相手の側に重心を置く

 「あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。」(1ペテロ1:22)

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 私はもともと身勝手で、人のことなど考えることの少ない人間だ。
 だから、愛という言葉がまるでわからない。
 世間一般に言う愛についても、また、聖書に言う愛についても、まるで分らなかった。
 アガペーとかフィリアとか言われても、戸惑うばかりだったし、この「兄弟愛」ということばなどは、戸惑いの最たるものだった。

 しかしこんな私もいたずらに歳を重ねた訳ではなく、1つ分かったことがある。
 それは、相手の側に重心を置くことを意識するということだ。
 このことについてはいろいろな言い回し、たとえば相手を思いやるなどがあるが、自分に最もしっくりする言葉は先の「重心」の例えだ。
 それまでは自分に重心を置いて相手から身を守ることばかり考えてきた。
 愛とは何かはいまだに謎だが、自分を守ることばかり考えていたら、それは愛からほど遠いのは明らかだ。

 私はもともと身勝手で、それは今も変わらないのだが、上の聖句が読み手自身の身の振り方のことよりも、読み手の相手についてのものだということは分かるようになった。
 ギリシャ語の意味や翻訳や分類などより、今日も相手の側に重心を置くことを心がけよう。

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 健やかな一日をお祈りします!

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