律法の解釈

 「昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
 だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、
 供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。
 あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。
 まことに、あなたに告げます。あなたは最後の一コドラントを支払うまでは、そこから出ては来られません。」(マタイ5:21-26)

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 十戒の一つ、「人を殺してはならない」(出20:13)について。

 私はかつて人をあやめたことは、一度もない。
 だが、日々人に腹を立て侮辱する私は、イエスによれば殺人罪を免れない。
 仲直りしようと出向いた先で捕らえられ、牢にぶちこまれる。

 私たちはかつて人をあやめたことは、一度もない。
 だが、イエスによれば私たちの内から殺人罪を逃れる者は一人もいない。
 私たちは今、牢にぶち込まれており、不自由極まりない。
 イエスによれば、アダムの肉を持つ私たちはみな例外なく罪人なのである。

 そのことが全くわからない抜けた人間もいる。
 「この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」(マタイ19:20)

 律法に照らして自分が罪人であると気付くことが、この不自由からの解放への第一歩となる。

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