肉の思いは神に敵する

 「肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。
 なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。」(ローマ8:6-7口語訳)

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 アダムの肉が指向する方向は、どこまでも神に敵する。
 「神の律法に従わず、否、従い得ないのである」。
 神に敵していては、平安であろうはずがない。
 また、生きてはいても死んでいる。

 そのようなアダムの肉にとって必要なことは、なにより、この神との和解である。
 その和解を成就するために御子キリストが受肉して来られ、十字架に架かり復活された。
 キリストは、罪の肉を私たちの代わりに処分したのである。
 このキリストのわざを、恵みによって信じる私たちは、神と和解することが叶う。
 そのとき、私たちははじめていのちを得、平安を知る。
 私のアダムの肉は、罪赦されて解放されたのだ。

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