最近は東大生でも大学入学後に壁にぶつかって真剣に悩む人が増えているそうです。
そうした学生に対して、東大大学院理学系研究科の上田正仁教授が、「考える力を深めれば知識は知恵に変わる」と題して、雑誌「致知」の11月号でアドバイスをしていました。
ちょっと長いですがどうぞ。
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学生と向きあって二十年になりますが、近年壁にぶつかって真剣に悩む学生や卒業生の姿を多く見かけるようになりました。大学を出て社会や大学院に進んだ途端、時には大学在学中に早くも挫折してしまうケースも多いのです。
私が奉職する東京大学の学生は頭脳の面では日本だけでなく世界でもトップクラスです。高校時代は成績優秀で、期待に胸を弾ませてやってきた彼らに何が起きたのか、また悩める学生たちのモチベーションをどう高めたらよいのか。それは長年の私の課題でした。
実はあるとき、ふとその壁の原因に気づきました。それは「評価のルールが突然変わる」という極めてシンプルな答えでした。大学に入学するまでのほぼ唯一の評価基準は「勉強」です。答えが決まっている問題をいかに効率よく早く解けるかで評価が決まるわけです。
物心がついてからずっと「成績が良い事=優秀」という物差しで評価され続けてきたので、学生たちはそれが人生の成功の物差しであるような錯覚に陥ってしまうのも無理からぬことでしょう。
聞くところによると、塾に通う小学生は「三分間問題を考えて解けなければ答えを見なさい」と教わるそうです。高校入試では十分間、大学入試では三十分になるそうですが、要はそれ以上考えると試験に落ちる、という発想なのです。
ところが、大学ではどうでしょうか。専門分野では三十分どころか、何か月にもわたって一つのテーマを深く考え続ける力が求められるのです。そこには平均点や偏差値などという概念はありません。
極端なことを言えば、大学に入った途端、不得意な科目は全くできなくてもいいのです。「平均点が高い人よりも一つのテーマを深く掘り下げられる人」と評価基準ががらりと変わってしまうのです。
…これは社会でも同じです。「自分で課題を見つけて自分で考え、解決していく」。これがビジネスで、成功するための基本ルールです。
…しかもビジネスでも私の専門の自然科学の分野でも、問題が見つかったからといって、答えがある保証はないのです。人生で初めて答えの出ない問題に直面した若者が戸惑う理由もそこにあるのです。
それを防ぐには「評価の基準が変わる」という事実を、あらかじめ認識する必要があります。それを知るだけで心に余裕が生まれるのです。実際、私がその話を入学したばかりのフレッシュマンにすると、彼らの緊張した表情が和らぐのが分かります。ルールの変更に対する心構えができていれば、ほとんどの学生は柔軟に対応できるのです。
マニュアルどおりにやると必ず解答にたどり着けるという意味で、高校までの勉強の方法を私は「マニュアル力」と呼んでいます。これに対して大学の勉強では「自ら考え、創造する力」が求められます。ではマニュアル力は意味がないのかというと、そんなことはありません。
時折、受験勉強の弊害をあげて「受験勉強なんかは実社会では役に立たない」などと極論する方がいますが、それは明らかな間違いです。知識やノウハウなどのマニュアル力がなくてはいくら考えても何かを創造することは難しいのです。マニュアル力が考える力の基礎であり、考える力が創造力の土台となるのです。
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では実社会で必要な「自ら考え創造する力」はどのようにしたら身につくのかを考えてみましょう。
私はこれを
「問題を見つける力」
「解く力」
「諦めない人間力」
の三つに分けて考えています。
まずは「問題を見つける力」です。問題を解く人はいても、問題を提起できる人はずっと少ない。私は大学に入学して博士課程を取るまでの学生の成長を長年見てきましたが、自分で問題を見つける作業を経験した前と後とでは別人と思うほど実力と自信に差がみられることを実感しています。
「問題を見つける」訓練は創造的な見方を鍛える上でとても重要です。問題を見つけるために最も重要なのは「何が分からないかが分からない」状態を「何が分からないかが明確になる」レベルに高めることです。そうすれば、問題のありかが絞り込まれてくるはずです。
…ここで情報処理の極意というべきことをお伝えしましょう。それは集めた情報を丹念に読み込み、分析したり整理した後、理解した資料は手元に残さずに捨ててしまうことです。捨てるのは、頭の中を空っぽにし、いま直面している情報に意識を集中させるためです。
理解した情報を捨てていくと、残るのは「いまは理解できていない」「もっと考える必要がある」情報だけになります。
私の場合、薄いノートにそれを自分の言葉でメモし時間があるたびに読み返しますが、ごく限られた情報に意識を集中することが時としてブレークスルーに繋がることがあります。意識を極限まで集中したとき、それまでの知識が知恵に変わるのです。
中には「集めた情報をまた探すのは面倒」という方もいるでしょう。しかし、一度捨てた情報が必要になることは滅多にありません。同じ情報を探す手間よりも、読み切れない量の情報をストックすることで意識が分散するリスクの方がずっと大きいと私は考えます。
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問題が見つかれば、次にそれを「解く」という段階に入ります。しかし、それは自分自身が考え創造した問題ですから、答えはどこにもありませんし、それを解く方法も自ら編み出すほかありません。
ここではそのヒントの一つとして「キュリオシティ・ドリヴン」という考え方を紹介しましょう。
これは目標に到達するのに、ゴールとは一見関係のなさそうな方向に好奇心の赴くまま寄り道をしながら進むアプローチです。
これに対して国家プロジェクトのように目標を明確に定め、最短距離を一直線に進むやり方を「ゴール・オリエンテッド」と言います。
キュリオシティ・ドリヴンはゴール・オリエンテッドと比べて一見、非合理、非効率に見えますが、当初の目的に縛られない自由な歯層が得られるという特徴があります。
その好例は小柴昌俊博士です。博士はニュートリノの検出でノーベル物理学賞を受賞しましたが、博士がニュートリノを観測したのは陽子崩壊を検出するカミオカンデという全く別のプロジェクトにおいてでした。
小柴博士に限りません。世に言う大発見のほとんどは、このキュリオシティ・ドリブンによるものです。前を見て走っているときは目に留まらなかった道端の草花に好奇心を覚えて調べているうちに、思わぬ発見に繋がる、というのは実に興味深いことだと思います。
…自分で問題を見つけてそれを解く過程で、もう一つとても重要な鍵があります。それが三番目の「諦めない人間力」です。
…大発見の鍵を握るのは自分の可能性を信じてどこまで諦めずに前進できるのか、研究の志を抱き続けられるかであり、頭の良し悪しが問題ではありません。
失敗をしてもへこたれず、何度も粘り強く試行錯誤を繰り返すだけの執念や人間力が問われるのです。
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安易な成果を求めず、自分の可能性を極限まで追求したいという高い志を持って試行錯誤を続ける「諦めない人間力」は学問やビジネスの世界だけでなく人間の全ての営みに通じる創造力の源泉です。
いま社会は原発問題や財政・金融危機などマニュアル力だけでは立ち行かない状況に追い詰められています。ここで問われるのがまさに「自ら考え、創造する力」にほかなりません。
…どうしても打ち破れない壁にぶつかった時に、勇気をもって本来あるべき原点に立ち戻った時、新しい閃きが生まれる可能性が高まるのです。
ピンチの時こそ閃きは近い。
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いかがでしたか。
大学入試までと入ってからでは「評価のルールが突然変わる」というのは言われてみればその通りですが、案外その本質には気が付かないものです。
五月病なんてのも、そういうところに原因があるかもしれませんね。
キュリオシティ・ドリブンとゴール・オリエンテッドの違いについては、かつて私が「あなたは山登り派?それとも川下り派?」というブログ記事を書いたことがあります。
【あなたは山登り派?それとも川下り派?】2012-02-15
http://bit.ly/AykQRA
自分自身の短い人生では、怒ることが全て目標に予定通りに調和するなんてことは極めて稀です。
もちろん予定と目標のために努力することは立派なことですが、それだけではたどり着かないこともあるよ、というのが多くの先達のアドバイスでもあるということでしょう。
自分の人生の課題と全く関係のない趣味に没頭していて、周りから「そんなことしていていいの?」などと言われることがあるかもしれませんが、自分の人生の最終章までにはそれらが調和することになるのかもしれません。
物事は短期的な視野で捕えすぎない方が良いのではないでしょうか。
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