北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

陽明学の真髄~「伝習録」を読む

2007-01-08 23:27:52 | 本の感想
 雪がないと言っていたら、夜からは雪が降り始めました。こりゃ積もるな。

【『伝習録』を読む~陽明学とは何か】
 経は一日うたた寝しながらの読書。年末から読み始めていた『伝習録』(タチバナ教養文庫)を読み終えました。

 伝習録は、明末に生まれ中国近世思想を代表する陽明学を開いた王陽明の語録です。
 
 儒教といえば、孔士、孟子に端を発する思想ですが、中国でも長く仏教に思想界の主導権を奪われていた時代がありました。それを儒教が奪還したのはひとえに朱熹(1130~1200)の活躍に他なりません。

 彼がその後の思想界に圧倒的な影響を与えたのは、『人間の人格的救済』と『政治的な有効性』という二つの焦点、古い言い方で言うところの『修己』と『治人』の二つの要素による思想構造を構築するのに成功したからだ、と言われています。

 王陽明は、この朱子学が全盛だった15世紀の末生まれ、始め朱子学を学んだものの、朱子学はその頃にはもはや教条化していたのでした。

 それは、今に例えると『思想的な既得権化』に陥っていたようなもので、新しい主体性を発揮し、民衆を救うことができなくなっていたのでした。

 王陽明はそこにおいて懊悩の末に、「我々の本当の姿は善である」として、我々は本来的に固有する善なる本性を自力で自己実現し、現実の不足や欠陥を救済することを主張したのでした。

 つまり我々の本当の姿を彼は「知」又は「良知」と言い、本来のこれらの善にもかかわらず、我々には後天的な欲や邪心があって、これにいたることが阻止されている。

 これらの後天的な力を排除して善なる知にたどりつくべきであるということを、「致良知」として主張し、同時にこれまでの朱子学の性善説はニセモノである、という論を立てたのです。

 今日彼の教えは「格物致知」「知行合一」「事上錬磨」などとして世に知られています。

 特に最後の「事上錬磨」は、「事において磨き鍛える」という意味で、「知ること」を優先させる朱子学に対して、あえて「知ることを優先しないように」との言い方ですが、これが返って、王陽明の激しく燃焼した生き方とも重なって、実践をことさらに強調する論として誤解を持って受け止められたところは、後の陽明学にとって多少の不幸な出来事でした。

     ※    ※    ※    ※

 この陽明学は、江戸時代になってようやく日本に渡来し、中江藤樹という理解者を得て、17世紀後半は日本における第一次陽明学ブームの様相を呈しました。

 その後18世紀なって一時振るわず、18世紀の後半になって再び、個人の魂の救済に関心が寄せられるようになり再び脚光を浴びることになります。

 人間が社会的存在か個人的存在か、という振り子には、歴史を見ると時代によって左右に振れることがよく分かります。  

 そしてその際の陽明学の影響を大きく受けたのが、何回かご紹介した『言志録』で有名な佐藤一斎先生や、大塩中斎(平八郎)です。

 大塩平八郎は大阪で乱を起こしたことから、「やはり陽明学は危険な思想である」と見られたこともありますが、明治期以降再び思想界を支えることになったのです。

 王陽明が繰り返し述べていることは、「本当の性善説」であり、人間の本質は完全な善であるので、根元的なところでは救われている。しかしそれは邪念によって覆い隠されたものであるので、自力によって自己実現・自己救済すべきだ、ということに尽きるでしょう。

    ※    ※    ※    ※

 ところで、私の敬愛する二宮尊徳は彼の報徳思想を「神儒仏正味一粒丸」と言い表して、様々な思想の良いところを併せ持ったものだ、と説明しています。

 しかし、もしかしたら彼の言うこの「儒」とは、陽明学のことだったのかも知れません。

 日本の思想史を概観するためには、圧倒的な人間力を発揮した王陽明のことと、彼の陽明学というものを忘れるわけにはいきますまい。

 やっぱり人間力なんだな。
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