愛のない者に神はわかりません

 「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」(1ヨハネ4:7-11)

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 「愛のない者に、神はわかりません」とは、対偶を取ると、神を知る者には愛があるという意になる。
 では、神を知る者とはどういう人たちであろうか。
 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました」、このような過去がある人たちである。
 そして、「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し」たとあるのと同じで、『いのち』は自ら獲得するものではない。御父から一方的に与えられるものである。

 愛という言葉を、実は私は厭っている。
 あいまいで、ごまかされている感覚すらある。
 だが思うに、自分が自分のことについてどうこうすることは、愛という言葉には含まれないだろう。少なくとも、自分が他人にどうこうする何かのはずだ。それなら自分も多少はできる。
 それは多くの人がそうだと思うが、それにしてはあの歩きスマホはどうしたことだろう。

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 健やかな一日をお祈りします!

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