年度の変わり目に本棚の整理をしていたら「西郷南州遺訓」が出てきました。
西郷南州というのは西郷隆盛のことで、南州というのは彼の雅号。「南州」とだけ書かれた書が残されています。
さて「西郷南州遺訓」は「南州翁遺訓」などとも言われますが、出羽の旧庄内藩主の酒井忠篤は明治三年に部下とともに鹿児島に向かい、藩士約八十名で軍事教練を受けます。
このときの縁で、後に西郷隆盛が征韓論で敗れて鹿児島へ戻っていたときに、旧庄内藩士が隆盛を訪れていろいろな話を聞き、教えを乞うていました。
西郷隆盛は西南戦争に敗れて官位を剥奪されていましたが、明治二十二年に大日本憲法が制定された折に名誉を回復し、上野に銅像が建てられました。そしてこのときにかの酒井忠篤が発起人のひとりとなって、西郷隆盛の生前の教えをまとめさせたものがこの「西郷南州遺訓」というわけです。
全体は41条と追加で3条があるという短いものです。しかしその一言一言に含蓄があって、なるほど、単にはずみで明治維新をくぐりぬけた人というのではなく、世の中の道理や為政者のあるべき姿を多くの書物で学んで自らの中に体現した、まさに日本の歴史上まれに見る英雄であることが良く分かります。
四 万民の上に立つものは、己を慎み、品行を正しくし、ぜいたくを戒め、倹約に努め、仕事に勤労して人民の標準となり、下々の民がその勤労を気の毒に思うようでなくては政治を行うことは難しい…
二十五 人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くして人をとがめず、我が誠の足りないことを尋ねるべし。
二十六 己を愛するのは善からぬことの第一である。修業ができないのも、事が成就しないのも、過ちを改めることができないのも、手柄を誇り驕慢になってしまうのも、みな自分を愛するからである。
三十 命もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものだ。この始末に困る人でなくては、艱難を共にして国家の大業をなしえることはできない…
たまにこういう古典を読み直すと改めて心が震えます。しかし実際は、いくら読んでもすぐに忘れてしまう情けない自分です。
せいぜい良書は手に近いところに置いて、何度も読み返すように努めます。
整理しようとしてこういう本を見つけると、また読みふけってしまって整理ができないんですが…(笑)