罪悪感というテコ

 「盗んではならない。」(出エジプト20:15)

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 私は小学生の時に、2回、万引きをしたことがある。
 いずれも100円くらいの少額のものであったが、いずれにせよ万引きをした。
 では何故2回で終わったのか。
 それは自分にとって面白いことではなかったからだ。
 それどころか、当時は知らなかった言葉であるところの罪悪感を覚えて、今に至るまで尾を引きずっている。
 当時は聖書や律法ということを全く知らなかったが、このときわき上がった罪悪感こそ、テコなのだと思う。
 つまり、このテコこそ、ずっと経ってから教会へと向かわせ、聖書に進ませ、律法を知ることとなるのに不可欠なものだった。

 そうすると、人には既に、救いへの最初のテコである罪悪感が備わっているのではないだろうか。
 罪深い存在ではあってもこの自分をお造りになったのは、十戒を授けた創造主なのだ。
 その創造の御業のときにあたかも刻印を押したかのように、このテコを備えてくれたのかもしれない。

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[一版]2018年 8月26日
[二版]2019年 8月11日(本日)

 健やかな一日をお祈りします!

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