北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

穴守稲荷と海苔の神様

2008-05-17 23:53:51 | 東京ウォーク
 久しぶりの東京巡り。今回は行けそうで行けない大田区です。

 札幌に帰省するときは品川から京浜急行を使うことが多いのですが、品川から乗れば降りるのは羽田空港駅で決まりです。途中下車はしたことがありません。

 京浜急行線は、羽田空港までの途中に「穴守稲荷駅」という駅があります。神社フリークの私としてはずっと気になっていたのですが、なかなか行けずじまい。今回は意を決して穴守稲荷へと向かいました。

 とはいえ、自宅からだとさすがに遠いので、行きはJR川崎駅まで自転車を運び、そこで組み立てて、川崎市側から多摩川を渡って東京入りというわけです。

 あちらこちら周辺を巡りながらなんとか穴守稲荷に到着。こちらには奥宮があって、お稲荷さんならではの朱色の鳥居が独特の景観を形作っています。

  

  

 こちらの穴守稲荷神社は、もともとは今の羽田空港の敷地の中にありました。その地を開墾するのに堤防を築いていたのですが、ある時堤防の腹に大穴があいて堤防が破れそうになったときに、その穴の上に稲荷神社を祀ったところ、その後は堤防の破れもなくこの地は豊穣の地になったということで、その名も「穴守稲荷」と呼ばれ、地域の崇敬を大いに集めたのでした。

 その後、「穴守」という文字から女性の病に効くという風聞がたつようになり、女性、特に花柳界の女性たちからの支持を得て、大いに栄え、ちょっとした遊園地のような施設までできました。

 ところが大東亜戦争が始まると暗い世相となって休息に娯楽の場所としての人気が陰りました。そして昭和20年の敗戦を迎えると、進駐軍が羽田空港を拡張することを決め土地を接収。48時間以内に住民は退去せよ、という命令が下されて、元の場所を追い出されたのでした。

 その後地元の支援によって今の場所に移り、やがて社殿も復活して現在に至ります。

 狛犬のお狐さんがなかなかきりっとしたハンサムでした。

  

    ※    ※    ※    ※

 続いて足を伸ばして、「大森貝塚」や「大森の海苔」で知られる大森地区を散策。

 こちらには厳島神社がありました。境内は子供達が集まる格好の遊び場になっていて微笑ましい風景です。

  

 こちらの神社の御由緒を拝見すると、これまたなかなか由緒正しき神社です。こちらの神社はなんとあの源義経や弁慶が当時の玉川を舟で渡ろうとしたところ、折からの南西の風に煽られて漂流し始めたとのこと。

「これは困った」と、陸を眺めるとこんもりした森に社が見えてこれに無事を祈願したところ霊験あらたかにも無事風が治まって陸地につけたのでした。

 この神社こそこの厳島神社だというのですが、早速社殿の修理をして舟を止めたところには注連竹を作ったというのですが、そこからが面白い。

 あるときこの注連竹に黒い苔のようなものが付いていたので、村人が何かと思いきや結構な味がする。酢で食べるといける、というので、翌年に小枝をたくさん置いてみたところ、これにも美味しい黒い苔が付いたとのこと。

 そこでその後いろいろな工夫をすることで乾燥させた海苔として作り上げるに至り、鎌倉将軍にも献上。江戸時代には幕府にも献上して大森海苔として大森の名産品としてのブランドを確立したのでした。

 そんなわけでこの神社こそ大森海苔の守護神として今でも大切に祀られているのです。

 海苔にも守護神があるとは知りませんでした。でもこういう予期しない曰く因縁に触れることができると嬉しくなりますね。とにかく歩いてみるものです。
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