via Christ

 「イエスは、宮で教えておられるとき、大声をあげて言われた。「あなたがたはわたしを知っており、また、わたしがどこから来たかも知っています。
 しかし、わたしは自分で来たのではありません。わたしを遣わした方は真実です。あなたがたは、その方を知らないのです。
 わたしはその方を知っています。なぜなら、わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わしたからです。」(ヨハネ7:28-29)

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 半年近く前、日光へ旅行に行った。
 東照宮は、実は私は初めてだ。
 神社や寺(私には両者の区別がつかなかった)が十ほどもあり、それぞれが似たようなおみくじや絵馬を売っていた。
 それらを何気なく見ていると、恋愛成就の絵馬というのがあって、その絵馬が書き込まれてたくさん飾られている。
 書いた人が誰にお願いしているのか、不思議なもんだと思った。
 そんなことを書いている私も、高校時代に合格祈願の絵馬を書いた。
 神をお参りしているなどという意識など、かけらもなかった。

 さて、上の聖書箇所は宮でのイエスの話。
 宮には、神をお参りするためのたくさんの人がごったえしている。
 中には、献金した額が大きければいいと思っている人もいる(レプタのやもめの例え話参照)。
 いろいろな人が宮にいる。

 イエスは彼らに仰る。
 「わたしを遣わした方は真実です。あなたがたは、その方を知らないのです」。
 宮で神をお参りしている者達よ、あなた方は神を知らないではないか。
 誰をお参りしているのです?

 しかしイエスはその前に、こうも仰っている。
 「あなたがたはわたしを知っており、また、わたしがどこから来たかも知っています」。
 目の前にいるこの私は、もちろん知っているでしょう。
 「どこから来たか」、それも分かってますね。
 ただ、あなたがたには「どこ」が分からないのです。

 だから神にお参りに来た者達よ、私を通して神を知りなさい。

 ところで私は、神を見たことがない。触れたことも、御声を聴いたことも。
(こういうことを体験したと言う一群がいるが、警戒すること。)
 私に遺されたものは、聖書だ。
 四つの福音書は、イエスの言動を直接伝えてくれる。
 イエスに直接触れた人々の手による書簡群が、それを補強する。
 そして黙示録は、イエスについての希望を伝えてくれる。
 この聖書、わけても福音書によってイエスを知り、そのイエスを経由して神を知ることができる。
 そして、次のように聖書には書いてある。

 「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ17:3)


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