ゆうぽうとホール、2008年9月11日ソワレ。
美しい山間の村に、美しい娘ジゼル(この日は小出領子)が母親とともに暮らしている。森番ヒラリオン(後藤晴雄)は今朝も射止めた鳥を愛するジゼルの家にそっと置いていく。入れ替わるように立派な服装をした青年が現れ、小屋で村人ふうの服装に着替えて出てくる。彼こそ城主クールランド公爵の子息アルブレヒト伯爵(ウラジーミル・マラーホフ)で、ジゼルを見初め、変装しては村を訪ねていたのだ…振付/レオニード・ラヴロフスキー、改定振付(パ・ド・ユイット)/ウラジーミル・ワシリーエフ、音楽/アドルフ・アダン。1841年初演(振付はマリウス・プティパ)、ラヴロフスキー版は1944年初演、東京バレエ団では1966年初演。
『白鳥』と並ぶロマンチック・クラシック演目の定番作品ですが、かなり以前に観てそのときあまり感銘を受けなかったので、なんかずっと観ないできていました。CDも持っているんだけれどあまり聴いていなかったし…
今回はマラーホフのために腰を上げてみました。
総じて、ストーリーとしては単純ながらも心理劇としてたいそうおもしろく、セリフが聞こえてくるような繊細な演技に大変心惹かれましたが、踊りとしては意外に地味…ですかね?
ま、「グラン・パ・ド・ドゥ」と呼ばれるほどのこれでもかというアダージョがなくて私の好みとしてはさみしすぎる、というだけなのかもしれませんが。実はテクニック的に難しいことをやっているとかそういうことはよくわかりません、すみません。
でも、改定振付がなされているパ・ド・ユイットはなかなかに派手で、テクニックを堪能できました。中でも高村順子・中島周の組は秀逸で目を奪われました。
ジゼルの友人たちが踊るパ・ド・シスも呼吸の合い方が異常なくらい揃っていて、息を呑みました。二幕のウィリのコールドもすばらしかった。私は海外バレエ団ばかりを観るミーハーですが、日本人のこういうところは世界に誇れると思いました。自然に拍手がわくのも納得です。ABTのバタバタしたコールドなんかとはあり方がちがいました。
ミルタ(井脇幸江)も怖くてよかったなー。逆にバチルド(川島麻実子)はちょっと老けて作りすぎなのでは…お衣装とかのせいかもしれませんが。
今回がこのタイトルロール初挑戦というプリマは、音感がよくて愛らしくて正確で、とてもとてもよかったと思いました。
マラーホフのアルブレヒトは、ルグリの「愛を知らない、だから愛をもてあそんでしまった悲しい貴公子」というようなキャラ作りとは異なり、きちんとジゼルと恋をしていて、でも自分の正体のこととか婚約者のこととかは棚上げにしていた坊ちゃん育ちらしいところもある、ごく普通の青年という感じでしょうか。なんか歳とって怪我してちょっと筋肉落ちて痩せたかなというふうにも見えましたが、まだまだ匂う色気があるのはさすがです。でも踊りとしては意外に見せ場がないのがやはり残念か…ま、『ジゼル』はバレリーナのためのバレエ、とも呼ばれているそうですからね。ともあれ、何度もくたくたと倒れるさまがたいそう美しかったです。
ところで大ラスですが、ウィリたちが消えジゼルが消え、夜が明けてきて、墓の前にひとり取り残されたアルブレヒトだけが目覚め、花束として捧げた百合をつかみあげ、ぼとぼと落としながら立ち去りかけ、そして今一度後悔に倒れ伏して幕…となるのですが、ちゃんと泣き伏して見えればいいけと、絶望に死んじゃったように見えるとそれはちがうだろうな、とか思ってしまいました。
いっそあるブレヒトは、最後の数歩は、墓に背を向けて、上手奥、朝日の方へ歩き去っていくようにした方がいいのではないでしょうか。うつむきうなだれていてもいい。けれど彼は生きていくしかないのですから。
彼がまたジゼルの墓に詣でることもあるかもしれない、ないかもしれない。でも少なくとももう二度とジゼルは墓の前に現れることはないのだろう…そんなふうに思えて、その悲劇に泣きました。
うーん、実はいい演目じゃんねえ。初心者にもわかりやすいバレエだと思うし、また知人を誘って観たいです。
美しい山間の村に、美しい娘ジゼル(この日は小出領子)が母親とともに暮らしている。森番ヒラリオン(後藤晴雄)は今朝も射止めた鳥を愛するジゼルの家にそっと置いていく。入れ替わるように立派な服装をした青年が現れ、小屋で村人ふうの服装に着替えて出てくる。彼こそ城主クールランド公爵の子息アルブレヒト伯爵(ウラジーミル・マラーホフ)で、ジゼルを見初め、変装しては村を訪ねていたのだ…振付/レオニード・ラヴロフスキー、改定振付(パ・ド・ユイット)/ウラジーミル・ワシリーエフ、音楽/アドルフ・アダン。1841年初演(振付はマリウス・プティパ)、ラヴロフスキー版は1944年初演、東京バレエ団では1966年初演。
『白鳥』と並ぶロマンチック・クラシック演目の定番作品ですが、かなり以前に観てそのときあまり感銘を受けなかったので、なんかずっと観ないできていました。CDも持っているんだけれどあまり聴いていなかったし…
今回はマラーホフのために腰を上げてみました。
総じて、ストーリーとしては単純ながらも心理劇としてたいそうおもしろく、セリフが聞こえてくるような繊細な演技に大変心惹かれましたが、踊りとしては意外に地味…ですかね?
ま、「グラン・パ・ド・ドゥ」と呼ばれるほどのこれでもかというアダージョがなくて私の好みとしてはさみしすぎる、というだけなのかもしれませんが。実はテクニック的に難しいことをやっているとかそういうことはよくわかりません、すみません。
でも、改定振付がなされているパ・ド・ユイットはなかなかに派手で、テクニックを堪能できました。中でも高村順子・中島周の組は秀逸で目を奪われました。
ジゼルの友人たちが踊るパ・ド・シスも呼吸の合い方が異常なくらい揃っていて、息を呑みました。二幕のウィリのコールドもすばらしかった。私は海外バレエ団ばかりを観るミーハーですが、日本人のこういうところは世界に誇れると思いました。自然に拍手がわくのも納得です。ABTのバタバタしたコールドなんかとはあり方がちがいました。
ミルタ(井脇幸江)も怖くてよかったなー。逆にバチルド(川島麻実子)はちょっと老けて作りすぎなのでは…お衣装とかのせいかもしれませんが。
今回がこのタイトルロール初挑戦というプリマは、音感がよくて愛らしくて正確で、とてもとてもよかったと思いました。
マラーホフのアルブレヒトは、ルグリの「愛を知らない、だから愛をもてあそんでしまった悲しい貴公子」というようなキャラ作りとは異なり、きちんとジゼルと恋をしていて、でも自分の正体のこととか婚約者のこととかは棚上げにしていた坊ちゃん育ちらしいところもある、ごく普通の青年という感じでしょうか。なんか歳とって怪我してちょっと筋肉落ちて痩せたかなというふうにも見えましたが、まだまだ匂う色気があるのはさすがです。でも踊りとしては意外に見せ場がないのがやはり残念か…ま、『ジゼル』はバレリーナのためのバレエ、とも呼ばれているそうですからね。ともあれ、何度もくたくたと倒れるさまがたいそう美しかったです。
ところで大ラスですが、ウィリたちが消えジゼルが消え、夜が明けてきて、墓の前にひとり取り残されたアルブレヒトだけが目覚め、花束として捧げた百合をつかみあげ、ぼとぼと落としながら立ち去りかけ、そして今一度後悔に倒れ伏して幕…となるのですが、ちゃんと泣き伏して見えればいいけと、絶望に死んじゃったように見えるとそれはちがうだろうな、とか思ってしまいました。
いっそあるブレヒトは、最後の数歩は、墓に背を向けて、上手奥、朝日の方へ歩き去っていくようにした方がいいのではないでしょうか。うつむきうなだれていてもいい。けれど彼は生きていくしかないのですから。
彼がまたジゼルの墓に詣でることもあるかもしれない、ないかもしれない。でも少なくとももう二度とジゼルは墓の前に現れることはないのだろう…そんなふうに思えて、その悲劇に泣きました。
うーん、実はいい演目じゃんねえ。初心者にもわかりやすいバレエだと思うし、また知人を誘って観たいです。
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