仕返しの愚

(1)
 「すると、イエスといっしょにいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、大祭司のしもべに撃ってかかり、その耳を切り落とした。そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。」(マタイ26:51-52)

(2)
 「 『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。」(マタイ5:38-39)

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 仕返しをするが故に剣を取る、これは実は自らを滅ぼす道であるがゆえに、「みな剣で滅びます」ということになる(1)、自らを省みて、つくづく実感する。
 「やった奴」が「悪い者」かどうかというよりも、彼にあがなうこと自体が己に負けることであって自らを滅ぼし、結果、たいせつないのちを失ってしまうことになる(2)。

 「剣」かどうか、それは本質的なことでは全くない。
 また、異なった言い方をするならば「実に様々な剣の形態」が存在し、それらは今の日本でも乱れ飛んでいる。
 あぎたなく言うならば、「剣産業、剣社会」だ。
 もっぱら自らを守るため「のみ」であるならば、それは愚の骨頂と思う。
 仕返し、それは、「目的の達成」からは最果ての地にあるものだ。

 この点で、イエスは最初から最後まで一貫している。
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