求める救い

 「彼らはこう言うのです。
 「われらはこの舌で勝つことができる。
 われらのくちびるはわれらのものだ。
 だれが、われらの支配者なのか。」

 主は仰せられる。
 「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、
 今、わたしは立ち上がる。
 わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」(詩12:4-5)

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 主は、悩む人や貧しい人を救いに入れよう、そう仰る。
 救い、とは何だろうか。
 悩みの解決であろうか。
 豊かになることだろうか。
 しいたげからの解放だろうか。
 そういった事々の一番根っこの部分である「いのち」の回復、それが救いである。

 悩む人も貧しい人も、またしいたげる人も、神の御前に罪深い存在であることに変わりはない。
 だがその罪深い肉は、キリストの十字架と復活によって赦される。

 「だれが、われらの支配者なのか。」と偉ぶる人々さえ、罪に気付いて赦しを欲する時はある。
 そのときには、ただ神の御恵みによってキリストと出会うこともある。

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