北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

両親の遺影、撮ってありますか?

2025-04-05 22:49:40 | Weblog

 

 今日の午後は妻と一緒に義母の元を訪ねてご機嫌伺に行ってきました。

 葬儀からまだ一週間の義母の家には葬儀社がつくってくれた祭壇があって、義父の写真が掲げられ葬儀の時の花もたくさん置かれています。

 祭壇は四十九日の法要まで飾っておかれるとのことですが、周りの花も生花なので次第に枯れた花びらが出始めてそれを少しずつ片付ける日々。

 義母を訪ねると追っかけ義姉も来て、皆義母が心配で様子を見に来たという感じ。

 義母も「たくさんの親戚が集まってくれて爺ちゃんは幸せだね」と口では言うものの、それは自分に言い聞かせているようでもありちょっとふわふわした感じが漂っています。

 義父母の家はわりと大きめの家で、生前は義父がゴミ出しや掃除などもやっていたのですがその手が無くなると果たして義母が身の回りのことをしっかりとやれるのか。

 幸いというべきか、まだ介護保険の要支援も必要のないほどに体も頭も動いているのですが、90歳過ぎの高齢ということもあり、少しの間様子を気にしてあげなくてはいけないでしょう。


        ◆


 ところで義父の遺影の写真がなかなかに良い写真で、葬儀の際も親戚一同で驚きの声があがっていました。

「これは良い写真だね」
「いつ、どこで撮ったの?」

 義母に聞くと、「数年前に爺ちゃんが突然、『おい、遺影を撮りに行くぞ』といって車で出かけて写真屋さんへ行ったんだよ。なんでも『額は有料だが写真撮影は"無料"なんだ』って言っていたよ」

 写真撮影は無料で額が有料というのは結局トータルではしっかりお金がかかっているわけで、年寄り狙いのビジネスのような気もしますが、それでも本人たちが納得して、結果的に良い写真が遺りました。

「婆ちゃんもあるの?」「あるよ、仕舞ってあるけど」

 義母の分もちゃんとあるようです。


        ◆

 すると義母が「正明さんのところはお父さんお母さんの写真はあるの?」

 考えてみれば10年以上前に私も両親を連れて写真屋さんへ行って両親の遺影を撮ってもらったことを思い出しました。

「そういえば撮りましたね。あれ、でもどこにあるんだろう。両親に預けたままでよくわからないな」

 気になったのでその場で母に電話をして訊いてみました。

「あ、母さん? 10年位前に遺影だと言って写真を撮りに行ったよね、あれはどこにあるか覚えてる?」
「うん、あるよ。仏壇の横に置いてある」

「ああそう、安心した。今度行った時に見せてね」「はいはい」

 実家にはちゃんと遺影になる写真がありました。

 それにしても撮影したのはいつのことだったかな、と昔のブログを探してみると…ありました! 

 記録は2013年11月のことで11年以上前のことです。

 その頃はまだ母も髪を染めていたりして若々しく、父もしゃんとしていて、もう今とはだいぶ違いますが、年寄りの写真としては十分でしょう。

 お願いした写真館では、後々有償でデータでも分けていただけるとのことでいざという時にも安心です。

 下手に親に言うと「縁起でもない」と言われそうですが、過去のブログを見ていたら、2013年9月にこんな記事を書いていました。

 

「自分自身のこの一枚~素顔間の決意」  

 この記事を読んだから当時両親を写真屋さんに連れて行く気になったに違いありません(笑)。

 もう自分も忘れていましたが、皆さんはご両親のちゃんとした写真をお持ちでしょうか。

 何かのきっかけになれば幸いです。

 

 

コメント
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