イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
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肉と御霊
「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。」(ローマ8:13)
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アダムの肉にしたがって生きる者は、かならず死ぬ。
この肉にあがなおうとしても、また、律しようとしても、律法に従うことはできず、かならず死ぬ。
肉によって肉を律することは、できないのである。
一方、キリストを信じる私たちは、その十字架の死によって、「キリストとともに葬られた」(ローマ6:4)。
しかし、キリストと共に葬られた私たちを生かしているのは、私たち自身の力によってではなく、キリストを十字架の死から復活させた御霊によってである。
「からだの行ないを殺す」のは、自身の肉の努力などによってではできず、この御霊がそのように働いてくれるのである。
そのような類の御霊による働き、自分自身のものではない生かす力を、「いのち」というのだろう。
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アダムの肉にしたがって生きる者は、かならず死ぬ。
この肉にあがなおうとしても、また、律しようとしても、律法に従うことはできず、かならず死ぬ。
肉によって肉を律することは、できないのである。
一方、キリストを信じる私たちは、その十字架の死によって、「キリストとともに葬られた」(ローマ6:4)。
しかし、キリストと共に葬られた私たちを生かしているのは、私たち自身の力によってではなく、キリストを十字架の死から復活させた御霊によってである。
「からだの行ないを殺す」のは、自身の肉の努力などによってではできず、この御霊がそのように働いてくれるのである。
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