駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇専科・雪組『パッション・ダムール』

2020年10月14日 | 観劇記/タイトルは行
 宝塚バウホール、2020年10月13日14時半。

 ロマンチック・レビューの粋を集めた構成の、凪七瑠海コンサート。ショルダー・タイトルは「ロマンチック・ステージ」。作・演出/岡田敬二、作曲・編曲/吉﨑憲治、甲斐正人、植田浩徳、振付/羽山紀代美、御織ゆみ乃、若央りさ、百花沙里。

 昨年のOGによるコンサートも胸アツでしたが、どうしても歌中心だったので、現役生でダンスも観られるとあってワクテカで出かけました。「歌劇」での対談やスカステニュースの稽古場トークから、あのレビューのその場面もこの場面もやっちゃうの!?とときめきまくりでしたし、プログラムで間奏曲のタイトルを読むだけでテンションが上がりました。そして雪組はロマンチック・レビューがとてもとても久しぶりなんですよね…? 梅芸組ときぃちゃんMS組の下級生たちがどんなパフォーマンスを見せてくれるのか、というのも楽しみでした。
 ありがたくも真ん中くらいの列のどセンターという大変観やすく素晴らしいお席をいただいたのですが(今回は3列目以降を全席客入れしていました。客席降りはナシ)、なんせ真ん中のカチャにあまり興味がないもので、脇か奥ばっか観ててすみません…あ、でも「妖精の森」の貴公子はよかったなー。ああいうお衣装をてらいもなく着てこそ真の宝塚スター!だと私は思っているので。
 スチールが出たのはカチャとあがちん(縣千)だけなので、彼女が2番手なのでしょう。新進気鋭の101期ですね。実際にはほぼはいちゃん(眞ノ宮るい。期待の100期。この人とかりあんには新公主演をゼヒさせておきたいと思っているのですが!!!)とシンメでしたが、パラダイスの歌手とか「SHE」のソロとかがあって鍛えようとしているのが窺われます。私はこの人はおだちんと並ぶ大器だと思っています、楽しみ。
 娘役陣はみちる(彩みちる)とりさちゃん(星南のぞみ)がカチャの相手役を分け合っていました。ガウチョの恋人やジゴロのところがみちるで、りさちゃんは妖精Aと令嬢Sというベタな分け方。私はりさちゃんが濃い芝居をするのとかも大好きだし(『ワンス』とか)、みちるには正統派ヒロインがきっちりできる娘役力があると思っていますが、でも今回のりさちゃんは大正解で、みちるは正直もっとできるかなと思っていたんだけど(ちょっと痩せすぎ…? 顔の丸さがなくなっちゃってパワーが落ちた気がしました…)まあまあ色っぽく艶やかで、よかったです。そしてどちらも歌わない(笑)、これまた残念ながら正解ですよね…
 そして躍進しているのが希良々うみちゃんですよね! ホント上手い!! 悪い意味ではなくて、プロ娘役って感じがするんだよな表情の作り方とかたたずまいとかが! あざといとかではなくて、ただ本当に上手い、と思います。私は可愛い子が好きで上手いだけではそんなに惹かれないつもりでいたのだけれど、この人には完全に屈服しますね…よくひっとんが「舞空プロ」とか、多分あまりいい意味でなく言われたりするんだけれど、私はひっとんのことはそういうふうには思えなくて、でもうみちゃんにはホント感心するんですよね…ジゴロ場面の歌う女、絶品でした。
 …と、メインどころの生徒に言及したあとで、順に場面を追いますと、プロローグはオリジナルの主題歌で、全員赤基調のお衣装で情熱的なスパニッシュ。そしてまず「間奏曲Ⅰ」が、最近だとマギーが歌った、でもやはり私にとってはミキちゃんの歌かなーという「DRIFTER IN THE CITY」。雑踏のBGがもうニヤニヤものでした。
 次が『ネオ・ダンディズム!』のガウチョ場面なんですが、私はこのショーは実は観ていないようなんですよね…記憶がない。サワリで壮海はるまくんと愛陽みちちゃんがいっぱいいっぱいながらもフレッシュに歌っていて好感持てました。みちちゃん、カワイイよね。なんとでもなる、娘役さんらしい可愛らしさを持っている下級生さんだと思います。期待したい。
 続く「間奏曲Ⅱ」は有栖妃華ちゃんと莉奈くるみちゃんで「ラモーナ」。莉奈くるみちゃんもまたなんとでもなりそうな、娘役さんらしい可愛らしさの持ち主ですね。しかし私はあいかわらず有栖妃華が苦手なのだった…目をかっ開く癖は早々になんとかした方がいいのではあるまいか。もっと常に笑ってルリルリしている目を作らないと、いつまでたっても可愛く見えないと思うんだけどなあ…エトワールだけしていればいいというものでもないと思うので、がんばってほしいです。
 そして『Amour それは…』から「妖精の森」。娘役ちゃんがみんな色とりどりのロマンチック・チュチュみたいなドレス着て、その中で真っ白なりさちゃんが本当に美しくて、観ていてただただ幸せでした。
 「間奏曲Ⅲ」は天月くん、叶くん、汐聖くんの「You and the night and the music」。三者三様に濃くて、大満足。そしてみんな大好き『ル・ポァゾン』より「愛の誘惑」。「オリジナル振付/喜多弘」の文字がキますよね! あがちんが投げたリンゴを追ったライトがちゃんと飛んでカチャの手に移るの、大事! そして着替えたあがちんが戻ってきて加わるときの2番手感、たまらん!! タイピンがシャツにちゃんと留まっていなくて、ネクタイがぐるんぐるん飛び跳ねていたのもあがちんらしくて堪能しました(笑)。からの謎電話、キター!!! テンション上がりました。
 「間奏曲Ⅳ」は叶くんの「Smile」。さすが上級生の余裕がありましたが、ホントはここはあすくんだったりしたのかな…
 1幕ラストは白燕尾で「ALL BY MYSELF」。いい歌なんだけど、別に上手くないところが痛かったかもしれません…
 2幕はみんな大好き『ダンディズム!』の「ハードボイルド」! 私はリカチャーリーの極太ストライプスーツのダンスを覚えているので、たぎりまくりました!! スーツは残念ながらオリジナルではなかったようですが、はいちゃんとあがちんががっつりぶつかり合って踊ってくれて大満足! はいちゃんの前髪がちょっとはらりと乱れるのがまたイイんだ!! 同じ振りでもはいちゃんはシャープで端正で、あがちんはエネルギッシュで熱く踊るので、どの場面でもホントいいシンメでした。男女カップルは天月・叶と千風・沙羅という上級生カップルだったのもとても良き。男たちの踊りもほぼママだったのも良き。
 「間奏曲Ⅴ」は有栖ちゃんの「仙女の祈り」、そら絶品ですよ銀橋見えましたよショータイトルの電飾看板がバックに見えましたよ、圧巻でした。
 続く「学生王子」はなんのショーからだろう…? ここの紫のドレスの令嬢りさちゃんも大正解でした。
 そして「間奏曲Ⅵ」は天月くん、千風さんの「夢・アモール」。また電飾看板が見えたよね…! 「間奏曲Ⅶ」はあがちんの「SHE」で、うみくるみみちの可愛子ちゃんズ場面。歌は別に上手かないが、まずは場数だがんばろう! 私は応援しています。
 そして『ラ・カンタータ!』や『テンプテーション』の「愛の歌」をボレロにして(「熱愛のボレロ」ではないのがミソ)、そのまま「さよならGoodbye」までなだれ込むフィナーレ。
 最後のラインナップで出演者が毎回3人ずつコメントしているようですが、叶くんがなっていなくて残念でした。一文は短く、語尾は言い切る! 「~でー、~でー…」とダラダラつなぐのはみっともないよ! そういう話し方を初期にお茶会でしていた某娘役さんにお手紙書いたことありますよ私…今やスカステとかでも立派にきっちりしゃべっていますよその生徒さんは!
 最後はなんかサヨナラショーかな、みたいな感じもありましたが、専科スターの主演コンサートならこれくらいやってもいいのでししょう。てか餞別なんだろうしね、とか私は思ったりしているのでした。ともあれロマンチック・レビューは宝塚歌劇の財産なので、いい再演やコンビレーション・レビューを作ってほしいなあ、と思っています。

***

 ところで、同じく専科の星蘭ひとみちゃんの来月末付け退団が発表されましたね。何かの公演に出ないのかなあ、袴で階段下りないのかなあ、ファンも寂しいだろうなあ。『カネ恋』の演技も正直どうかなとは思ったのですが、『鎌足』の起用法なんかとても良かったし、やはり舞台で生かしてほしかったけれどなあ…残念です。

 『エル・アルコン』再演配役が発表されたりもして、宝塚歌劇がようやくコロナ禍以前の元気さ、にぎやかさ、気ぜわしさを取り戻しつつあるようで、嬉しい限りです。とはいえまだまだ油断せず、客席やロビーでの会話も控えて、手指消毒も咳エチケットも忘れずに粛々と劇場に通いたいと思っています。みなさまもどうか、引き続きご安全に…





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都布良ひとみ宝塚ミュージカルスタジオ『DREAM COME TRUE』

2020年10月12日 | 観劇記/タイトルた行
 江東区文化センター、2020年10月11日15時半。

 構成・演出/中元都布良、振付/都布良ひとみ。

 お友達が参加しているので、昨年に引き続き観劇してきました。このコロナ禍の中でのお稽古も大変だったことでしょうが、昨年に引き続きハイレベルなレビューショーで、とても楽しかったです。個人的にお友達センサーがより感度が良くなり、全出演場面すぐわかったのも楽しかったです。いやーカッコ良かったわ、組んだ娘役さんを見つめる優しい笑顔にときめいたわ! ヤバい(笑)。
 印象的だったのは、「I Am a Good Girl」で踊る娘役さんの場面のお衣装のキュートさ! チュチュを生かして自由の女神ふうに仕立てたものなんだけれど、そのまま宝塚歌劇のロケットで使えるから!というデザインでした。振付も良かったなあ、ノリノリの娘役さんたちがコケティッシュでセクシーで、とてもよかったです。
 『WSS』の場面もあって、プロローグとマンボはわりとまんまの振りを踊っていたのもよかったです。この回のベルナルドは川崎聖子。そしてアニタの宮崎愛がスラリと長身で黒髪ショートの鬘が似合っていて、素敵でした。!
 それからディズニーのシンデレラ(この回は清水祐里)場面が、王子(この回は高橋優貴乃)に群がる令嬢たちの小芝居付きで楽しかったです。
 『スカピン』のコーナーもありましたが、オリジナルの振りになっていたのがドラマチックでまた素敵でした。まずあすかの「あなたを見つめると」の乗って、友達に囲まれるパーシー(この回は山内美樹)とそれを眺めて佇むマルグリット(この回は宮崎愛)がいて、一方で白いお衣装のパーシーの影(この回は新野由紀)とマルグリットの影(この回は東綾香)がせつなくけれどラブく踊るんです。マルグリットの心象風景のようで、素敵な場面だったなー。そしてトウコの「ひとかけらの勇気」では赤いお衣装の4カップルが踊るんです。紅はこべだから? それからチエちゃんの「君はどこに」で2カップルがすれ違うように踊る…ところで『N!ZM!!』で「ひとかけら~」よりむしろ「君はどこに」をだいもんで聴きたかったとつぶやいていたツイートがあったけれど、あらためて同感…! あまり単発で歌われることがない曲な気がしますが、ドラマチックでいいですよね…!!
 そこからレビューっぽくなって、「ジュテーム」はひとりの男役さんに4人の娘役さんが順にワンフレーズずつ絡んでいく振りで、こういうのあるある…!とたぎりましたし、そこからの「リベルタンゴ」と黒燕尾は見応えがありました。娘役さんたちのお団子キャップもどれも素敵だったなあ。
 そしてカナメさんの「ブルースカイ」で踊る都布良ひとみと涼麻とも…! 尊い…!! シャンシャン持ったパレードもあって、充実の90分でした。
 あと、多分、中澤弥成美さんだと思うのですが、華があって、こういう下級生男役いる…!と胸が高鳴りました(笑)。ちょっとぱるっぽく見えたかな。それで言うと私のお友達はスタイルがまさにかりんちゃんでしたよ…女装(オイ)も見られて、楽しかったです。来年はダブルしようかな…

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『All My Sons』

2020年10月07日 | 観劇記/タイトルあ行
 シアタートラム、2020年10月6日19時。

 第二次大戦後のアメリカを舞台に、欠陥部品を納品したことで21人の若者を死に至らしめた飛行機部品工場の経営者一家の物語。それにより引き起こされる家族の問題と、あぶり出される資本主義の陰影…
 作/アーサー・ミラー、翻訳・演出/詩森ろば。1947年初演、全2幕。

 アーサー・ミラーの初期の傑作で、『みんな我が子』と題されることが多い戯曲だそうです。私は『サラリーマンの死』も映画『新聞記者』も未見なので、初アーサー・ミラー、初詩森ろばでした。神野三鈴目当てというのと、トラムや新国立でやるような翻訳劇が大好物なので、いそいそと出かけました。
 長男クリス役の田島亮は9年前に新国立で同じ戯曲、同じ役を演じているそうです。そういうのもおもしろいですよね。そのときのケイト(神野三鈴)はターコさんだったそうです。似合いそう。でももしかしたらちょっと知的すぎたかも? もっと泥臭い女優さんがやってもいい役なのかもしれません。神野三鈴ももちろん素晴らしかったけれど、上品な気もしたので。
 プログラムの演出家の言葉によれば、元の戯曲で「ケラー/母/クリス」となっていたところを「ジョー(大谷亮介)/ケイト/クリス」としたそうです。あたりまえですよね、ケイトにはちゃんと名前があるのです。しかもこの物語の中での彼女の役割は、単にクリスとラリー兄弟の母というだけでなく、ジョーの妻の部分もとても大きかったと思います。そしてアン(瀬戸さおり)の未来の義母の部分も。この時代のこのくらいの年代の女性の常として、家族と離れた素の自分、素の女性だけの部分というのはほとんどない人物かもしれませんが、それでもただ「mother」とだけされていいわけがない。そこに例えば聖母のような、何かものすごく大きな意味を込めていたのだとしても、です。むしろこれは彼女の物語、彼女が主役の話でしょう。なのにタイトルにすら現れない。「みんな私の息子たち」というけれど、子供を息子たちと呼ぶ主体は産んだ母親ではなく父親のように思えます。ジョーとクリスはケイトそっちのけで父と息子のドラマを繰り広げている。戯曲も初演も、ジョーを主役としていたのかもしれませんが、今回はケイトの物語に見えるようになっていたと思うので、それは女性演出家の手腕によるものだったのかもしれないし、神野三鈴がファースト・クレジットになっているからかもしれないし(カテコの引っ込みで大谷さんが紳士らしく菅野さんのためにセットの家の扉を開けて先に入れてあげるので、最後の引っ込むのが彼になりますが、それでも彼が主役だと思えませんでした)、現代に生きる女性の私が今観た舞台だったからかもしれません。そんなに感じられなかったけれど本来はもっと彼らがユダヤ系であること、その家父長制の強固さが窺えるものだそうで、それはやはり現代で上演されるなら批評に晒されるし、その上でもちろんそれだけではない奥深さや複雑さこそが鑑賞されるべきだよなと思いました。要するにめっちゃ刺激的でスリリングでおもしろかったです。一夜の顛末のお話だけれど、どう転ぶか予想がつかなかったせいもあります。あと、隣人たちとかが本当によく効いていたと思いました。
 若きミラーはクリスの正義を良きもの、正しきものとしていた、みたいなことが役者の対談で語られたりしていますが、私は彼のそれは『SAPA』のイエレナが言うところの「ピカピカした正義」(脚本がないので表記は想像です。「ぴかぴか」かも)にすぎないと感じました。親の金で育ててもらって、食べさせてもらって、学校も出させてもらって、なのにその金が汚いと罵る、坊ちゃんの発言に思えました。だいたい彼が戦争で殺した人命と、ジョーが欠陥部品を納品しそのことを黙っていて検品にも引っかからず出荷され飛行機になりそれが墜落して失われた人命と、多寡とか軽重とか相違とかはあるのでししょうか。戦争だから仕方なく、とか部下を守るため、祖国のために敵兵を撃っただけだと言うのなら、家族や社員を食べさせるために口をつぐんでいたジョーだってただそれ「だけ」でしょう。
 だから責めてはいけない、ということではもちろんありません。正しく裁かれるべきだ、出頭しよう、というクリスは正しい。でもそれで何が失われるかを彼は全然考えていませんでした。そして事実ジョーは、出頭する支度をすると言って家に引っ込み、拳銃自殺したのです。彼に自分自身をそんなふうに裁く経理はないのだけれど、彼はそうできたからしたのだし、そうしたかったからしたのです。ジョーをそう追い込んでクリスは、自分の父親を失いましたが、母ケイトからは夫を奪ったのです。そんな権利が彼にあるでしょうか? それでも彼の糾弾は正しかったのだと言えるでしょうか?
 クリスをかき抱くケイトの、そしてその直前の幻のジョーとまぐわんばかりに抱擁し合うケイトの狂気が恐ろしくてたまりませんでした。そう、クリスを抱くケイトは聖母のようでもなんでもない、あれは狂気です。つまりこれは、男と番い男を産むと女は狂う、という話なのだと私は思いました。ナウシカ歌舞伎であれだけ熱く響いたラストの「生きる」が、この舞台では恐ろしく禍々しく響きました。こんな狂気は私は嫌です。
 だからアン、逃げて、と心底思いました。行動原理が解決されていない役、とかなんとか言われているそうですが、別に人は理屈だけで動いているんじゃないし、アンは別に単純に、かつてはラリーを愛していて今はクリスを愛している、結婚して新たな家族を持ちたいと考えているだけの女性なんだと思います。ケラー家にも自分の家にも屈託はあるけれど、それはすべて結婚してどこかの土地に新たな家庭を築けばリセットされると棚上げしている。それってごく普通の心理だと思います。ラリーやスティーブやジョーの欺瞞みたいなことは世にあふれていて、見たくなければ目をつぶるしかない。恋をしているのでクリスだけは清廉だと思っているかもしれないし、もうクリスの駄目なところも見えちゃっているのかもしれないけれど恋しているからそこも目をつぶる気満々で、ただ幸せな未来しか見ていない。幸せな未来を築く能力が自分にはあると確信している、強い、けれど普通の女性なのでしょう。難しい役ではない。けれどとてもいい役で、いい女優さんで、惹かれました。髪をまとめているのは珍しいですよね。こういう役を例えばゆきちゃんとかゆうみちゃんとかで見たいよ。ウメもいい、みほこもいい。こういうお芝居、できるよねOGでも。そういう仕事の選び方をすればいいのに…オファーがあるのか、オーディションに行くチャンスがあるのかはわからないけれど。つまりお姫さまみたいなことばっかやってなくてもいいって話です、脱線ですが。
 というわけでアンにはここから逃げてもらいたい。クリスと結婚なんかしちゃ駄目。父も兄も捨ててどこか遠くで生きよう、ひとりで生きよう、それでも幸せになれる力を彼女はちゃんと持っているんだから。そして男と番わず、息子を産んで男を再生産することに荷担するのもやめよう。そうして世界を滅ぼすしかない。それでしか女は幸せにはなれない。足立区を滅ぼすものがあるとしたらそれはLGBTではなく差別意識に気づきもしない愚劣な男どもであるのと同様に、世界を滅ぼすことができるのは女を狂気に落とす男から逃れられた女たちなのでしょう。次の世代ができなければ人類が滅ぶのは自明ですが、今世界はこぞってそう仕向けているとしか思えないのですから。
 それでもいいよ、世界が滅ぶまで逃げた女たちはきっと人類至上最も幸せな存在となれるでしょうからね。その輝きのために世界を滅ぼしてもいい。「女性が輝く未来」ってそういうことです。
 …と思い至るくらい、重い、ひどい、素晴らしい舞台でした。今はまだ良き滅びの全然道半ばなので、まだまだ上演される意義がある作品なのだと痛感しました。

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井上雄彦『SLAM DUNK』

2020年10月04日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名あ行
 集英社ジャンプコミックス全31巻。

 中学時代、50人の女の子にフラれた桜木花道。そんな男が、進学した湘北高校で赤木晴子に一目惚れ。「バスケットは…お好きですか?」この一言が、ワルで名高い花道の高校生活を変えることに…

 …という公式あらすじを今書き出すのもなんとも趣が深い、言わずと知れたスポーツ漫画の傑作、バスケットボール漫画の金字塔です。長く愛蔵していたのにこれまた感想を書いていないことに気づいたので、改めて再読してみました。
 しかし私はこの作品のあまりいい読者ではなくて、人気があることはもちろん知っていましたが連載当時「週刊少年ジャンプ」のリアル読者ではなかったし、完結後かなり経ってから友人からコミックス全巻を譲ってもらって初めて読んだのでした。その友人もリアルタイム読者ではなかったのか、初刷りの巻が一冊もありません。
 でも、やはり、素晴らしい漫画ですよね。それは本当にそう思います。
 おそらく著者の初連載だったのかな? そして当時、バスケットボールを題材にしてもウケない、とされていたことは最終巻のあとがきにも書かれています。だから、学園青春もののようなヤンキー喧嘩もののような、そろっとした立ち上がりなんですよね。でもバスケットボールの試合のエピソードになると俄然おもしろくなる。そしてギアがガツンと入っていったのでしょう。
 だから、全体として見ると、わりといびつな構成のお話になっていると思います。初心者の主人公が怒濤の成長を遂げる4か月間の物語、とか言えばカッコがついているとは言えるけれど、普通ならもっと、高校生活3年間を通して切磋琢磨しチームができあがっていって全国制覇がゴールになるような、王道のストーリー展開を考えてもいいはずじゃないですか。でも、新人の作品で最初からそういう計算は立てられなかったんだろうし、徐々にそしてあるところでものすごいギアチェンジをして人気が出てブームになったこともあって、ある種泥縄のようにインターハイ出場と2戦目の山王戦、そしてそこで終わり、という流れが作られたのでしょう。もっとやりたかったろうしやらせたかったろうしやればできもしたでしょう、でもここでスパッととりあえず完結させたことはとても大きいですよね。当初は「第一部完」という表記だったそうだし、長らくコミックスも完結ではなく刊行中表記だったそうですし、作者も続編は描きたくなったときに描くかもしれない、みたいなことを言ったりしたこともあったそうです。でも、連載している間にもルール変更があったりしたし、時代も風俗もどんどん変わっていってしまうので、やはりもう続編執筆というのは難しいだろうし、望ましくないのではないかしらん。意外な才能とセンスと根性があった主人公が天才的成長を見せた怒濤の4か月間の奇跡の物語、というだけにしておいた方が、ボロが出なくていいというか、美しい気がします。中途半端に思えるストーリー展開すら、このままであれば斬新で、むしろ計算され尽くしたもののように見えると思うのです。実際、これは一瞬の奇跡の物語で、このあと花道はリハビリをしても以前のような選手には戻れず、もちろんもっと上手くもなれず、普通の人になっていってしまうのだ…という方がリアルな気もしてしまうからです。流川のアメリカ編、とかはありえるのかもしれませんけれどね。でもそれももう現代を舞台に描くわけにはいかないので、やはり無理なんだと思います。次世代の話とかにすらなら、それはもう完全に別物ですしね…
 山王戦、特に後半のそのまた後半はまさに白眉です。個人的には15巻くらいのころの絵が好みで、20巻すぎたあたりから上手くなりすぎてしまっていてちょっと怖いくらいなのですが(少年漫画に必要な愛嬌まで削げているきらいがあると思う。あとリアルなんだろうけれど汗がヒドい)、その画力が存分に生かされていますよね。バスケットボールという競技が全然わからない者にもプレイがわかる描写、コマ割り、構図、ページ繰りのセンス。ラスト20秒くらいからの、台詞や擬音の描き文字がまったくなくなり、けれど観客席の声援やコートで起きる音、選手たちの息づかいまでもがビンビン伝わる数十ページのすごみは、漫画というもののひとつの頂点でしょう。チームメイトなのに犬猿の仲のライバルから初めてパスを受け取った主人公がゴールを決めて勝つ、そしてそのライバルとの最初で最後のハイタッチ(ロー位置だけど)、という王道っぷりも素晴らしい。何度読んでも震えます。
 少年漫画の典型的ヒロインに見える晴子ちゃんも、赤木妹ってところが効いていて、そして別にラブ展開はないっていうのが実にいい。まあたまたまなのか、作者にあまり興味がなく編集部からの要望も特になかったのかもしれませんが。それでいうと彩子さんもそうですね、必要以上に変なマドンナにもお母ちゃんキャラにもなっていないバランスが至高です。そして洋平くんたちがいい。解説役として便利、という以上に存在感のある、いいキャラクターでした。なかなか描けるものではありません。そしてスポーツものには名伯楽キャラクターが必須ですが、安西監督ももちろん素晴らしい。ライバルチームの監督キャラにもおもしろい大人がたくさん描かれていて、作者の度量がわかります。
 チームでは、私はミッチー派です。流川も好きだけど、なんせとりつくシマがなさそうなので(笑)。三井くんはかつては優等生タイプでお坊ちゃんタイプで(なんせヘアスタイルがセンター分けだ!)天才肌で、グレてブランクがあってだからスタミナに不安があって、プライドが高くて繊細でヘタレで、頼りになるんだかカッコいいんだか今イチ微妙なキャラですが、そこがいいんです。省エネ万歳のスリーポイントシューターって選手設定も好き。引退しないで居残るところも好き。勉強しろよ(笑)。他校なら藤真くんとかね、わかりやすいね私(笑)。
 しかし本当に王道のスポーツ漫画、ただの少年漫画で、そりゃキャラは多彩なんだけどあんなにブームになるほど人は、というかある種の女は腐をどこにでも見るんだなあ…と改めて感心しますね。そういう意味でもエポックメイキングな一作であることは間違いありません。また細かいところを忘れた頃に読み直し、愛し続けていきたいです。

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『十二人の怒れる男』

2020年10月03日 | 観劇記/タイトルさ行
 シアターコクーン、2020年10月2日18時半。

 ニューヨーク地方裁判所。蒸し暑い夏の午後、ある少年が父親殺しの罪で裁判にかけられる。3日間の審理を終え、最終的な評決は無作為に選ばれた十二人の陪審員たちに委ねられた。陪審員たちで話し合い、合理的な疑いがあれば「無罪」を、合理的な疑いがなければ「有罪」の評決を下さなければならない。ただし、いかなる評決であれ必ず全員の意見が一致することが条件だ。有罪の判決が下された場合には、被告人である少年の死刑が自動的に確定する。法廷に提出された証拠や証言は、少年に圧倒的に不利なものであり、陪審員の大半は少年の有罪を確信していた。話し合いの前に予備投票を行うと、有罪11票、無罪1票。ただひとり無罪票を投じた陪審員8番(堤真一)が口を開いた。「もし冤罪だったら? ただ話し合いたいんです」陪審員室の空気は一変し…
 作/レジナルド・ローズ、翻訳/徐賀世子、演出/リンゼイ・ポズナー、美術・衣裳/ピーター・マッキントッシュ。1954年のテレビドラマで、翌年舞台化、その翌年に映画化された法廷劇の傑作。全1幕。

 前回観たときの感想はこちら。8番(前回は八号)としては中井貴一の方がイメージかもしれません。堤真一だとヒーロー然として見えすぎちゃったかもしれない。ものすごく上手く、普通のただまっとうな人感を出していたとは思いますけれどね。
 山崎一はいつでもなんでも上手くて今回もどの役でもやれそうだけれど、今回は3番で、それがまたとても上手くて、いい感じでした。そして私の席はどちらかというと裏手だったと思うのだけれど(今回も前回同様、舞台を四方から客席が囲む形でした)、そこから主に背中を見ていた10番(吉見一豊)はもっとずっとイヤなおっさんに見えて、プログラムを見たらダンディなお顔でびっくりしました。お芝居ってすごい。この人はかつて8番を演じたことがあり、今回のオファーでは9番役だと当初勘違いしていた、というのもおもしろかったです。さらに『All My Sons』、私来週観に行きますよ…
 声が大きくて威圧的なおっさん、という点で同じに見える3番と10番も徐々に違いが見えてくるし、フラフラヘラヘラしてそうな若者という点で同じに見える7番(永山絢斗。二度目の舞台だそうですが、上手い! 遜色なかった!!)と12番(溝端淳平)にも違いが見えてくる。そしてご老人の9番(青山達三)と移民の紳士11番(三上市朗)の存在感…! 被告人の少年と同じスラム育ちだという5番(少路勇助)の存在も響くし、押し出しが弱くてバランスを取るだけに見える2番(堀文明)や6番(梶原善)も話が進むと効いてくる。クレバーそうで実は嫌みな4番(石丸幹二)、意外にキレちゃう1番(ベンガル)、そして警備員(阿岐之将一)もいい…素晴らしい戯曲です。
 普遍的なパワーを持つ作品というものは、いつ観ても常に、「今こそ観られるべき作品だ」と思わせるのものなのですね。そのことに胸打たれました。国も違う、時代も違う、裁判方式も違う、事件も違う。でも私たちの前には常に判断を下されるべき問題が置かれていて、私たちは常に正義を求めて正しく怒ることが求められているのです。冷笑してスカしたり、見えない振りをしたり、薄笑いでごまかしたり、大声で攪乱しようとしたり、恫喝してまとめようとしたりしてはいけないのです。正しく怒り、静かに考え、誠意を持って話し合う。人の話を聞き、学ぶべきなのです。なんて遠い道のりで、できていないことでしょう…
 終盤の「人様の子です」にボロ泣きしてしまいました。息子と確執があるらしき3番は自分の問題と今回の事件を重ね、混同し、冷静な判断が下せなくなっている。そこへの「あなたの息子じゃない、人様の子です」。容疑者でも、たとえ加害者であっても、みんな誰かの愛しい子供であり親である、というごく単純な真実と同時に、公私混同はしないこと、自分のことと相手のこととをきちんと分けて考えられること、そして他人のことを我がことのように思いやれることの大事さをつきつけられる台詞です。できていない自分に刺さり、でもそれを目指さなければ、と奮い立たされる台詞でした。
 愛と正義を信じ貫くことの尊さを存分に語ってくれる戯曲です。もちろん事件の真相はわからない。でも「疑わしきは罰せず」、「推定無罪」は民主主義の原則のひとつでしょう。大事にしていかなければなりません。
 好評だというロシア映画版も見てみたいなあ。そしてまた細かいところを忘れたころに、違うキャストでこの舞台をまた観たいです。そういう醍醐味が優れた作品とその再演にはありますよね。

 ところでシアターコクーンのこのシリーズ、ひとつ前は『アンナ・カレーニナ』のはずだったんだなあ…大空さんのドリー、絶対によかったはず…いつかなんとか観られることを祈っています。


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