シアターオーブ、2022年10月3日18時。
イギリス中東部の田舎町ノーサンプトン。老舗の靴工場「プライス&サン」で社長のミスター・プライス(松原剛志)が息子チャーリー(この日は小林佑玖)に靴の美しさを語る。しかし大人になったチャーリー(小池徹平)は家業を継がず、フィアンセのニコラ(玉置成美)とともにロンドンへ。その矢先にミスター・プライスが亡くなり、次期社長として帰郷したチャーリーの前には大量の返品と契約キャンセルの知らせが…
脚本/ハーヴェイ・ファイアスタイン、作曲・作詞/シンディ・ローパー、演出・振付/ジェリー・ミッチェル、日本語演出協力・上演台本/岸谷五朗、訳詞/森雪之丞。実話をもとにした2005年公開の同名映画を原作に、13年ブロードウェイ初演、16年日本初演、19年には再演されたミュージカル。全2幕。
16年の来日公演は観ていて、そのときの感想はこちら。日本版は初演も再演もチケットが取れなくて、春馬ローラ(城田優)は観られていません。合掌。CDは聴いています。
ところで公演は1日からやっていたはずですが、それはプレビューでこの回が初日だったのかしらん…カテコがネット中継されたりなんたりしていたようで、来日スタッフがステージに上がって挨拶したりもしていたので、そうなのかな? なので初演からのリピーターというか、ファンばかりが詰めかけている回だったのでしょうか? 私はまあ早めに観たい派ではありますがたまたまこの日が都合が良く、たまたまチケットが取れただけで、そして作品の中身は設定程度の記憶だけで例によって細かいところは忘れていたので、純粋にフラットに物語を楽しみたくて来たのですが…なんか、客席が熱すぎて違和感しかありませんでした。2階席で良かった、1階だと私はもっとアウェーだったことでしょう…
まず初めに、ドン(勝矢)がふらりと現れて、よくある携帯その他を切るようアナウンスするアレを小芝居として始めたのですが、彼が出てくるだけで1階客席からもうピーピーヒューヒュー盛り上がるわけですよ、コロナ禍のこのご時勢に声出して! まだ何が始まるか、彼が何をするかもわかっていないのに!
そして本編が始まってからも、ナンバーの前奏からもうすぐ手拍子が入るんですよ! ライブじゃないんですよ、ミュージカルなんですよ? まず歌を、歌詞を聞かなくちゃ何を訴えている歌なのか、なんの場面なのかわからないじゃん。まず聞いて、歌が2番というか2ターン目になって曲調もダンサブルになったら客席も一緒になって手拍子で盛り上げる…とかじゃないの? みんな内容はもう知ってるから芝居は観なくていい、ってことなの? マイク音響がしっかりしているから手拍子で歌詞が聞こえないということはありませんでしたが、でも私はまず歌を、歌詞を聞いて、歌うキャラの心情や主張を理解し、共感したらその想いを込めて手拍子したい。物語を、ミュージカルを観に来たんだもん。ライブに曲を聴きに来たんじゃないんだもん。だからナンバー終わりに拍手しただけで、手拍子はほぼしませんでした。2階席はオペラグラスを覗くのに忙しい観客が多く、あまり手拍子に参加していなかったので、浮かなくて助かりました。まあ周りがしていても私はしないときはあくまでしない派ではありますけど、周りの気を削ぐのも申し訳ないとは思っているので。
そして台詞も歌詞もどうも訳が良くなくて、さらに芝居の演出がわりと雑というか浅かったように感じられました。なので私は余計にこの作品世界に入りきれませんでした。ローラとドンがどう和解したのかもよくわからなかったし、チャーリーとローラの喧嘩も発端や経緯がよくわからなかった…ローラが父親にキスしたところは泣けたんですけどね。
また、ローラはまあああいうキャラだし、という気もしますが、チャーリーはなんであんなアメリカ~ンな口調なんだろう? イギリス人ですよね? 単に尺がないから早口でしゃべっているだけ? 日本人が日本語でしている芝居なんだから、もっと普通にしゃべればいいのでは…チャーリーって、イケイケでしっかり者のガールフレンドに引っ張られている、どちらかというと情けない、要するによくいるタイプの普通の、むしろややもっさりした青年、ってことなんだと思うんだけれど…イヤ別に多少軽妙で賢げに見えてもそういう演技プランならそれでもいいけど、とにかく私はあまり感心しませんでした。勝手に観たかったものを想定して、観たいものが観られなかったと苦情を言っているだけならすみません。
ローレン(ソニン)も、そういうキャラ設定なんだろうけれど、でもやはりちょっとオーバーアクションすぎませんかねえ…もっとフツーの女の子じゃダメなんですかねえ…そりゃソニンは何をやっても上手いし可愛いしそれはいいんですけれど、でもなんか…なんかなあ…ここが一番大事なキャラクターなんじゃないのかなあ、と私は思ったんですよね。
このミュージカルって他の作品よりだいぶ観客の年齢層が若いという調査結果があるそうだし、もしかしたら男女半々くらいが観に来ているのかもしれませんけど、そして彼らがまっすぐこの作品のメッセージを受け取れてエンパワーメントされている、というならそれでいいのだけれど…特に男子ね、世の中はまだまだ男社会なので、男が変わってくれないと話がホント進まないので、ローラの6ステップ・プログラムをちゃんと理解し実践してくれれば未来に希望がまだ持てる、と本当に思っています。でも、まだ、トータルではなんのかんの言っても女性観客が多いのでは、と思うとローレンが本当に大事なキャラクターになってくると思うんですよ。最終的に主人公とくっつく相手役だということも含めてね(作品のメッセージに反して異性愛主義的な見方で申し訳ない)。
とすると、たとえばミラノのローレンのドレスアップ姿ってあれでいいのか?ってことが気になるんですよ。金髪をアップにしてピンクのミニワンピのソニンはそら可愛いよ、でもローレンってそういうキャラ? それまでずっとTシャツにジーパンみたいなカッコだったのに? そりゃそれは職場で、汚れるからであくまで労働着で、ってのはわかりますよ。でもそういう女の子がドレスアップするとピンクのミニワンピ、ってのはそれこそ類型的すぎやしませんかね? もう今なら、「ローラが赤を好きなのはいい、男が赤を好きでも女が青を好きでもいい、でもそれは誰もが好きな色を好きでいい、好きなものを好きでいいということである。私はピンクが好きだ。私は私が女だからではなく、私が私だからピンクが好きなのである」という主張をするようなキャラにローレンをしないと、ここでピンクを着せるのはもうダメなんじゃないのかなあ?
さらに、みんながみんなキンキーブーツを履いてみせていくところで、ローレンだけがショートブーツなの。しかもスウェードみたいでラメとかは全然ついていないの、キラキラしていないのです。ドレスと合っていてそら可愛かったよ、でもここはそういうことじゃないんじゃないの? 私はこの作品世界ですら、女はブーツのスパンコールすら減らされるんだ、入試で女だけが点数引かれるヘルジャパン現実と一緒じゃん…!と絶望的な気分になりました。そのあとニコラやマギー(杉山真梨佳)たち工場の女性従業員たちがニーハイのブーツで現れるので、ならデザインのうちかとも思えるけれど、ならエンジェルスの誰かもひとりくらいショートブーツであるべきじゃない? ロングどころかニーハイであることがキンキーだというなら、ローレンのブーツもそうあるべきじゃない?
あとさ、LGBT差別に敏感でローラの「レディス・アンド・ジェントルマン~」に続く台詞をブラッシュアップしておきながら、イタリア人いじりはアレでいいんだ?となりましたし、試作品がローラの考える「レエェェェェッド!」じゃなかったのはわかるけど「小豆色はおばあちゃんの色」ってのは年齢差別なのでは? ある意味シックで素敵なワインレッドだったよ? ああいう色が好きな人だっているよ? そこはどうなの?
なんかホント全体に、もうちょっとだけおちついて、もっと丁寧に、繊細にやればいいのに、なんか浮かれて上滑りしてない? ヒューヒュー言えればそれでいいの? ホントに伝わってる? …って思っちゃったんですよね…面倒くさい、良くない観客で申し訳ありません。
でもやっぱり日本の社会はまだまだ幼稚で、この作品を受け止められる力がないんじゃないかと思うんだけど…たとえば話がセックスに関することになると客席が急にトーンダウンするじゃないですか。みんないたたまれないんですよ、恥ずかしくなっちゃうの。あたりまえのことだとおおらかに受け止める度量がないの、はしたないと後ろめたくなっちゃうよう教育されちゃってるの。あと、日本語の「セックス」には性とか性別といった意味を含有できていなくてほぼ性行為の意味しかないので、「セックスはヒールにある(SEX IS IN THE HEEL)」って歌われても意味が上手く伝わっていない気がしました。というかこの話って、もっと靴フェチの話だって振った方がいいんじゃないのかなあ? 冒頭でプライス社長が靴の美しさを熱く語り、ヤング・チャーリーが「でもただの靴だぜ?」みたくぼそっと言うくだりがあるけれど、あれは家業に誇りを持つ父親と家業にノー興味の息子、ってのもあるけど、靴フェチの男と朴念仁の男、あるいはセクシャルなことをきちんと愛し尊重できる大人と性的なことにときめいたり興味を持ったりする以前の子供、という意味の場面でもあるんじゃないのかなあと思うのですよ。だからもうちょっとだけ大人になったチャーリーが赤いハイヒールを履いてみちゃうんじゃないの? あれは彼は実はゲイだとか異性装願望があるとかいうことではなくて、性への目覚めそのものを表しているんだと思うんだけれど、これもなんかちゃんと伝わっていない気がするんですよね…靴はここでは性愛のシンボルなんだと思うのです。さらに、ハイヒールは女性が履くもの、という「決めつけ」がこの世にはある。でも身体が女性に生まれつかなくても、ハイヒールを履きたいと思う者はいる。この「決めつけ」をなくしてやりたい、だから性がヒールに宿っている、セックス・イズ・イン・ザ・ヒール…そういうことなんじゃないですかねえ。
キンキーという言葉の意味が本当のところどういうものかはネイティブでない私にはわからないのですが、ここでの靴が持たされたシンボルの意味を、まっとうに捉える文化が日本には残念ながらないのではないか、と私は思ったのでした。
だからこそもっといい訳で、なんなら言葉をもっと足して、もっと丁寧に芝居して誘導しないと、観客に作品の本質が伝わらないのではないかと心配なのです…少なくとも私はとても中途半端に感じられて、全然感動できなかったので。
最後に、チャーリーのスーツにトランクスにキンキーブーツってのは宣伝で見せすぎなくらいに見せてしまっているものなので、ミラノのショーの開演前にチャーリーが下半身をカーテンで隠してモジモジするくだりは即ネタバレで無意味なんだけど、演出としてそれでいいのでしょうかねえ…?
一部の変な春馬ファンが(ファンとも言いたくないけれど)悪く言っているらしいしろたんですが、さすがに歌も芝居もホント上手くて、デカくてインパクトがあって、とてもよかったです。小池徹平もソニンも、ドンもハリー(施鐘泰)も歌はみんな抜群に上手くてまったく危なげがなくて、そこは本当にノーストレスでした。シンディ・ローパーの楽曲ってけっこう難しいと思うんですよね、でもナンバーは本当にどれもよかったです。何故かスタッフ・クレジットにないセットもとてもよかった。エンジェルスのスウィング(シュート・チェン)までちゃんとビジュアルに入っているのも素敵だと思いました。
LOLA’S 6STEP PROGRAMは
Pursue the TRUTH.
LEARN something new.
ACCEPT YOURSELF and you’ll accept OTHERS TOO.
Let LOVE shine.
Let PRIDE be your guide.
You CHANGE THE WORLD when you CHANGE YOUR MIND!
です。4番目がいいよね、5と韻を踏んでるだけっぽいけど、そしてこれだけがやや抽象的でもあるけれど、だからこそキモなんだと思うのです。性愛より広い愛、それを輝かせること。今やアロマンティックやアセクシャルな人の存在も顕在化してきている時代で、でもセックスしなくても恋愛しなくても家族や友人への情愛は持つだろうし、そういう広い意味での愛、ラブを輝かせる、ってことです。そういう愛を全人類に普遍させていけたら、たとえば抗議運動を安易に冷笑する馬鹿も減ろうというものでしょう。愛を信じて未だ厳しいこの世界を生き抜いていこう、と改めて思うことは、しました。
イギリス中東部の田舎町ノーサンプトン。老舗の靴工場「プライス&サン」で社長のミスター・プライス(松原剛志)が息子チャーリー(この日は小林佑玖)に靴の美しさを語る。しかし大人になったチャーリー(小池徹平)は家業を継がず、フィアンセのニコラ(玉置成美)とともにロンドンへ。その矢先にミスター・プライスが亡くなり、次期社長として帰郷したチャーリーの前には大量の返品と契約キャンセルの知らせが…
脚本/ハーヴェイ・ファイアスタイン、作曲・作詞/シンディ・ローパー、演出・振付/ジェリー・ミッチェル、日本語演出協力・上演台本/岸谷五朗、訳詞/森雪之丞。実話をもとにした2005年公開の同名映画を原作に、13年ブロードウェイ初演、16年日本初演、19年には再演されたミュージカル。全2幕。
16年の来日公演は観ていて、そのときの感想はこちら。日本版は初演も再演もチケットが取れなくて、春馬ローラ(城田優)は観られていません。合掌。CDは聴いています。
ところで公演は1日からやっていたはずですが、それはプレビューでこの回が初日だったのかしらん…カテコがネット中継されたりなんたりしていたようで、来日スタッフがステージに上がって挨拶したりもしていたので、そうなのかな? なので初演からのリピーターというか、ファンばかりが詰めかけている回だったのでしょうか? 私はまあ早めに観たい派ではありますがたまたまこの日が都合が良く、たまたまチケットが取れただけで、そして作品の中身は設定程度の記憶だけで例によって細かいところは忘れていたので、純粋にフラットに物語を楽しみたくて来たのですが…なんか、客席が熱すぎて違和感しかありませんでした。2階席で良かった、1階だと私はもっとアウェーだったことでしょう…
まず初めに、ドン(勝矢)がふらりと現れて、よくある携帯その他を切るようアナウンスするアレを小芝居として始めたのですが、彼が出てくるだけで1階客席からもうピーピーヒューヒュー盛り上がるわけですよ、コロナ禍のこのご時勢に声出して! まだ何が始まるか、彼が何をするかもわかっていないのに!
そして本編が始まってからも、ナンバーの前奏からもうすぐ手拍子が入るんですよ! ライブじゃないんですよ、ミュージカルなんですよ? まず歌を、歌詞を聞かなくちゃ何を訴えている歌なのか、なんの場面なのかわからないじゃん。まず聞いて、歌が2番というか2ターン目になって曲調もダンサブルになったら客席も一緒になって手拍子で盛り上げる…とかじゃないの? みんな内容はもう知ってるから芝居は観なくていい、ってことなの? マイク音響がしっかりしているから手拍子で歌詞が聞こえないということはありませんでしたが、でも私はまず歌を、歌詞を聞いて、歌うキャラの心情や主張を理解し、共感したらその想いを込めて手拍子したい。物語を、ミュージカルを観に来たんだもん。ライブに曲を聴きに来たんじゃないんだもん。だからナンバー終わりに拍手しただけで、手拍子はほぼしませんでした。2階席はオペラグラスを覗くのに忙しい観客が多く、あまり手拍子に参加していなかったので、浮かなくて助かりました。まあ周りがしていても私はしないときはあくまでしない派ではありますけど、周りの気を削ぐのも申し訳ないとは思っているので。
そして台詞も歌詞もどうも訳が良くなくて、さらに芝居の演出がわりと雑というか浅かったように感じられました。なので私は余計にこの作品世界に入りきれませんでした。ローラとドンがどう和解したのかもよくわからなかったし、チャーリーとローラの喧嘩も発端や経緯がよくわからなかった…ローラが父親にキスしたところは泣けたんですけどね。
また、ローラはまあああいうキャラだし、という気もしますが、チャーリーはなんであんなアメリカ~ンな口調なんだろう? イギリス人ですよね? 単に尺がないから早口でしゃべっているだけ? 日本人が日本語でしている芝居なんだから、もっと普通にしゃべればいいのでは…チャーリーって、イケイケでしっかり者のガールフレンドに引っ張られている、どちらかというと情けない、要するによくいるタイプの普通の、むしろややもっさりした青年、ってことなんだと思うんだけれど…イヤ別に多少軽妙で賢げに見えてもそういう演技プランならそれでもいいけど、とにかく私はあまり感心しませんでした。勝手に観たかったものを想定して、観たいものが観られなかったと苦情を言っているだけならすみません。
ローレン(ソニン)も、そういうキャラ設定なんだろうけれど、でもやはりちょっとオーバーアクションすぎませんかねえ…もっとフツーの女の子じゃダメなんですかねえ…そりゃソニンは何をやっても上手いし可愛いしそれはいいんですけれど、でもなんか…なんかなあ…ここが一番大事なキャラクターなんじゃないのかなあ、と私は思ったんですよね。
このミュージカルって他の作品よりだいぶ観客の年齢層が若いという調査結果があるそうだし、もしかしたら男女半々くらいが観に来ているのかもしれませんけど、そして彼らがまっすぐこの作品のメッセージを受け取れてエンパワーメントされている、というならそれでいいのだけれど…特に男子ね、世の中はまだまだ男社会なので、男が変わってくれないと話がホント進まないので、ローラの6ステップ・プログラムをちゃんと理解し実践してくれれば未来に希望がまだ持てる、と本当に思っています。でも、まだ、トータルではなんのかんの言っても女性観客が多いのでは、と思うとローレンが本当に大事なキャラクターになってくると思うんですよ。最終的に主人公とくっつく相手役だということも含めてね(作品のメッセージに反して異性愛主義的な見方で申し訳ない)。
とすると、たとえばミラノのローレンのドレスアップ姿ってあれでいいのか?ってことが気になるんですよ。金髪をアップにしてピンクのミニワンピのソニンはそら可愛いよ、でもローレンってそういうキャラ? それまでずっとTシャツにジーパンみたいなカッコだったのに? そりゃそれは職場で、汚れるからであくまで労働着で、ってのはわかりますよ。でもそういう女の子がドレスアップするとピンクのミニワンピ、ってのはそれこそ類型的すぎやしませんかね? もう今なら、「ローラが赤を好きなのはいい、男が赤を好きでも女が青を好きでもいい、でもそれは誰もが好きな色を好きでいい、好きなものを好きでいいということである。私はピンクが好きだ。私は私が女だからではなく、私が私だからピンクが好きなのである」という主張をするようなキャラにローレンをしないと、ここでピンクを着せるのはもうダメなんじゃないのかなあ?
さらに、みんながみんなキンキーブーツを履いてみせていくところで、ローレンだけがショートブーツなの。しかもスウェードみたいでラメとかは全然ついていないの、キラキラしていないのです。ドレスと合っていてそら可愛かったよ、でもここはそういうことじゃないんじゃないの? 私はこの作品世界ですら、女はブーツのスパンコールすら減らされるんだ、入試で女だけが点数引かれるヘルジャパン現実と一緒じゃん…!と絶望的な気分になりました。そのあとニコラやマギー(杉山真梨佳)たち工場の女性従業員たちがニーハイのブーツで現れるので、ならデザインのうちかとも思えるけれど、ならエンジェルスの誰かもひとりくらいショートブーツであるべきじゃない? ロングどころかニーハイであることがキンキーだというなら、ローレンのブーツもそうあるべきじゃない?
あとさ、LGBT差別に敏感でローラの「レディス・アンド・ジェントルマン~」に続く台詞をブラッシュアップしておきながら、イタリア人いじりはアレでいいんだ?となりましたし、試作品がローラの考える「レエェェェェッド!」じゃなかったのはわかるけど「小豆色はおばあちゃんの色」ってのは年齢差別なのでは? ある意味シックで素敵なワインレッドだったよ? ああいう色が好きな人だっているよ? そこはどうなの?
なんかホント全体に、もうちょっとだけおちついて、もっと丁寧に、繊細にやればいいのに、なんか浮かれて上滑りしてない? ヒューヒュー言えればそれでいいの? ホントに伝わってる? …って思っちゃったんですよね…面倒くさい、良くない観客で申し訳ありません。
でもやっぱり日本の社会はまだまだ幼稚で、この作品を受け止められる力がないんじゃないかと思うんだけど…たとえば話がセックスに関することになると客席が急にトーンダウンするじゃないですか。みんないたたまれないんですよ、恥ずかしくなっちゃうの。あたりまえのことだとおおらかに受け止める度量がないの、はしたないと後ろめたくなっちゃうよう教育されちゃってるの。あと、日本語の「セックス」には性とか性別といった意味を含有できていなくてほぼ性行為の意味しかないので、「セックスはヒールにある(SEX IS IN THE HEEL)」って歌われても意味が上手く伝わっていない気がしました。というかこの話って、もっと靴フェチの話だって振った方がいいんじゃないのかなあ? 冒頭でプライス社長が靴の美しさを熱く語り、ヤング・チャーリーが「でもただの靴だぜ?」みたくぼそっと言うくだりがあるけれど、あれは家業に誇りを持つ父親と家業にノー興味の息子、ってのもあるけど、靴フェチの男と朴念仁の男、あるいはセクシャルなことをきちんと愛し尊重できる大人と性的なことにときめいたり興味を持ったりする以前の子供、という意味の場面でもあるんじゃないのかなあと思うのですよ。だからもうちょっとだけ大人になったチャーリーが赤いハイヒールを履いてみちゃうんじゃないの? あれは彼は実はゲイだとか異性装願望があるとかいうことではなくて、性への目覚めそのものを表しているんだと思うんだけれど、これもなんかちゃんと伝わっていない気がするんですよね…靴はここでは性愛のシンボルなんだと思うのです。さらに、ハイヒールは女性が履くもの、という「決めつけ」がこの世にはある。でも身体が女性に生まれつかなくても、ハイヒールを履きたいと思う者はいる。この「決めつけ」をなくしてやりたい、だから性がヒールに宿っている、セックス・イズ・イン・ザ・ヒール…そういうことなんじゃないですかねえ。
キンキーという言葉の意味が本当のところどういうものかはネイティブでない私にはわからないのですが、ここでの靴が持たされたシンボルの意味を、まっとうに捉える文化が日本には残念ながらないのではないか、と私は思ったのでした。
だからこそもっといい訳で、なんなら言葉をもっと足して、もっと丁寧に芝居して誘導しないと、観客に作品の本質が伝わらないのではないかと心配なのです…少なくとも私はとても中途半端に感じられて、全然感動できなかったので。
最後に、チャーリーのスーツにトランクスにキンキーブーツってのは宣伝で見せすぎなくらいに見せてしまっているものなので、ミラノのショーの開演前にチャーリーが下半身をカーテンで隠してモジモジするくだりは即ネタバレで無意味なんだけど、演出としてそれでいいのでしょうかねえ…?
一部の変な春馬ファンが(ファンとも言いたくないけれど)悪く言っているらしいしろたんですが、さすがに歌も芝居もホント上手くて、デカくてインパクトがあって、とてもよかったです。小池徹平もソニンも、ドンもハリー(施鐘泰)も歌はみんな抜群に上手くてまったく危なげがなくて、そこは本当にノーストレスでした。シンディ・ローパーの楽曲ってけっこう難しいと思うんですよね、でもナンバーは本当にどれもよかったです。何故かスタッフ・クレジットにないセットもとてもよかった。エンジェルスのスウィング(シュート・チェン)までちゃんとビジュアルに入っているのも素敵だと思いました。
LOLA’S 6STEP PROGRAMは
Pursue the TRUTH.
LEARN something new.
ACCEPT YOURSELF and you’ll accept OTHERS TOO.
Let LOVE shine.
Let PRIDE be your guide.
You CHANGE THE WORLD when you CHANGE YOUR MIND!
です。4番目がいいよね、5と韻を踏んでるだけっぽいけど、そしてこれだけがやや抽象的でもあるけれど、だからこそキモなんだと思うのです。性愛より広い愛、それを輝かせること。今やアロマンティックやアセクシャルな人の存在も顕在化してきている時代で、でもセックスしなくても恋愛しなくても家族や友人への情愛は持つだろうし、そういう広い意味での愛、ラブを輝かせる、ってことです。そういう愛を全人類に普遍させていけたら、たとえば抗議運動を安易に冷笑する馬鹿も減ろうというものでしょう。愛を信じて未だ厳しいこの世界を生き抜いていこう、と改めて思うことは、しました。