goo blog サービス終了のお知らせ 

北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「安定」はどこへ行ったのかなあ

2010-06-18 23:37:29 | Weblog
 地方自治体の方と最近の補助金や交付金に関して意見交換をしました。

 『補助金』というのは、例えば道路で言えば「交通安全」や「バリアフリー」など、ある特定の政策を果たす目的のために予算を獲得して、それをやりたいという自治体に資金の支援をするというものです。

 それに対して交付金というのは、そうした特定目的にかかわらず実施する事業に必要な額に対してある程度自由な使い方を認めた資金を提供するというもの。

 「なんだ、どっちでも同じようなものじゃないか」と思う方もいると思うのですが、交付金は特定の政策目的に限らず、関連する事業に対してもある程度の支出を認めることでより自由な使い方になる一方で、特定の政策を進めようと言う国の意志は働きにくくなります。

 要は「必要だからください」と言われれば全体額を査定しながら渡すというもので、そこから先に対して国は口出しをしないと言う点で、ともすると無理して補助金がもらえる事業を作り出すようなことがなくなるというわけです。

 現場の詳しい話を聞かなくてもある程度のお金は来るので、地方自治体は楽になるかもしれませんが、その一方で、最前線の現場がなにをしようとしているのかという情報が入りにくくもなります。

 ある人は「肉体にたとえると、お金は行くから血は通っているんだけれど、痛いのかかゆいのかという神経経路が鈍くなっているようなものですかねえ。体の一部がしびれているような感じに似ているように思います」と言っていました。うまいことを言うものです。

      ※     ※     ※     ※     ※

 ところで地方自治体の中でも市町村の担当者はこうしためまぐるしい支援制度の改訂をどう思っているのか、と尋ねてみると、どうもあまり最新の情報を持っているとはいえないのだとか。

「あんなにめまぐるしく制度が変わってしまったのでは理解してくださいという方がどだい無理ですよ」

 そして新しい制度を熟知していないために、もっともらえるお金を逃していたり、もう自由にやっても良いことに対して自分たちでたがをはめてしまってできないと思いこんでもいるとか。

 「使いやすい」という単語には、実は使い道の拡大だけではなくて、安定的で慣れ親しんでいるという要素もあるのでした。

 パソコンだって新しいものが出たら(もちろん予算の制約もありますが)すぐに乗り換えたりはできません。私も未だに昔の部品をかき集めた古いパソコンを使っていますが、今のところ不自由しないし。

 分からないことには積極的にチャレンジしよう、と言っても、時間と理解力と忍耐力いう資源に限界があるのかも。

 最近は『安定』という単語が忘れられすぎているように思います。

      ※     ※     ※     ※     ※

 ところで今日は私の身の上にちょっとしたサプライズがありました。まだお話しできませんが近日公開できるでしょう。もう知っている人も多いかもしれませんがばらさないでね(笑)

 ふむふむ、そう来ましたか。うーん、人生はやはり面白い。

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする