「あとは、よろしくね…」
と言われてしまった。

トーチャンは
無事、健康で生きてさえいれば、
今んとこ、75歳までは
SCでいられるが…(笑)。

そんなに
働けるんだろうか…と、
思わないでもない(笑)。

でも、何もしないで
ブラブラなぞは
とても出来そうもなく、
仕事でクライエントと
向き合ってるのが
いちばん充実している時間と
感じている。




きのうも
散歩&ランチの"第二弾"で
近所にある「はち兵衛」で
『海老天重』(900円)を
やってきた。

カツ丼・天丼が喰える時は
体調がいい時…と、
勝手に決めてるが(笑)、
きのうは、
最後のカボチャ天に
箸が進まず
ハタリと停まってしまった。

カミさんが
カボ天が好物なので、
紙ナプキンで包んで
持ち帰ろうかとも思ったが、
裏にご飯粒がついてたので
断念して、エーイと
口に放り込んだ。

やっぱし、
まだ、慢性的な
喘息性気管支炎と
プチ風邪っぽいので、
体調がイマイチだったようだ。



ナッちゃんが
上京するまでの一月近く
在宅してたので、
カミさんとしてた
夕飯の"ご飯抜き"をやめて
通常食に戻していた。

なので、必然的に
「糖質制限」食餌療法も中断して、
コメの飯をパクパクやってたら、
1㎏ほどリバウンドしてしまった。

なので、
今日からまた(笑)、
制限を再開しよかと
思ってる。

もう、
ランチしたい店も
なくなった。





録画してた
『レッド・サン』を観た。

ウィキによれば、
1971年公開の仏伊西の合作で、
三船とブロンソンとドロン
という3大スターの揃い踏みである。

ジャンルは西部劇。

昭和の公開当時、
電信柱とかに
天然色ポスターが
貼ってあったのを覚えている。

57年生まれなので、
まだ、14歳の中2だった。

タイトルの意味は、
欧米人は太陽を
「黄色/Yellow」で描くが、
日本人は赤で描くというので、
「日本人」の暗喩だという。

たしかに、
西部劇には場違いの
チョンマゲ侍が
袴・裃(かみしも)姿や
フンドシ姿で登場し、
人斬り包丁(日本刀)を
ブンブン振り回すのは
「異色」である。

ヒロインには、
007の初代ボンドガール・
ウルスラ・アンドレスが出ており、
なんと彼女…
『PLAYBOY』誌で
ヌードになってから
強気になったのか
惜しげもなく裸身を
曝け出していて驚いた。

そのセクシーガールも
今や85歳の老婆で
まだ健在のようだ。

いい意味で、
昭和の頃の
レトロチックな
お色気ありの
ドタバタ西部劇であった。




BSプレミアムで
『コロンボ』の
旧作シリーズが終わり、
新作シリーズが始まった。

こちらも、
一通り観たのだが、
あんまり感心したものがなく、
繰り返し見る気にもなれなかった。

なので、
落ちを覚えてるのは、
録画しても観ずに
消去していた。

『だまされたコロンボ』だけは、
見逃したか落ちを忘れてたので、
観て新鮮だった。

ただ、
最後のトリックが
すぐに判ったので、
やっぱり一度は
観てたのかもしれない。

新作は旧作とはコンセプトが
ガラリと変わって、
吹き替えも小池 朝雄でなくなり、
まるで別作品のようでさえある。




二階の旧子ども部屋と
一階の居間の一角に
マンガコーナーがあり、
おそらく一千冊以上は
あるだろう。

別に、アキやナッちゃんが
買い集めたものも
段ボール単位である。

ロンバケ中に
ヒマですることがなくなると、
マンガコーナーから
なにかしらニ三選んで
カウチベッドで
ごろ寝しながら読んでいる。

マンガは「趣味」というより
「パスタイム(気慰め)」
という方が
ふさわしいかもである。






新学期から
すぐに使えそうな
タータンチェックの
モノトーン・ワンタッチ・タイを
800円ほどで落札した。

キッズ用だったので、
首回りがキツめだったから、
ゴムを付け足して
アジャスターで調節した。

ついでに、
使い古して破れた
皮財布の小銭入れの箇所を
縫合した。

ロンバケならではの
身の回り品の
手入れや修復を
のんびりしている感じだった。





きのうは
久しぶりに
8コースのルネッサンスリュートを
念入りに調弦して、
楽譜を拾い読みしながら
音出しをしてみた。

コンサートがないので、
本気で曲に没入して
人に聴かせるべく
練習を詰める
という機会がなくなった。

そのぶん、
のんびりと、
自分の楽しみとして
リュートやピアノを
ポロンポロン弾くのも
春休みの楽しみかもしれない。




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涙す…

2021-03-23 07:01:00 | 映画
春休みで
何の予定もない平日だったので、
また、びっき沼に
遠足気分でオニギリ持って
フキノト採りに出かけた。




土湯に近づくにつれ
吾妻山が段々と
目の前に迫って来る感覚が
好きである。

ことに、この時季は、
残雪の模様が美しい。






車の計器類では、
我が家から18.3㎞、
高度558m、
きのうは
9℃であった。



おにぎりも
ウィンナーも
ラッピングしたまま
レンチンして
30分も経ってなかったので、
まだ、十分にぬくもっていた。

マグボトルには
味噌汁も入れてきた。

それをジルジルすすりながら、
まずは腹ごしらえである。





カラダもぬくもったところで、
いよいよ採集開始である。

先週にはまだ
芽吹いていなかった
クラスター・ポイントから
見て廻った。

そしたら、
三つ、四つ、ポツリポツリと
茶色い枯葉の中に
エメラルドグリーンの花が
咲いていたので
嬉しくなった。

フキノト採りは
慣れればどってことないが、
初めのうちは
山菜狩りとはいえ、
なんだか花芽を摘むのに
可哀そう感を抱いたものである。






きのうは、
毎年来てアタマに入ってる
チェックポイントすべてで
芽吹いていて
今季初の大収穫となった。

大クラスターポイントでは
もう採りきれず、
カラダがシンドくなってきたので、
ほどのいい処で切り上げた。







これだけ大量だと
うちだけでは
消費しきれないので、
叔母ちゃんとこに
お裾分けしようと思って
寄ってみたら、あいにくと
留守だったので、
玄関ドアの取っ手に
袋を縛り付けてきた。

こないだも
お裾分けしたばかりなので、
誰からのものか
気付いてくれたことだろう。






劇場で観た
『寅さん』50作目が
TV放映されたので
録画して観た。

劇場には親友のタケシと
出かけたが、
彼には前もって、
「おれ、今日、
ぜったい泣くかんね…」
と言って、持参した
タオルを見せて笑われた。

やっぱり、
大泣きしたが…(笑)。

そして、ゆんべも、
再度見て、また泣いた(笑)。

全作品を何度も
味わうように観て、
一々それに自己評論を
残してきたので、
全作を振り返るような
オムニバス構成で、
未来への含みをも残しながらの
大団円という「第50作」であった。

長期シリーズならではの手法で、
語り部のミツオの回想シーンでは
懐かしい旧作の名場面が
あちこちにカットインされて
散りばめられ、あたかも、
見る側も回想しているかのような
感情移入をしてしまう。

シリーズ後半の
サブストーリーであった
「ミツオとイズミ」の
青春の淡い恋バナ(話)が、
中年となり
互いに家庭を持つ身となって
それを懐かしく振り返りつつ、
老親や現在の自分と向き合う苦悩も
描かれていて、作品に
重みを与えていた。

国民的美少女と謳われた
ゴクミは、大柄な女性になったら
声まで低音になり、
その顔はなんだか
軟禁されたスーチーさん
そっくりに見えた(笑)。

母親役の夏木マリは
旧作のキャラのまんまで
水商売のハスッパ感がよく出ていて
さすがの演技力であった。

中年期の父親役だったのは
寺尾 聡だったが、
臨終間近の老父は、
名優の橋爪 功が演じていた。

とぼけた役柄だったが、
やはり存在感はあった。

橋爪は日本一の朗読家と
リスペクトしており、
『三国志』の100枚と
その他もろもろで
50枚ほどの朗読CDは
何度も繰り返し聴いてきた。












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ベスト・ムービー

2021-03-07 07:00:00 | 映画
京都から帰福したばかりの
30年前頃は、
『フォーラム』の会員になり、
自由業なのをいい事に
平日の昼間っから
映画館推奨のB級映画なぞも
悉く鑑賞していた。

その後に、
『マイカル』が出来ても
フォーラム会員でいたが、
規約が変わったのを機にやめてしまい、
あまり劇場に足が向かなくなった。

ブルーレイ・レコーダーを
2台購入してからは
BSや民放の放映作品を
録画してストックして観る
"おうちシネマ"が
もっぱらとなった。

寝室の足元に
大画面を設置し、
両サイドには
ステレオのスピーカーがあるので、
あとは遮光カーテンを引けば、
昼間っからでも、
大画面・大音声を
カウチ・スタイルで楽しめるので
これで年に100本以上は観てきた。

録画作品の合間には、
近所の『ゲオ』や
『創夢館』(閉店した)で
借りてきては観てたが、
しまいに観尽くして
借りる作品がなくなり、
仕方なくヤクザ映画まで観た(笑)。

HPには、
ベスト・ムービー
『生涯の10本』
が挙げてある。

1.『眼下の敵』
2.『刑事コロンボ 別れのワイン』
3.『バベットの晩餐会』
4.『男はつらいよ 寅次郎紅の花』
5.『ブラザー・サン・シスター・ムーン』
6.『ロミオ&ジュリエット』
7.『小さな恋のメロディー』
8.『Shall We ダンス?』
9.『めぐり逢う朝』
10. 『リング』




その第4位に
ランクインしているのが、
昨晩も放映された
『男はつらいよ 寅次郎紅の花』
である。

もう、すでに、
何度も観ているが、
また、録画で4K版を鑑賞し
名作を味わった。

『寅さんシリーズ』は
全作品を何度も見たが、
これ1本といったら、
やはりスピンオフ的作品を
カウントせずば、
事実上の最終回の本作を
挙げることになろう。

本作後に、
渥美 清の突然の死で、
シリーズは終焉を迎えたからである。

奇しくも、この作品は
シリーズ全体の
「ひとつの結末」といって
差支えがなかろう。

光男と泉エピソード・シリーズの
紆余曲折後の大団円。

リリーと寅との
淡い「つかず離れず」の関係。

そして、
阪神大震災とその後の復興・・・。

人間の永遠のテーマである
「男女の関係」
「世代交代」
「定住と流浪」
「死と再生」などが
本作の底流に描かれている。

ここにおいて、
ヤクザな若造だった寅は、
見事に垢抜けて、
宮沢賢治の理想とした
「デクノボウ」や
良寛の自称した「大愚」、
一休が生きた「風狂」、
といった、聖人の生き方を
体現するに至っている。

これ以前の作中でも、
ご前様が
「寅のような人間のほうが、
わしらよりも、お釈迦様に
愛されるのではないか、
と思うとるんです・・・」
と言うシーンがある。

昨晩の放映前には、
松竹社員を前に対談した
山田監督が、
俵 万智の寅を歌った短歌に
対してコメントして
笑いを誘った。

 自己責任、非正規雇用、生産性
  寅さんだったら
   何て言うかな

「寅には生産性なんて
まったくないし、
一生、非正規雇用だし(笑)、
責任なんてまったく取らないし・・・」

それでも、
そんな「はみ出し者」にも
寛容な時代があったという。

たしかに、
現代は「非寛容性」というのが、
人類全体の大きな心的問題として
浮上してきた。

相手を認めない、許せない。

ヘイトスピーチや
ヘイトクライムの横行が
目に余るものがある。

そして、
「表現の不自由性」というので
息が詰まりそうな社会になってきた・・・
と、山田監督は溜息をもらした。

傑作と思われる
『紅の花』の放映前のテロップには、
「作品内容を尊重して
そのまま放映いたします」
と流されたが、
再度、視聴して、何処が
それに抵触するんだろうか、
と考えたら、どうも、
障碍のある俳優・神戸 浩が
劇中、健常者のミツオに対して
幾度も「バカ!」と
軽く侮る場面以外に
見当たらなかった。

もう、この時代は、
「ばか」も「あほ」も
立派な差別語になって
言ってはイケナイのか・・・。

***

『寅さんシリーズ』全50編を
俯瞰して見ると、
車 寅次郎という私生児で
無学の粗野な人間性が、
苦難を伴う失敗体験と、
家族の見守りと愛情によって、
その人間性が陶冶され
洗練されてゆく「自己実現の過程」
であることに気付く。

『男はつらいよ』とは、
スピリチュアル視点から見ると、
民俗学者・折口信夫の唱えた
たましいレベルでの
「貴種流離譚」とも言える。

それは、本来は、
若い神や英雄が
他郷をさまよい、
さまざまな試練を克服し、
その結果、神や尊い存在となる・・・
という物語の一元型である。

愚直な寅が、晩年(渥美 清の・・・)、
若い甥っ子のミツオらを善導する様は、
宗教の導師・尊師のようにも見え、
そこに高貴ささえ感ずるのである。

典型的なトリックスター性を持つ寅は、
ある意味、心理師・カウンセラーに通ずる
変容を仲介する「触媒」的存在でもある。

なので、
逆に我われは、
寅の姿勢に、その事の重要性を
再認識させられるのである。

山田監督の回顧談にも、
「渥美さんは、
長らく、演じていて、
自分は寅を愚か者と軽く見て、
自分とは違ったものとして
演じていたが、
ひょっとすると、
そうではないのではないか・・・と、
気付き、もっと人間として
ちゃんと生きなくてはならない、
と思い直して、私生活でも
すべての虚飾を排して
寅に没入していった・・・」
と語っていた。

渥美がそうシフトアップした
全50作のある時点で、
チンピラ、フーテン、的屋、
"単なる愚か者"から脱却して
人間・車 寅次郎として
全人的に生きる姿に変化しただろうし、
その姿は、一休・良寛に通ずる
破天荒でトリックスター性を持った
「聖僧」のように映ったのであろう。



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完結編

2021-02-28 05:44:00 | 映画
地上波で
『スターウォーズ』の
完結編が放映されたので
録画して観た。

リアルタイムでも
冒頭だけマッサージ機を
稼働させながら視たが、
長いCMに入り
興が削がれたので、
そこで視聴を中断した。




『スターウォーズ』は
第一作から全編観てきたが、
途中からレトロスペクティブになって
時系列があっちゃこっちゃで
ややこしかったが、
やっと終わってくれた(笑)。

『ハリポタ』同様、
ずいぶんと長いこと
引っ張られたが、
大団円でひとまず
ホッとしたと思ったら、
来週はスピンオフ作品の
『若き日のハンソロ』だと・・・(笑)。

ハリウッドも
ネタ切れだなぁ・・・。

┐(´ー`)┌  





Y中勤務日に
R先生から
お裾分け頂いた
オモシロ人参。

二股大根は
よくバラエティー番組でも
見たことがあるが、
人参でこうも沢山というのも
珍しい。

まるで、
『スターウォーズ』に出てくる
けったいなクリエイチャーたち
みたいである。





職場で
仕事柄6時間も座ってると
時折、オシリ痛が限界に達し、
そんな時は、冷たい床に
バスタオルを敷いて
浮浪者宜しく、しばし横になって
オシリの圧迫を解放しながら
片手でもみほぐす。

今日は、
ゼビオでソフトボールの
小っさいやつを買ってきて、
オシリに挟んで
座りながらゴリゴリやろうと
思っている。

それでも、
20回以上も鍼に通って
だいぶんとマシには
なってきつつあるのは
有り難き事の極みである(笑)。






きのうの
"ぼっちランチ"は
『ロティ・ド・ポール・オー・プノー』
(豚フィレのロースト/プルーンソース)
だった。

カミさんが
常時、冷蔵庫に
6種類くらいの
コンフィチュールを
買い揃えているので、
それに、冷凍ストックしてある
フォンを加えて
ブールモンテ(バター繋ぎ)するだけで
簡単にそれらしきソースが出来、
重宝している。

肉類にフルーツソースを合わせる
というのは、
フレンチ独特の技法かもしれないが、
慣れてくると
それが当たり前のように
感じられてくる。

もっとも、
肉自体に塩胡椒して
下味をつけておかないと
シャープでキレのよい味には
ならないが・・・。





古楽器製作に
打ち込んでいた頃に、
ヨーロッパから
特大サンドペーパーを
個人輸入したことがある。

その大きさは
なんと畳一畳ほどもあり、
ギターを丸々一本
表面板と指板の高さを
フラットにすることが出来て
重宝したものである。  

たしか万近くしたものだが、
他に用途もなく
今も古楽器工房の隅に
静かに眠っている。



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