グリーンホール相模大野、2011年11月3日ソワレ。
江戸末期文政年間、神田や日本橋を襲った大火からひと月が経った頃、「大留」の若棟梁・茂次(蘭寿とむ)は店や両親が炎に飲み込まれたとの知らせにも動じることなく川越の普請場での仕事をやり遂げ、ようやくこの地に戻ってきた。同じ火事で母親を亡くしたおりつ(蘭乃はな)は「大留」の下働きをしていたが、火事で身寄りをなくした子供たちの面倒を見ていて…
原作/山本周五郎『ちいさこべ』、脚本/柴田侑宏、演出/中村暁、作曲・編曲/寺田瀧雄。1971年初演、81年再演、91年三演、92年四演の名作。
私の宝塚観劇スタートは93年なので、この作品は映像でも未見でした。
宝塚にハマりたての当時、確か三演でくろ(今回は華形ひかる。ニンでしたねー!)を演じたヤンさんが茂次を演じて好評だとか、でも相手役のミハルがヒロインでなく子役に回っていて、トップ娘役の扱いとしてどうなのよ…みたいなことを聞いていた気がします。
あとは「寺田瀧雄作品集」のCDで主題歌を聞いていただけでした。
「寂しいのね、おじさんも」
と歌われる「おじさん」というのがよもや主人公だったとは、今回生で観て初めて知りましたよ!(^^;)
一応病み上がりで、元気なこととか親のありがたみを痛感したところだったので、もう冒頭の子供たちの場面から号泣でした。
後半の、茂次が両親を弔わない理由のところなんかも…
このあとこのツアーは北上して被災地を回るんですよね。被災者の方たちもたくさん観てくれるといいなあ、そして泣いたり笑ったりして励まされるといいなあ、と思うと、もう泣けて泣けて仕方がありませんでした。
14人もの子供たちは、みんな歳も個性もばらばらな感じが実によく出ていてとてもよかったです。
そして彼らからしたら、茂次は立派に「おじさん」なのね、わかるわ(^^;)。
しかしおそらく一番の年長であろう梅(芽吹幸奈。美声もよかった!)は、おりつを助けてよく子供たちをまとめていて、周りの気遣いなんかもできる娘ですが、はたして彼女とおりつの歳の差はいくらもないのではないでしょうか。
おりつはおそらくもう初潮を迎えていて、娘になった、大人になったということで、働いている。
梅は初潮はまだだから子ども扱いだけれど、おそらくおりつとふたつかみっつしか離れていないのではないかしらん。
昔の人は大人になるのが早かったとはいえ、おりつも健気なことです。
火事で母親を亡くして、「大留」で住み込みの下働きを始めたということは、それ以前から父親早くに亡くしていたのでしょう。そのころからすでに、母親を助けて働いていたのかもしれません。
ほんの子供のころは、同じ町内で生まれ育った遊び仲間として、茂次ともおゆう(花野じゅりあ)とも一緒に駆け回っていたのでしょう。
しかし長じるにつれて、茂次は生家を継ぐべく大工の修行をするようになるし、大店「福田屋」のお嬢さんであるおゆうは大振袖着て習い事に通う暮らしをするようになる。
それは誰にも仕方のないことなのでした。
おゆうが子供たちの世話の手伝いを申し出たとき、ほとんどふくれているおりつがとてもよかったです。
おりつは健気だしいじらしいいい子だけれど、単なるいい子ちゃんではない。
おゆうさんありがとう、助かります、なんて思えない。そりゃ嬉しいけれど、助け舟にはなったけれど、でも割って入られた、領分を侵された気持ちになり、それが顔に出てしまう。
原作を未読なのですが、ヒロインをこういう役に描く柴田先生の視線が本当に好きです。
それでいうと、蘭ちゃんはがんばってはいたけれど、やっぱりまだまだいっぱいいっぱいに見えたかなー。
江戸ものということでは、これがきりまりでも素敵だったかも、『アルジェの男』であれだけいじらしいサビーヌを演じたまりものおりつも観てみたかったかも、とちょっと思ってしまいました。もっと言えば演技派スミカで、とかね。
一方おゆうもまた、意地悪で高飛車なお嬢さん、というような色濃い悪役ではありません。
あくまでも天然の厚意でというか、よかれと思って手伝いを申し出ているのであり、でももちろんそれは茂次のそばにいたいから、彼の手伝いをしたいからというものでもあるのだけれど、それはそれで素直でいいことだし、なんとはなしに上から言っているように聞こえてしまうのも仕方がない、それだけ何不自由なく暮らしているいいお嬢さんなんですね。
だからこそおりつは卑屈になってしまうのだけれど…
わかりやすいライバルキャラならもっとずっとやりやすかっただろうけれど、じゅりあはなかなかいい味を出せていたのではないでしょうか。
おりつの気持ちもおゆうの気持ちも知らないではなかった(それは別の作品の台詞)茂次ですが、彼もおりつよりいつつ年長なだけ、まだまだ代替わりには早かったはずの若棟梁なのに、今や「大留」のすべてを背負わなければならない身。
熱意も力量もも人望ももちろんあるんだけれど、それでも責任の重さに押しつぶされそうになっていて、彼だっていっぱいいっぱいなのです。
だからつっぱらかる。
その痩せ我慢、粋でいなせな心意気、威勢のいいタンカ、その奥に揺れる憔悴、苦悩…まゆたんは見事にハマり役、あざやかに見せてくれました。
「女房になるのかならねえのか、どっちだって聞いてんだよ!」
でしたっけ? 知識として知ってはいた台詞でしたが、よもやこんな芝居とともに言われるとは!って感じでした。
一気に怒鳴りつけるように言い切るのかと思っていたんですよね。なのにいったん切って後半、テレたようにそっぽ向いて言うんですよ!
いやんそんなのはいとも言えずにただただ泣くしかできないよね女子は!
話が前後しますが、女に手を上げる男なんてそら最低ですわな。
でも好きな男なら別なんです。というか男だって好きな女にでなきゃ手なんか上げないんですよね。
これとDVの共依存とは紙一重でヒヤリとするんですけれど、でも茂次がおりつについ手を上げるくだりは、じんわり胸が熱くなる名場面でした。
茂次はあの時本当にいっぱいいっぱいだったんです。棟梁仲間の援助を断って、父親が必死で守ってくれた看板を質草にしてまで借金して、返済の具体的な算段はできていなくて…
おゆうのことだって嫌いじゃなかったし、おゆうの好意にもお久(京三紗)のおゆうを嫁にやりたがっている思惑にも気づいていたでしょう。そこへ借りを作りに行くのは本当に苦渋の決断だったに違いありません。
でもそれしかなかったし、もうやってしまった。あとはなんとかするしかない。なのに迎えに来たというおりつにやいのやいの言われて…
おりつが茂次にやいのやいの言うのも甘えなら、茂次がおりつについ手を上げてしまったのも甘えなんです。好きだから甘えてるんですね。おりつが泣くのは、それがわかったからです。
けれど、茂次とおゆうの祝言の噂が流れる。
子供たちはゲンキンだから、「おゆう姉ちゃんでもいいなー」てなもんなワケです。この反応がまたよかったなあ。
けれど梅や菊二(鳳真由)は年嵩だからもう少しおりつの心が忖度できる。まして菊二は一度戻ってお尻をぶたれたときから、おりつに忠誠を誓っているくらいなのではあるまいか(^^;)。
このあたりの流れもすばらしかったです。
カーテンコールでふたりが手くらいつないでくれたらなお嬉しかったけどな…(*^^*)
ちゃんと兄貴分に見えた大六のだいもん、子供たちと一緒になって楽しそうにしていたのが印象的だった正吉のあきらも素敵でした。
恥ずかしながらひとつだけ…結局ワタシ、「ちいさこべ」の話、つまりおゆうがあつ(月野姫花。顔が小さくて頭身が高すぎるのでうっかりすると子供に見えないけれど、何しろあの声がね…!)に語った話のオチというか意味がよくわからなかったんですけれど…?
アレレ??
***
ロマンチック・レビューは作・演出/岡田敬二、作曲・編曲/吉崎憲治。90年に初演、今年2月に再演されたものの三演。
「ジャスト・ファン時代に観ていて、やれると聞いてもう踊っていた、踊れた」
とまゆたんが語るショー、圧巻のスターっぷりでした。
赤いお衣装で「ルポォワァゾォオオオ~ン!」…あんなコトまゆたんにしかできません…
アダムもよかったあああ!
再演は中日劇場で一度観ましたが、初演は映像のみ。しかしやはりカナメさんの美声の印象は強いので、ミツルの歌はがんばってはいたけれどやはり物足りなかったかな…
だいもんがまた歌えるだけにねー…
アンダルシアの場面でも、踊りは呼吸などよく研究していて本当によく光と影が合っていただけに、歌になると弱く聞こえて残念でした。
蘭ちゃんはクリスティーヌ効果かアルテミスの歌なんかとてもよかったな、と思ったのですが、悲しみの貴婦人の歌は物足りなかったかな…
でもダンスはどれもよかったなー。アダイブ電話トークもなんか妙に色っぽくてよかったなー。
どうしてもだいもんやアーサー、あきらに目が行くのだけれど、あきらはもう少し花組らしい端正なダンスができるようになるとなお素敵なのではないかしらん…とちょっと思いました。いいんだけれど、荒く見えるところがあった。
だいもんもガイズなんかホント男臭くてよかったけれど、プロローグとかはすっごく丁寧に踊っていて綺麗だったもん。
男役のタコ脚女装場面も素敵でした。
これまた男役もがんばっちゃうロケットもとてもよかったなあ。
「ジュテーム」のまよまよとじゅりあのカップルもよかった!
あっという間で堪能しました、ショーってやっぱりイイですね!(きらーん☆とれみぱんふうに(^^;))
江戸末期文政年間、神田や日本橋を襲った大火からひと月が経った頃、「大留」の若棟梁・茂次(蘭寿とむ)は店や両親が炎に飲み込まれたとの知らせにも動じることなく川越の普請場での仕事をやり遂げ、ようやくこの地に戻ってきた。同じ火事で母親を亡くしたおりつ(蘭乃はな)は「大留」の下働きをしていたが、火事で身寄りをなくした子供たちの面倒を見ていて…
原作/山本周五郎『ちいさこべ』、脚本/柴田侑宏、演出/中村暁、作曲・編曲/寺田瀧雄。1971年初演、81年再演、91年三演、92年四演の名作。
私の宝塚観劇スタートは93年なので、この作品は映像でも未見でした。
宝塚にハマりたての当時、確か三演でくろ(今回は華形ひかる。ニンでしたねー!)を演じたヤンさんが茂次を演じて好評だとか、でも相手役のミハルがヒロインでなく子役に回っていて、トップ娘役の扱いとしてどうなのよ…みたいなことを聞いていた気がします。
あとは「寺田瀧雄作品集」のCDで主題歌を聞いていただけでした。
「寂しいのね、おじさんも」
と歌われる「おじさん」というのがよもや主人公だったとは、今回生で観て初めて知りましたよ!(^^;)
一応病み上がりで、元気なこととか親のありがたみを痛感したところだったので、もう冒頭の子供たちの場面から号泣でした。
後半の、茂次が両親を弔わない理由のところなんかも…
このあとこのツアーは北上して被災地を回るんですよね。被災者の方たちもたくさん観てくれるといいなあ、そして泣いたり笑ったりして励まされるといいなあ、と思うと、もう泣けて泣けて仕方がありませんでした。
14人もの子供たちは、みんな歳も個性もばらばらな感じが実によく出ていてとてもよかったです。
そして彼らからしたら、茂次は立派に「おじさん」なのね、わかるわ(^^;)。
しかしおそらく一番の年長であろう梅(芽吹幸奈。美声もよかった!)は、おりつを助けてよく子供たちをまとめていて、周りの気遣いなんかもできる娘ですが、はたして彼女とおりつの歳の差はいくらもないのではないでしょうか。
おりつはおそらくもう初潮を迎えていて、娘になった、大人になったということで、働いている。
梅は初潮はまだだから子ども扱いだけれど、おそらくおりつとふたつかみっつしか離れていないのではないかしらん。
昔の人は大人になるのが早かったとはいえ、おりつも健気なことです。
火事で母親を亡くして、「大留」で住み込みの下働きを始めたということは、それ以前から父親早くに亡くしていたのでしょう。そのころからすでに、母親を助けて働いていたのかもしれません。
ほんの子供のころは、同じ町内で生まれ育った遊び仲間として、茂次ともおゆう(花野じゅりあ)とも一緒に駆け回っていたのでしょう。
しかし長じるにつれて、茂次は生家を継ぐべく大工の修行をするようになるし、大店「福田屋」のお嬢さんであるおゆうは大振袖着て習い事に通う暮らしをするようになる。
それは誰にも仕方のないことなのでした。
おゆうが子供たちの世話の手伝いを申し出たとき、ほとんどふくれているおりつがとてもよかったです。
おりつは健気だしいじらしいいい子だけれど、単なるいい子ちゃんではない。
おゆうさんありがとう、助かります、なんて思えない。そりゃ嬉しいけれど、助け舟にはなったけれど、でも割って入られた、領分を侵された気持ちになり、それが顔に出てしまう。
原作を未読なのですが、ヒロインをこういう役に描く柴田先生の視線が本当に好きです。
それでいうと、蘭ちゃんはがんばってはいたけれど、やっぱりまだまだいっぱいいっぱいに見えたかなー。
江戸ものということでは、これがきりまりでも素敵だったかも、『アルジェの男』であれだけいじらしいサビーヌを演じたまりものおりつも観てみたかったかも、とちょっと思ってしまいました。もっと言えば演技派スミカで、とかね。
一方おゆうもまた、意地悪で高飛車なお嬢さん、というような色濃い悪役ではありません。
あくまでも天然の厚意でというか、よかれと思って手伝いを申し出ているのであり、でももちろんそれは茂次のそばにいたいから、彼の手伝いをしたいからというものでもあるのだけれど、それはそれで素直でいいことだし、なんとはなしに上から言っているように聞こえてしまうのも仕方がない、それだけ何不自由なく暮らしているいいお嬢さんなんですね。
だからこそおりつは卑屈になってしまうのだけれど…
わかりやすいライバルキャラならもっとずっとやりやすかっただろうけれど、じゅりあはなかなかいい味を出せていたのではないでしょうか。
おりつの気持ちもおゆうの気持ちも知らないではなかった(それは別の作品の台詞)茂次ですが、彼もおりつよりいつつ年長なだけ、まだまだ代替わりには早かったはずの若棟梁なのに、今や「大留」のすべてを背負わなければならない身。
熱意も力量もも人望ももちろんあるんだけれど、それでも責任の重さに押しつぶされそうになっていて、彼だっていっぱいいっぱいなのです。
だからつっぱらかる。
その痩せ我慢、粋でいなせな心意気、威勢のいいタンカ、その奥に揺れる憔悴、苦悩…まゆたんは見事にハマり役、あざやかに見せてくれました。
「女房になるのかならねえのか、どっちだって聞いてんだよ!」
でしたっけ? 知識として知ってはいた台詞でしたが、よもやこんな芝居とともに言われるとは!って感じでした。
一気に怒鳴りつけるように言い切るのかと思っていたんですよね。なのにいったん切って後半、テレたようにそっぽ向いて言うんですよ!
いやんそんなのはいとも言えずにただただ泣くしかできないよね女子は!
話が前後しますが、女に手を上げる男なんてそら最低ですわな。
でも好きな男なら別なんです。というか男だって好きな女にでなきゃ手なんか上げないんですよね。
これとDVの共依存とは紙一重でヒヤリとするんですけれど、でも茂次がおりつについ手を上げるくだりは、じんわり胸が熱くなる名場面でした。
茂次はあの時本当にいっぱいいっぱいだったんです。棟梁仲間の援助を断って、父親が必死で守ってくれた看板を質草にしてまで借金して、返済の具体的な算段はできていなくて…
おゆうのことだって嫌いじゃなかったし、おゆうの好意にもお久(京三紗)のおゆうを嫁にやりたがっている思惑にも気づいていたでしょう。そこへ借りを作りに行くのは本当に苦渋の決断だったに違いありません。
でもそれしかなかったし、もうやってしまった。あとはなんとかするしかない。なのに迎えに来たというおりつにやいのやいの言われて…
おりつが茂次にやいのやいの言うのも甘えなら、茂次がおりつについ手を上げてしまったのも甘えなんです。好きだから甘えてるんですね。おりつが泣くのは、それがわかったからです。
けれど、茂次とおゆうの祝言の噂が流れる。
子供たちはゲンキンだから、「おゆう姉ちゃんでもいいなー」てなもんなワケです。この反応がまたよかったなあ。
けれど梅や菊二(鳳真由)は年嵩だからもう少しおりつの心が忖度できる。まして菊二は一度戻ってお尻をぶたれたときから、おりつに忠誠を誓っているくらいなのではあるまいか(^^;)。
このあたりの流れもすばらしかったです。
カーテンコールでふたりが手くらいつないでくれたらなお嬉しかったけどな…(*^^*)
ちゃんと兄貴分に見えた大六のだいもん、子供たちと一緒になって楽しそうにしていたのが印象的だった正吉のあきらも素敵でした。
恥ずかしながらひとつだけ…結局ワタシ、「ちいさこべ」の話、つまりおゆうがあつ(月野姫花。顔が小さくて頭身が高すぎるのでうっかりすると子供に見えないけれど、何しろあの声がね…!)に語った話のオチというか意味がよくわからなかったんですけれど…?
アレレ??
***
ロマンチック・レビューは作・演出/岡田敬二、作曲・編曲/吉崎憲治。90年に初演、今年2月に再演されたものの三演。
「ジャスト・ファン時代に観ていて、やれると聞いてもう踊っていた、踊れた」
とまゆたんが語るショー、圧巻のスターっぷりでした。
赤いお衣装で「ルポォワァゾォオオオ~ン!」…あんなコトまゆたんにしかできません…
アダムもよかったあああ!
再演は中日劇場で一度観ましたが、初演は映像のみ。しかしやはりカナメさんの美声の印象は強いので、ミツルの歌はがんばってはいたけれどやはり物足りなかったかな…
だいもんがまた歌えるだけにねー…
アンダルシアの場面でも、踊りは呼吸などよく研究していて本当によく光と影が合っていただけに、歌になると弱く聞こえて残念でした。
蘭ちゃんはクリスティーヌ効果かアルテミスの歌なんかとてもよかったな、と思ったのですが、悲しみの貴婦人の歌は物足りなかったかな…
でもダンスはどれもよかったなー。アダイブ電話トークもなんか妙に色っぽくてよかったなー。
どうしてもだいもんやアーサー、あきらに目が行くのだけれど、あきらはもう少し花組らしい端正なダンスができるようになるとなお素敵なのではないかしらん…とちょっと思いました。いいんだけれど、荒く見えるところがあった。
だいもんもガイズなんかホント男臭くてよかったけれど、プロローグとかはすっごく丁寧に踊っていて綺麗だったもん。
男役のタコ脚女装場面も素敵でした。
これまた男役もがんばっちゃうロケットもとてもよかったなあ。
「ジュテーム」のまよまよとじゅりあのカップルもよかった!
あっという間で堪能しました、ショーってやっぱりイイですね!(きらーん☆とれみぱんふうに(^^;))
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