肉の思いと御霊による思い

 「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
 肉にある者は神を喜ばせることができません。
 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。」(ローマ8:5-10)

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 御父の恵みによって御霊をいただいた私たちは、今まで通り肉を持ち続けながらこの御霊を宿している。
 肉の思いが湧き出るこの身は一方で御霊による思いに突き動かされる。
 まさに「からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きてい」るのである。
 だから、その人がキリストのものかどうかは外側からは分からない。
 むしろ、外側から分かるのはその人の肉だけで、キリストのものであるその人は、内側のものによってゆるぎない歩みをしているのである。

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 健やかな一日をお祈りします!

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