goo blog サービス終了のお知らせ 

北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

富を再配分すると言うこと

2010-06-10 23:45:31 | Weblog
 まちづくり活動を中心にした交流会があって、いつもながらのお約束メンバーもいましたが、またまたいろいろな方に会えた充実した会合でした。

 この日のゲストの一人に北大の宮本太郎先生がおられました。私は宮本先生の「生活保障」という本を読んでいたので、この日はそれを持参してちゃっかりサインまでしてもらいました。てへへ

 宮本先生と話をする談になっての話題は「政府による富の再配分をいかにするか」という問題でした。

 資本主義社会は、放っておくと富める者はますます富み、困窮する者はますます困窮するという格差が生じる社会です。

 そこで富める者からは得られる富に対する税金という形での強制的な徴収を行い、困窮する者に対する保障として再配分を行い、国民の不幸を少なくし幸福を大きくする機能を負います。

 こうした富の再配分機能というものは政府にしかその機能がないのですが、直接的・間接的な再配分の形には、生活保護のように直接給付をする形もあれば、介護保険、健康保険への拠出、教育費用への補助金など様々な形があります。

 目に見える形での社会保障分野と言われるとこうした現金や補助に関するものが思い浮かびますが、実は公共事業だって地域への富の再配分の一翼を担っているわけです。

 しかも、困っているからもらえるというような所得保障の給付の形ではなくて、企業や個人の能力を活かして地域にインフラを整備するという、参加行為を通じてお金が地方に回るという形での再配分です。

 昔はそれがあまねく広範囲に配分されたのですが、費用対効果などの指標や必要性などをしっかりと説明することが必要になったり、その一方でインフラの整備率もある程度向上してきたことから、限界効用逓減の法則によって公共事業に対するニーズが低下してきました。

 そのことは逆に言うと、地域を改善する能力がありながらそれを発揮できる仕事はないという状況です。富は公共事業を通じた配分がしづらい時代になりました。



 こういう話をすると、宮本先生も「そういう富の再配分機能については確かにあまり語られませんね。もっと主張してみてはいかがですか」とおっしゃるのですが、公共事業関係者がいくら声を大きくして主張をしてみたところで、どうしてもお手盛りの感がぬぐえないというのも事実なのでしょう。

 利害関係のない第三者による評価というものが必要になってくる道理です。

      ※     ※     ※     ※     ※

 すると宮本先生は、「そういう話をすると、かつて大店法などで大型店が地域に立地するのを制限していた時代では、庶民は大型店で安く売っているジーパンを、地域のお店で少しだけ割高に買わなくてはいけなかったわけですね。たとえば大型店では千円のものが、商店街では千2百円で売っているというわけです」
「はい、確かに大型店は安売りをしますからね」

「ところが地域のお店としては、そういう値段で商品が売れるからこそお店が維持できているわけで、その差額の2百円分は地域内で自動的に再配分される地域消費税とも考えられるわけです」
「なるほど、そういう自動的な配分機能は安売りを認めることでどんどん削がれてくるわけですね。そして安いものを買ったことで得た余剰は実は新たな消費ではなく貯蓄に向かっているとも言えるでしょう」

 著名な経済学者のシュンペーターも、「ケインズ経済学は嫌いだけれど、貯蓄が経済を滅ぼすと言うことだけは分かった」というようなことを言っていましたが、回るお金が減ると言うことはやはり経済を阻害しているのだと思います。

 地域経済の中でも安売りが経済的余剰を奪っているのですが、政府や行政機能はそのすべてを代替できるわけでもありません。

 誰かの所得は誰かの借金であり、その逆も真、ということを考えると、国の借金はその分国民の貯蓄が増えていると言うことでもあります。

 好況か不況かによって政策を臨機に対応できることが大事なのであって、緊縮だけが全てではないし逆にばらまくだけが政策だけでもありません。このバランスが大切というわけです。

 そして借金はインフレによって規模が収縮してゆくものですが、デフレ環境ではそれもまた望めないという苦しい状況。

 経済も複雑に絡んでいるわけで、勉強が必要なんですね。

 真実はどこにあるのでしょう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする