北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

バス一本で手塚治虫記念館へ行ってみる

2024-05-03 22:31:33 | Weblog

 

 さて、ホテルを阪神尼崎駅の近くに取った今日ですが、今日も予定を入れない余裕日程の一日でした。

 一夜明けて、さてどこへ行こうかと考えたときに、「そういえば宝塚ってここから近いよね。手塚治虫記念館へ行ってみようか」となったわけで。

 スマホの地図アプリで調べてみると、なんと阪神尼崎駅前からバス一本で手塚記念館のすぐ近くまで行けることが分かりました。

 バス停を見つけて折よく来た宝塚行きのバスに乗り込みましたが、予定では40分ほどで行けるはずの行程が、連休初日のお昼という事で高速道路までの道が大渋滞。

 予定の倍の80分ほどかかってようやく記念館にたどり着きました。

 思い返せば手塚治虫さんは、幼少期にここ宝塚に疎開していて多感な時期をここで過ごされたのでした。

 近くには宝塚大劇場もあり、おそらくは幼い手塚先生もここでのショーをご覧になったのでしょう。

 初期の名作「リボンの騎士」には、そうした女性が主人公になって男役で活躍をするという宝塚モチーフが生かされていると言えるでしょう。

 館内には、デビュー作にして大ヒットとなった「新寶島(しんたからじま)」など初期の原稿に始まって、子供心にノスタルジーを掻き立てられる鉄腕アトム、マグマ大使、ブラックジャック、そして未完のライフワークとなった「火の鳥」関連の資料が展示されていました。

 手塚先生は私のちょうど30年前に生まれていて、彼が青年期に力を注いだキャラクターはまさに私の年代のドンピシャ。

 小学校1年生に両親からもらったクリスマスプレゼントは、ビッグXの動くプラモデルだったことを今でも覚えています。

 
 今日の記念館は、ちょうど「火の鳥」の企画展が開催中で、セリフの部分に紙が貼られた直筆の原稿なども展示されていました。

 会場の映像コーナーでは、手塚先生に影響を受けた多くの漫画作家や文化人などへのインタビュー映像が流れていました。

 その中の一人である浦沢直樹さんが言っていたのは、「アトムとかジャングル大帝とか、今では巨匠と言うか漫画の神様の作品だ、と皆思っていると思いますが、あれを書いたときの手塚さんはまだ青年だったんです。だからまだうら若き青年が『世界を驚かしてやろう』と精魂を込めた作品だったんだということを思い出してほしい」と言っていたのが印象的でした。

 漫画のコマ割りからアニメーション化まで、およそ現代に通じる漫画文化を手探りで始めて、日本アニメの礎を築いた手塚治虫さん。

 胃がんのために亡くなったのは60歳の時でした。


       ◆


 あれだけ活躍された方でも、もう自分の方が歳上になっているのかと思うと複雑です。

 当時は平面での二次元キャラクターだったものが、今では立体化された人形で飾られていました。



 子供の頃のノスタルジーに浸れる時間でした。

 

 

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