選びという恵み

 「イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。
 それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ17:1-3)

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 イエスの祈り。

 救い主イエスの存在自体は幅広い人々に知られている。
 だがイエスを知るとは、十字架で葬られて復活したイエスと出会うということである。
 ここでイエスがお会いして「永遠のいのち」をお与えになるのは、「あなたからいただいたすべての者」だ。
 この選びを、恵みという。
 「あなたからいただいたすべての者」がどれくらいの割合なのかは、誰にも分からない。
 ごくごく一部かもしれないし、ほとんど全てかも知れない。
 ともかく、恵みということをイエスは明言している。
 行いやわざによる選びではない。

 もし、行いやわざで救われるとすれば、行いやわざを行うのもまた肉なのであるから、救われるべき対象によってその対象が救わる、ということになるが、これは自力救済の考えになってしまって十字架のイエスが全く不要になってしまう。
 そうではなく、今は新しい約束の時代であり、いわゆる信仰義認の時代である(ローマ3:20-24)。
 ただ、「あなたからいただいた」者がどれくらいの割合なのかは、誰にも分からない。

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[付記]
 本日の記事は、2009年6月20日付記事に大幅な修正を施したものです。タイトルも変更しました。

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