平成中村座、2022年10月17日15時45分。
『綾の皷』は作/有吉佐和子。1956年初演の舞踊劇。謡曲『綾鼓』を題材に、室町時代に華姫(中村鶴松)に身分違いの恋をする庭掃きの三郎次(中村虎之介)が、綾糸でできた飾り物の皷を鳴らせたら望みを叶えてやると言われて…という物語。
『唐茄子屋』のサブタイトルは「不思議国之若旦那」。作・演出/宮藤官九郎の新作歌舞伎。古典落語の「唐茄子政談」を題材に、浅草の祭り囃子が鳴り響く中、達磨町の八百八(荒川良々)が吾妻橋から身を投げようとする男を助けると、それは甥の徳三郎(中村勘九郎)で、彼は山崎屋の若旦那で放蕩息子、店の金に手をつけて吉原遊びをして一文なしになったと言うのだが…という物語。
浅草寺の裏手にできた仮設劇場は靴を脱いで上がる形で、いわゆるSS席みたいな松は土間に座椅子に座布団、その後ろや二階は竹でベンチみたいな椅子に座布団でした。私はクレカ先行でたまたま取れた席が二階正面1列目で真ん中寄りっぽくてラッキー!と思っていたら、なんとお大尽席と名付けられた、お相撲の枡席みたいなお土産だのドリンクサービスだのが付いているっぽい豪華四席のみのSSS席のすぐ脇の席で、ちょっとした格差が感じられておもしろかったです(笑)。他に桜という、ほとんど舞台の袖じゃん、みたいな二階席もありました。ともあれちゃんと花道もある、ちゃんとした歌舞伎の芝居小屋で、雰囲気あって素敵でした。お尻は痛くなりましたけれどね…
『綾の皷』は、舞台奥に置かれた屏風が場面ごとに描く季節を変えていって時間経過を表すという素敵なもの。亡くした息子が生きていれば三郎次と同い歳、ということから彼に鼓を教える中年女、秋篠が中村扇雀。やがて彼女は彼を愛しく想うようになってしまうのですが…という展開がせつない。結局、三郎次が鳴らせることに成功した鼓は実は秋篠がすりかえたもので、でも華姫は自分の驕慢を反省し、三郎次は姫への妄執が晴れて芸の道に進もうと決心し、そして秋篠は病に倒れてはかなくなる…という、なんとも静かにせつなく美しい物語でした。
『唐茄子屋』は、まあもとの落語がおもしろいんだろうな、という印象だったかな。つっころばし役の勘九郎はそら生き生きと楽しそうでした。瓜ふたつのキャラとかそれをひとり二役で演じるとかさらに入れ替えなりすましの展開になるとかよくある話ですが、今回はそこを七之助が演じていてこれまた楽しかったです。やじゅパパが悪人ポジションの因業な大家役をやっているのもおもしろかったです。あと片岡亀蔵がホントええ声で、惚れてしまう…
『不思議の国のアリス』要素が散りばめられて…というほどには蛙は白ウサギではなかった気がするし、チェシャ猫もハンプティダンプティも赤の女王も出てこず、吉原の大門の代わりに小門なるものがあって若旦那がそこを通ると若旦那(小)の中村勘太郎になる、ってだけだった気がしますが(そして蛙はオタマジャクシになる(笑))、ここは親子なんだからホント歌舞伎って卑怯ですよね(笑)。最後はもうちょっと、徳三郎が活躍してみんなも協力して大家をやり込めて問題解決、大団円!みたく盛り上げた方がよかったかな、とは思いました。なんとなく「アラこれで終わり?」って感じだったので。別に人間的成長とかは見せなくてよくて、ずっとただのしょーもない若旦那でいいんだとは思うんですけれど、それはそれとしてこのエピソードはこれがオチです、という演出が弱かった気がしたので。
でも荒川良々がさすが上手くて、中村獅童の役はなんかよくわからなかったけどやはり大活躍で、下ネタはつまらないとか滑るとかより客席をいたたまれなくさせていたと思いましたが、まあ全体としては楽しかったので良いのではないでしょうか。
一部演目を変えて来月いっぱいまで、どうぞ盛り上がりますように。
『綾の皷』は作/有吉佐和子。1956年初演の舞踊劇。謡曲『綾鼓』を題材に、室町時代に華姫(中村鶴松)に身分違いの恋をする庭掃きの三郎次(中村虎之介)が、綾糸でできた飾り物の皷を鳴らせたら望みを叶えてやると言われて…という物語。
『唐茄子屋』のサブタイトルは「不思議国之若旦那」。作・演出/宮藤官九郎の新作歌舞伎。古典落語の「唐茄子政談」を題材に、浅草の祭り囃子が鳴り響く中、達磨町の八百八(荒川良々)が吾妻橋から身を投げようとする男を助けると、それは甥の徳三郎(中村勘九郎)で、彼は山崎屋の若旦那で放蕩息子、店の金に手をつけて吉原遊びをして一文なしになったと言うのだが…という物語。
浅草寺の裏手にできた仮設劇場は靴を脱いで上がる形で、いわゆるSS席みたいな松は土間に座椅子に座布団、その後ろや二階は竹でベンチみたいな椅子に座布団でした。私はクレカ先行でたまたま取れた席が二階正面1列目で真ん中寄りっぽくてラッキー!と思っていたら、なんとお大尽席と名付けられた、お相撲の枡席みたいなお土産だのドリンクサービスだのが付いているっぽい豪華四席のみのSSS席のすぐ脇の席で、ちょっとした格差が感じられておもしろかったです(笑)。他に桜という、ほとんど舞台の袖じゃん、みたいな二階席もありました。ともあれちゃんと花道もある、ちゃんとした歌舞伎の芝居小屋で、雰囲気あって素敵でした。お尻は痛くなりましたけれどね…
『綾の皷』は、舞台奥に置かれた屏風が場面ごとに描く季節を変えていって時間経過を表すという素敵なもの。亡くした息子が生きていれば三郎次と同い歳、ということから彼に鼓を教える中年女、秋篠が中村扇雀。やがて彼女は彼を愛しく想うようになってしまうのですが…という展開がせつない。結局、三郎次が鳴らせることに成功した鼓は実は秋篠がすりかえたもので、でも華姫は自分の驕慢を反省し、三郎次は姫への妄執が晴れて芸の道に進もうと決心し、そして秋篠は病に倒れてはかなくなる…という、なんとも静かにせつなく美しい物語でした。
『唐茄子屋』は、まあもとの落語がおもしろいんだろうな、という印象だったかな。つっころばし役の勘九郎はそら生き生きと楽しそうでした。瓜ふたつのキャラとかそれをひとり二役で演じるとかさらに入れ替えなりすましの展開になるとかよくある話ですが、今回はそこを七之助が演じていてこれまた楽しかったです。やじゅパパが悪人ポジションの因業な大家役をやっているのもおもしろかったです。あと片岡亀蔵がホントええ声で、惚れてしまう…
『不思議の国のアリス』要素が散りばめられて…というほどには蛙は白ウサギではなかった気がするし、チェシャ猫もハンプティダンプティも赤の女王も出てこず、吉原の大門の代わりに小門なるものがあって若旦那がそこを通ると若旦那(小)の中村勘太郎になる、ってだけだった気がしますが(そして蛙はオタマジャクシになる(笑))、ここは親子なんだからホント歌舞伎って卑怯ですよね(笑)。最後はもうちょっと、徳三郎が活躍してみんなも協力して大家をやり込めて問題解決、大団円!みたく盛り上げた方がよかったかな、とは思いました。なんとなく「アラこれで終わり?」って感じだったので。別に人間的成長とかは見せなくてよくて、ずっとただのしょーもない若旦那でいいんだとは思うんですけれど、それはそれとしてこのエピソードはこれがオチです、という演出が弱かった気がしたので。
でも荒川良々がさすが上手くて、中村獅童の役はなんかよくわからなかったけどやはり大活躍で、下ネタはつまらないとか滑るとかより客席をいたたまれなくさせていたと思いましたが、まあ全体としては楽しかったので良いのではないでしょうか。
一部演目を変えて来月いっぱいまで、どうぞ盛り上がりますように。