昨日BBQをしながら娘夫婦と孫の学校生活について話を聞いていてちょっとしたショックを受けました。
それは「もうすぐ運動会だねー」という話のなかで、娘が「いやあ、今どきの小学校の運動会は、リレーがないんだって」と言い出したこと。
「ええ?運動会の花形種目と言えば、何と言ってもリレーでしょうが!?」
「ねー、でもないんだよ」
「どうして?」
「リレーの種目って先生への負担が大きいんだよ。選手を選抜して、バトンリレーの練習なんかは早朝練習になるし、働き方改革の一環でそういう先生への負担を減らしているんじゃないかな」
そういえば、今日の北海道新聞には、「運動会で弁当 今は昔?」というヘッドラインで、運動会を午前中で終わらせる学校が6割に上るという記事がありました。
これも、英語のために必要な学習時間を生み出すための苦肉の策のようで、学校教育に対する期待が大きいことが、従来からの伝統的な催しの実施に影響を与えているようです。
新しい時代の変化を受け止めるということは、新しい何かを入れて何かを捨てるという「スクラップ&ビルド」でしょうし、そこに働き方改革の波が押し寄せて、先生への過度な労働も制限しようとすると、自ずから学校で暮らす時間は短くならざるを得ないでしょう。
物理的な時間が減らされるのだとしたら、成果は与えられた時間をいかに効率的に使えるか、ということになりそうですが、生徒の性格や能力は人それぞれなのにね。
昔は親はもちろん地域のお楽しみイベントだった小学校の運動会も、様変わりしています。
体育の得意な子供たちが目立てる場所も少なくなっていくようです。