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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

札幌ファクトリーでオホーツク気分

2010-06-20 23:55:55 | Weblog
 うちの奥さんと札幌ファクトリーの映画館で「アイアンマン2」を観て来ました。

 アイアンマンは元々アメリカンコミックとしてできあがっていたヒーローなので、DVDで観た第一作は立地で型破りではちゃめちゃな主人公トニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)とオリジナリティあふれるヒーロー像がものすごく面白く、ちょっと控えめな美人秘書のミス・ポッツ(グィネス・パルトロウ)も素敵で良い作品でした。

 三部作が作られると言うことが決定しているシリーズ第二作目ということで、新たな美人キャラクターとしてスカーレット・ヨハンソンも加わり話題性もあります。

 しかし第二作は第一作目ほどの強烈な印象がちょっと少なかったような気がしました。

 アクションシーンをたくさん見せようとするためか、ストーリーの進行の必然性がややはしょり気味なところがちょっと気になりました。

 でも三部作目につながる余韻のラストで、次もまた観たくなることでしょう。

 どうやったらキャラクターが独り立ちして人気が出るのか、と考えてしまいました。ハリウッド映画はキャラクター設定が上手なんですね、やっぱり。

      ※     ※     ※     ※     ※

 同じ札幌ファクトリーでは昨日と今日にかけて、道庁オホーツク総合振興局の主催する「オホーツクフェアin札幌2010」が開かれていて、同局の知人のS係長を訪ねて歩きました。

 目玉はオホーツク自治体の美味しい食べ物。私たちは北見塩焼きそばを買いましたが大きなホタテが二個も入って大満足。

 ほかにもSさんのお勧めで、午後にあう弟家族のために遠軽町ノルディックファームの半熟チーズケーキとオホーツク牛乳プリンを買い求めました。




 地方の美味しい商品って、こういう機会で知人から「これがお勧めですよ」と言われなければなかなか買うことはおろか、接することもできません。

 聞けば、このイベントもとりあえず三年間の支援事業が今年で終了するのだとか。「来年以降はこれまでの成果をまとめて、予算支援のあり方も含めて検討します」とのことですが、是非続けてほしいものです。

 道内の人が道内の産物を知らないというのも残念なことですから。

 オホーツクに美味いものあり、です。

【出店された品々はこちら】



http://www.okhotsk.pref.hokkaido.lg.jp/NR/rdonlyres/1D5C2FAD-17A2-42FE-BFAA-5B0FD1ABA962/0/OKHOTSK.pdf
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明日の日本を支える一歩

2010-06-19 23:38:08 | Weblog
 ワールドカップ南アフリカ大会、日本対オランダ戦は善戦むなしく0-1での敗退に終わりました。勝負は時の運とはいえ、ボールはかなりオランダ側に支配されていたなかでワンチャンスで得点されてしまい、一方日本側は攻め込んでも得点はできず残念でした。

 この敗戦を引きずらず、最後のデンマーク戦に全力を注いでほしいものです。

      ※     ※     ※     ※     ※

 今日は快晴の一日となりましたが、私が評議員をしている小学校で運動会がありました。

 市内の小学校の中には5月末に運動会をしているところが多いのですが、この学校ではこの時期に設定しています。

 学校の知り合いの先生にその訳を尋ねると、「5月末に運動会を設定すると、事前の練習が5月の連休後になります。その頃はこのあたりではまだまだ寒い日々が続きますし、運動会当日も寒いことがあったりします。この時期だったら練習もそれほど寒くありませんしね」とのこと。季節の当たりはずれが多い春先です。

 紅白それぞれのチーム対抗の応援合戦では新しく入ってきた1年生を大いに持ち上げます。





「今年はー、今まででー、最強の一年生がー、入ったのだー!」
「こっちこそー、最高のー、一年生が入りー、チーム力は無限大なのだー!」

 やや緊張気味の一年生たちも練習の成果を大いに発揮して、進行役の声に従って整列し、校歌を歌い、旗を振り、応援の腕を振り上げて声援を発します。

 こんなに小さく子供たちが的確に団体行動が取れるようになるというのはまさに教育なんだなあと改めて思います。

 かけっこに速い遅いはあるけれど、ちゃんと全体行動の中で動いているのですから立派なものです。

 この中から未来のサッカー日本代表だって出るかもしれないのです。明日の日本を支える小さな一歩がたくさん見られました。 
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「安定」はどこへ行ったのかなあ

2010-06-18 23:37:29 | Weblog
 地方自治体の方と最近の補助金や交付金に関して意見交換をしました。

 『補助金』というのは、例えば道路で言えば「交通安全」や「バリアフリー」など、ある特定の政策を果たす目的のために予算を獲得して、それをやりたいという自治体に資金の支援をするというものです。

 それに対して交付金というのは、そうした特定目的にかかわらず実施する事業に必要な額に対してある程度自由な使い方を認めた資金を提供するというもの。

 「なんだ、どっちでも同じようなものじゃないか」と思う方もいると思うのですが、交付金は特定の政策目的に限らず、関連する事業に対してもある程度の支出を認めることでより自由な使い方になる一方で、特定の政策を進めようと言う国の意志は働きにくくなります。

 要は「必要だからください」と言われれば全体額を査定しながら渡すというもので、そこから先に対して国は口出しをしないと言う点で、ともすると無理して補助金がもらえる事業を作り出すようなことがなくなるというわけです。

 現場の詳しい話を聞かなくてもある程度のお金は来るので、地方自治体は楽になるかもしれませんが、その一方で、最前線の現場がなにをしようとしているのかという情報が入りにくくもなります。

 ある人は「肉体にたとえると、お金は行くから血は通っているんだけれど、痛いのかかゆいのかという神経経路が鈍くなっているようなものですかねえ。体の一部がしびれているような感じに似ているように思います」と言っていました。うまいことを言うものです。

      ※     ※     ※     ※     ※

 ところで地方自治体の中でも市町村の担当者はこうしためまぐるしい支援制度の改訂をどう思っているのか、と尋ねてみると、どうもあまり最新の情報を持っているとはいえないのだとか。

「あんなにめまぐるしく制度が変わってしまったのでは理解してくださいという方がどだい無理ですよ」

 そして新しい制度を熟知していないために、もっともらえるお金を逃していたり、もう自由にやっても良いことに対して自分たちでたがをはめてしまってできないと思いこんでもいるとか。

 「使いやすい」という単語には、実は使い道の拡大だけではなくて、安定的で慣れ親しんでいるという要素もあるのでした。

 パソコンだって新しいものが出たら(もちろん予算の制約もありますが)すぐに乗り換えたりはできません。私も未だに昔の部品をかき集めた古いパソコンを使っていますが、今のところ不自由しないし。

 分からないことには積極的にチャレンジしよう、と言っても、時間と理解力と忍耐力いう資源に限界があるのかも。

 最近は『安定』という単語が忘れられすぎているように思います。

      ※     ※     ※     ※     ※

 ところで今日は私の身の上にちょっとしたサプライズがありました。まだお話しできませんが近日公開できるでしょう。もう知っている人も多いかもしれませんがばらさないでね(笑)

 ふむふむ、そう来ましたか。うーん、人生はやはり面白い。

 
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はやぶさに見る日本人精神

2010-06-17 23:45:21 | Weblog
 去る6月14日は、小惑星イトカワまでの長旅を終えた惑星探査衛星はやぶさが地球に帰還した日でした。

 大気圏突中前にイトカワの天体試料が入っているかもしれないカプセルを分離したはやぶさは、地球の大気に抱かれて燃え尽き、まさに天に召されたのでした。

 ところで、宇宙物理学という科学の粋を極めた人工衛星でありながら、その運用はトラブルの連続でいつ失敗してあきらめても不思議ではない日々の連続でした。

 そんな気持ちをやすらげたのがやはり神仏の世界だったとは…。


=========【 ここから引用 】=========

【読売新聞】はやぶさ中和器故障、「中和神社」参拝しお札
  打ち上げから7年ぶりに地球に戻った小惑星探査機「はやぶさ」
http://www.yomiuri.co.jp/space/news2/20100615-OYT1T00383.htm

 帰還を待ちわびた宇宙航空研究開発機構の相模原キャンパス(神奈川県相模原市)運用管制室には、計画を率いる川口淳一郎教授が岡山県真庭市蒜山下和にある中和(ちゅうか)神社で買い求めたお札が飾られていた。途中、エンジン故障などで継続が危ぶまれたが、同神社の入沢喜一(よしかず)宮司(44)も“快挙”を喜んだ。

 同機構や入沢宮司によると、故障などでエンジン4台のうち2台しか使えなくなっていたはやぶさは昨秋、さらに別の1台が主要な機器である中和器の劣化から自動停止。

 お札は「中和器に御利益があるかも」と、11月中旬に川口教授が自ら同神社を参拝し、ポケットマネーで買い求め、管制室に「飛不動」「飛行神社」など、他のお札とともに飾られたという。

 入沢宮司は「はやぶさが帰還して良かった。成功は川口教授らの努力のたまもの。その成功に中和神社が少しでもかかわれ、名誉なことです」と話していた。         (2010年6月15日18時05分 読売新聞)

=========【 引用ここまで 】=========

 中和器の故障をお払いするために中和神社に詣るとは、いかにも日本人らしい振る舞いです。しかも飛不動さんのお札ももらってあったというので、神でも仏でもなんでもいい、という神仏習合の精神も実に日本人らしくて思わず笑みが浮かびます。


 また「日本人らしい思い」と言えば、大気圏突入の間際の最後にはやぶさが地球を写したという記事がこちら。

 はやぶさはその段階で姿勢制御エンジンが全て故障していたのですが、「もう一度はやぶさに地球を見せてあげたいという」スタッフの思いから、最後に残った生ガスを放出して姿勢制御を試みて写したのがこの写真。





http://kumanichi.com/news/kyodo/science/201006/20100613003.shtml

 はやぶさが最後に見たものはふるさと地球で、母港の内浦湾も写っているのだそうです。

 「最後に地球を見せてあげたい」なんて、機械を機械と思わない日本人の性格がここにきわまった感じがありますね。

 うーん、泣けるなあ 
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北海道観光のさらなる可能性

2010-06-16 23:50:47 | Weblog
 仲の良い新聞記者の友人が、今度は観光の担当として現場に復帰するという報せを受けて、「じゃあお祝いをしよう」ということになり、観光関係の人脈を集めた飲み会を開きました。

 道庁のエースやら民間観光事業者、まちづくり支援の方などが集まってにぎやかな会合ではいろいろな情報とアイディアが集まりました。

 民間の方は、「なんといってもアジアの北海道に対する憧れはすごいものがあるのに、道内の関係者はそれを軽く見過ぎていますよ。沖縄はアジアから見ると同じ熱帯で面白くないけれど、北海道こそまさに異国なんですよ」とのこと。

 さらに「特に香港や中国資本は道内の不動産を買いあさっていて、驚くようなところが買われています。実は私も関係するある湖の周辺を紹介したところ」なんだそう。
「ほほう、そこは中国の方は買ってくれましたか?」

「いえ、『風水が悪い』そうでやんわりと断られました(笑)」 
「風水がでましたか、それじゃだめですね(笑)」

 国が違うといろいろな価値観があるものです。

      ※     ※     ※     ※     ※

「道内の温泉も、普通に入って嬉しい、などという時代ではないんですよ。もっと他の地域との差別化をしなくては」
「例えばどんな?」

「混浴の奨励ってどうでしょうかねえ。案外それが楽しいという層はあると思うんです。家族風呂のように一定時間をシェアするような個室の温泉などがよいと思いますがねえ」
「混浴ですか、確かに江戸時代から明治にかけても何度も禁止令が出されていますが、時には女性の方から『なぜ禁止するのだ?』とクレームが出て明治の末までなし崩し的に行われてきた入浴週間だと思うと、日本人の本能にあっているのかもしれませんね」

「女性も一枚はおるような入浴用の湯着を開発するとかね。もっと色々考えたいものです」 

      ※     ※     ※     ※     ※

 さらにはこんな話も。

「北海道の地名って面白いじゃないですか。やはり極めつけは『増毛』が面白いと思うんですが、小樽の毛無(けなし)峠~洞爺の有珠(うす)~増毛(ましけ)というツアーなんてどうでしょうかね。だんだん増えてゆく感じで御利益もありそうなんですが」
「いやそれは…洒落で終わりそうですねえ(笑)」

 北海道観光ってまだまだ可能性があるように思いましたよ。 
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北海道神宮と開拓神社

2010-06-15 23:59:15 | Weblog
 毎年6月の14~16日、札幌では北海道神宮例祭が行われます。このお祭りは北海道の初夏の訪れを告げる風物詩でもあり、円山の北海道神宮と市内中島公園にたくさんの露店が出て市民を喜ばせます。

 北海道神宮は明治の初めに札幌神社と呼ばれ、開拓の神様である大国魂神(おおくにたまのかみ)、大那牟遅神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなびこのかみ)の開拓三神をお祭りしていたのですが、その後昭和39年に日本の開国を決断された明治天皇を合祀して北海道神宮とその名を改めたのでした。

 北海道神宮は、北海道の開拓を見守ってくださる心のよりどころなのですが、さらにこの境内には、昭和13年の北海道開拓七十周年記念の年に開拓功労慰霊祭を執り行い、同年に開拓に功労のあった三十六人を選定し、奉斎神としてお祀りをする『開拓神社』も鎮座されています。

 御祭神はその後昭和29年になって十勝地区の開拓に大功労のあった依田勉三を加えて三十七柱となっています。(『柱』とは神様を数えるときの数詞)


 さて、その三十七柱の開拓諸祭神を列挙すると、
吾妻謙命、伊能忠敬命、井上長秋命、岩村通俊命、岡本監輔命、黒田清隆命、小林重吉命、近藤重蔵命、佐藤信景命、佐野孫右衛門命、島義勇命、清水谷公考命、下国安芸命、鈴鹿甚右衛門命、栖原角兵衛命、高田屋嘉兵衛命、武田信広命、田崎東命、伊達邦直命、伊達邦成命、田村顕允命、続豊治命、中川五郎治命、永山武四郎命、鍋島直正命、早川弥五左衛門命、東久世通禧命、本多利明命、松浦武四郎命、松川弁之助命、松田伝十郎命、松前慶広命、松前徳広命、間宮林蔵命、村山伝兵衛命、最上徳内命、依田勉三命ということになります。

 これらの中には、江戸の中期から後期にかけて北海道探検に功労のあった、最上徳内、近藤重蔵、伊能忠敬、間宮林蔵、松田伝十郎(間宮とともに樺太探検に功績があった)、さらには、田沼意次に江戸開拓を進言し人物として最上徳内を推薦した本田利明、そして北海道の名付け親でもある松浦武四郎の名前なども見られます。

 この皆さんの開拓への功労については異存があるものではありませんが、やはり先日書いた天命年間の蝦夷地探検の功労者については何も記載がありません。

 北海道を初めて船で一周したのは佐藤玄六郎だろうと言われていますが、残念ながら田沼意次を追い出した松平定信によって歴史的には抹殺されていた期間が長いためになかなか人に知られていないのです。

 全ては生き残って記録を残した人だけが後世の人々の記憶に残ることになるのでしょうけれど、歴史をもう少し詳しく紐解いて、功労のあった先達を正当に評価したいものです。

 北海道神宮の例祭は明日までです。
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国の仕事って

2010-06-14 23:09:27 | Weblog
 今日は日帰りでの東京出張。今日で河川部門の予算要求説明を終えました。

 説明の合間を縫って、昔からの知人を訪ねてみるとなにやら浮かぬ顔。どうしたのかと訊いてみると、「国交省内の公開行政レビューの結果、数年前にやっとのことで予算化した事業が『廃止』の憂き目にあってしまいました』とのことでちょっと落ち込んでいる様子。

「新しい社会課題を見つけてそれに対する解決する政策を提案し、それを財務省を説明して予算をつけてもらって事業化することが社会への貢献だと思っていたし、それが仕事だったら深夜までの残業だって耐えられましたけれど、なんだか頑張れば頑張ったほどその結果に対して『何をやっていたんだ?』と言われてしまうみたいです(苦笑)」

 確かに新しい時代への課題はいろいろな地域の事情もあって多様なものです。それらに対して自治体でもいろいろな解決策を講じているのですが、実は自治体が条例で定める方策は、行政力としてはやや弱い部類に属します。真に課題が社会化しているか、またその解決方策は妥当なのか、ということに社会全体として国の法律としてのバックアップがないからです。

 地方自治体の新しい条例によってこれまでの権利を抑制されたりする立場の人たちから訴訟を受けたりして争いになることも結構あったりします。

 例えば、景観に関するまちづくりへの建築規制なども、いくつかの自治体で条例化して運用が行われていたのですが、次第にそれを採用する自治体が増えてきて、国全体の問題として考えるべきだという気運から景観法なる法律ができたのでした。

 そしてこのことで、景観というものが一定の価値概念を与えられ、まちづくりの重要な構成要素になるという時代が到来したのです。

 国の行う行政のなかには、こうした地域ごとの問題から国全体の課題を捕らえて解決する法律を作ると言うこともあるのです。

 地方分権の名の下に、国が新しい提案をすることに躊躇したりモチベーションを感じなくなりつつあるようで、なんだか寂しいものです。

    ※    ※    ※    ※

 東京での仕事を終えて、最終一本前の飛行機で帰札。ワールドカップの対カメルーン戦に間に合いました。

 今日本が1-0で勝ちました!

 最後はガンガン押し込まれたけれど耐えに耐えた勝利です。次も頼むぜ!   
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炭鉱の歴史を知ろう

2010-06-13 23:43:13 | Weblog
 北海道に住んでいて、歴史的に遅れていることは多いのですが中にはとっても進んでいることもあります。

 例えば日本に鉄道が敷かれたのは、1872年の新橋~横浜間が最初なのですが、それに遅れること8年の1880年に、日本で三番目に敷かれた鉄道が小樽~札幌間で運行を開始し、その2年後の1882年には現在の三笠市の幌内までの間が開通しているのです。

 これはなんといっても、良質の石炭を掘り出すことが明治期の我が国の殖産興業に果たす役割が極めて大きかったからです。

。なかでも三笠の幌内炭鉱は極めてカロリーの高い良質炭を産出することが分かり、明治時代以来ここ北海道の空知地方を中心に石炭の掘り出しが始まりました。

 しかしエネルギーの元が石炭から石油の時代に取って代わられるようになり、石炭掘り出しに投資をしてきた大資本も次第に炭鉱(やま)を諦めるようになり、炭鉱の閉山が相次いだことで次第に炭鉱で栄えた地域のまちのあり方も暮らしのあり方も変わってきたのです。

 そんな「炭鉱の記憶」を、過去の遺産として未来へ受け継ぎ、未来への貴重な素材として活用し、地域の再生に役立てたいと思い活動しているのが、NPO法人炭鉱(やま)の記憶推進事業団で、その活動を紹介する拠点が、岩見沢市駅前にある「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」です。

    ※    ※    ※    ※

 北海道民として観光資源と言うよりもまず先人の歴史として、石炭について語らないわけには行かないわけで、一度は訪れて炭鉱採掘という暮らしの実相に迫ってみたかった私。

 先日知人にお願いをして、このマネジメントセンターの事務局にいるというSさんを紹介されておずおずと電話をしました。すると電話の向こうからは「え?こままさんでしょう?私昔仕事をご一緒したSですよ!」と明るい声が帰ってきました。

「ええ?なあんだ、Sさんだったんですか!?名前を聞いてどこかで聞いたことがあるなあと思っていたのですが思い至りませんでした。今度の日曜日にでも一度伺いたいのですがどうですか?」
「はい、日曜日だったら現地にいますのでぜひお越しください!」

 そんなやりとりで、今日やっとのことでこの「炭鉱の記憶マネジメントセンター」を訪ねることが出来ました。

 現地の事務所は、岩見沢駅前の商店街に建つ昭和初期の建物で、後ろには昔専売のタバコなどを保存した石蔵も併設しているなかなか趣のある建物です。




 車で家族と共に到着するとSさんが出迎えてくれて、様々な炭鉱に関する物語を紹介してくれました。

 幌内炭鉱を担った北海道炭礦(北炭)は官営鉄道も払い下げを受けて、多くの石炭を掘り出したのですが、炭層が斜めに入っていることから次第に掘り出しの主力位置が移って行き、そのための縦坑の位置が変わることで炭住による町も位置が変わった歴史があるのだとか。

 また北炭、三井、住友、三菱など各企業によるビジネスカラーというのがあって、当時の資料が散逸してしまった会社もあれば、実にきっちりと資料を残してくれている会社もある。

 また当時の炭鉱労働者というと搾取の対象となって酷い労働条件でこき使われたのかと思いきや、北海道の場合は炭住コミュニティは温かくて優しくて、良い思い出を語るお年寄りが多いこと。

 少し前までは、殉職された方も多かったことから地元自治体にとっては負の遺産という思いが強かったものの、NPOの活動や北海道遺産としての炭鉱の歴史に光が当たり始めたことなどから少しずつ地域の遺産としての価値を感じるようにもなってきたのだそうです。

    ※    ※    ※    ※

 センターの中には、空知地方に分散する炭鉱が残した遺産のマップや情報がパネルで展示されていたり、こうした活動を支援する芸術家や写真家、そして地域の炭鉱経験者などの活動が見られるようになっています。

 北海道の歴史遺産である炭鉱の物語ですが、決して暗いものではなく、まずはその実相に触れてみてドラマの数々に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。案外炭鉱について勉強したことがなく、実はほとんど知らない自分に気づくことでしょう。








 さて事務局長のSさんからは、お昼を食べるんだったら近くの純喫茶のランチが絶品だと薦められたのですが、今日は岩見沢名物「キジ(雉)ラーメン」にしました。これもキジだけに良い記事になるくらいのネタでした。

 Sさん、今日はお世話になりました。またゆっくりと話を聞かせてください。
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天明5(1785)年の蝦夷地大探検

2010-06-12 23:38:32 | Weblog
 日本がまだ鎖国をしていた江戸時代における蝦夷地の探検の歴史を紐解くと、松浦武四郎や間宮林蔵、伊能忠敬あたりの名前がまず浮かびます。

 歴史にもう少し詳しくなると、近藤重蔵や最上徳内、高田屋嘉兵衛などの名前が次に浮かんでくることでしょう。

 さてそれでは問題です。蝦夷島から樺太、北方四島などを探検したという意味で、松浦武四郎、間宮林蔵、近藤重蔵、最上徳内という四人について、北海道で活躍した順番を時代の早い人から並べるとどうなるでしょう?

 正解は
①最上徳内→②近藤重蔵→③間宮林蔵→④松浦武四郎、という順番でした。

 これら4人の中では最も早く蝦夷地探検を行ったのは最上徳内なのですが、なんとその時代は天明5(1785)年と(1786)6年(ついで寛政5年)というわけ。

 実はこの天明年間の蝦夷地探検には壮大なドラマが潜んでいて、それが歴史から抹殺されているということをつまびらかにしたのが「天明蝦夷地探検始末記~田沼意次と悲運の探検家たち」という本でした。

    ※    ※    ※    ※




 この「天明蝦夷地探検始末記~田沼意次と悲運の探検家たち」という本は、先日白老のポロトコタンへ行った際に出口の売店の書家コーナーで見つけたもので、北海道探検の歴史に興味を持って眺めていた私の目にとまったのでした。

 著者は岩手県出身の高校の先生という、市井の著述家である照井壮助さんという方。

 元々は「蝦夷拾遺」と題された写本を見つけ、それが聞いたこともない青島政教という人の手による著作であり、しかもその本の成立は天明6(1876)年というではないか。
 そんな時代に蝦夷探検がなされたなどとは全く知らなかった著者は、始めは(偽書ではないか)とさえ思ったという。

 ところが中身を読み進むうちにその誠実な書きぶりに偽書の疑いは消え、さらに『徳内という若造が良い働きをした…」という下りにいたって、後の近藤重蔵による寛政の蝦夷探検において「最上徳内というものが天明の探検で蝦夷をよく知っていることから案内をさせた」という記述を確認して、実は天明の時期に一大蝦夷探検があった事実に確信を持ったのでした。

 それをきっかけにして、歴史家を訪ね歩き、全国の図書館に本を探し、古文書を読み進めてその探検の実像に迫ったのがこの本というわけです。

 私自身、最上徳内は近藤重蔵と一緒に択捉島まで探検したという漠然とした認識でしかなかったのですが、なんと寛政10(1798)年の探検に先立つこと13年前に、最上徳内は青島俊蔵や佐藤玄六郎などその後の歴史から抹殺された悲運の男達と共に蝦夷地のみならず樺太や北方の島々までの探検を行っていたのでした。

 この本の出版は1974年のこと。これだけの著作が市井の著述家によって35年以上も前に、しかもほぼ独学でなされていたことに敬意を表します。

 探検の実相については長くなるのでまた次回。

 本当に感動する蝦夷地探検大冒険の本です。
 
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官僚叩きのビジネスモデル

2010-06-11 23:26:13 | Weblog
 昨日の会合での私と宮本先生との会話の続きを一つ。

「それにしても官僚や役人へのバッシングというのはいまだに留まるところを知らない感じがするのですがいかがですか」と私。

 すると宮本先生は「それは、官僚叩きバッシングで利益を得るというビジネスモデルがあるからですよ」と一言。

「官僚叩きのビジネスモデルですか?」
「そう、それさえしていれば売れる新聞があるし、売れる雑誌もある。政党だって、官僚を叩くことを公約にしている政党もあるでしょう。それは、そのことによってある一定の割合の人たちから喝采を浴びて支持されると考えているからこその方向性の表明に違いありません。もう少しの間はそのビジネスモデルが使われるのではないでしょうか」

 官僚叩きで人気を得るというところまでは考えましたが、それがビジネスモデルなのだ、という発想はありませんでした。なるほど、ある行動が支持されそれで利益を得るという一連の行動は、実はビジネスモデルなのだという指摘は面白いものでした。

 まあそろそろ止んで欲しいと思うのですが、どうやったら止むのかという方策はまだまだ見つかりません。
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