駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

島田明宏『絆』(集英社文庫)

2020年10月19日 | 乱読記/書名か行
 拓馬の家は福島県南相馬の競走馬生産牧場だ。2011年3月11日、東日本大震災の津波で牧場は壊滅、愛馬シロは子馬を産み落として事切れた。恋人も失った拓馬に唯一残された希望でもある子馬は「リヤンドノール(北の絆)」と名付けられ、競走馬として成長していくが…相馬野馬追の地を舞台に描く、人と馬の祈りの物語。

 正直、ルポルタージュも書ける競馬記者が取材して着想を形にしただけの小説で、文芸とまで呼べるほどの深みはないかな…と思ってしまいましたが、それでもこうした馬ものを読むのが久々だったので、けっこう楽しくのめり込んで読んでしまいました。恋人を亡くした主人公の前に次々美女が現れてモテモテになる…みたいな展開がないのもよかったです(笑)。まあそうした人間模様がきちんと描ければもっともっと深い作品になったのかもしれませんけれどね。でも、できすぎだろうがなんだろうが、それはお話だからいいのです。ワクワク読んだし感動しました。
 なので以下は、本の感想ではなくただの自分の思い出語り、覚え書きです。私が競馬にハマっていたことろの観戦記や日記その他を上げていたサイトはもうなくなってしまっていて、デジタルのテキストデータとしてはもうないからです。まとめた同人誌はまだ実家にありますけれどね…(笑)

※※※

 私は騎手の武豊と同じ年の生まれ、向こうが早生まれなので一学年下になります。向こうは中卒で2年か3年競馬学校に学んで騎手デビューしたんでしたっけ? ジェンヌか!って感じですよね。なので先輩のミッキーともどもヤングでイケメンでまあまあ勝てるスター騎手が揃ってきたときに世はバブル真っ盛りないし終宴間近、JRAは競馬場に女性客を呼び込もうと大々的なキャンペーンを張り、それに「いっちょ覗いてみようか」となった当時の女子大生のひとりが私だったのでした。
 で、ホントーにハマりました。平日は大学の授業と家庭教師のアルバイトに明け暮れ、週末はラジオの競馬中継を聞きながら一日中同人誌の原稿を描く日々になりました。私が初めてコミケに行ったのは中学の時だったかもう高校に入っていたか、とにかくまだ晴海で世はキャブ翼全盛期だったんですけれど、私はオリジナルSFなんかをコツコツ描いていたのでした。もちろんディスコを覗いたこともあったしワンレンボディコンでしたがなんせ地味な大学だったし苦学生でもあったので、ひたすらバイトと趣味に生きていたわけです。
 そして好きになった馬がレースに出るとなれば北は札幌競馬場から南は九州、小倉競馬場まで、夜行バスや新幹線や飛行機で観戦に出かけていったものでした。宝塚歌劇にハマる前の私にとって関西とは、淀と仁川と栗東トレセンだったわけです。買う馬券は数百円で、当たりゃしないし、交通費の方が全然高くて、レースは本公演3時間どころか長くても3分ないわけですが、それでも生でその場にいることが大事だったわけで、腰軽くどこへでも行きました。
 地味な大学でも世はバブル、大学を卒業して就職するまでの春休みにはクラスメイトは三々五々アメリカだヨーロッパだと一週間ほどの卒業旅行に旅立ちましたが、私は静内の競走馬の生産牧場で二週間の住み込みバイトをして過ごしました。実家のそばに乗馬クラブがあったので乗馬も始めていたのです。家族経営の牧場がほとんどでしょうがそこはわりと大きめで、全国から馬産に情熱を抱く若者が働きに来ていて寮もあって、私もお客さん扱いされることなくフツーに働かせてもらいました。ただ東京から来た女の子、という面も確かにあって、冗談でしょうがうちの跡取りの嫁に来いと何人もの牧場主から声かけられたりもしました。けれど私はもう今の会社の内定が出ていたので、予定どおり帰京し、就職したのでした。
 仕事が忙しくなると週末の休日は貴重になって、競馬場へ出かけたりテレビ観戦したりすることは少なくなっていきました。都内でひとり暮らしも始めましたが、週末には実家に帰って上げ膳据え膳一番風呂のウィークエンド・パラサイト生活を送っていて、昼間は乗馬クラブで犬の散歩をし愛馬に跨がり、ときどきローカルな競技会に出ては落馬執権を繰り返すような日々を結局20年過ごしました。馬仲間と千葉や軽井沢や盛岡や青森や旭川に外乗旅行に出かけましたし、オーストラリアにも行きました。モンゴルに行っておけばよかったなーと今でも思っています。
 四十歳になったときにトートツに家を買おうと思い立ち、都内に新築マンションを買って、それで週末に実家に帰る生活はやめて、合わせて愛馬も手放し乗馬クラブも退会しました。鞍も長靴もヘルメットも乗馬クラブに寄付してしまいましたが、キュロットとチャップスは取ってあるので、そのうちハワイででもまた乗りたいです。自転車と同じで、乗馬も乗るとなったらまた思い出して乗れるだろうと信じています。
 小学校に上がったときに父が犬をもらってきてくれてずっと飼っていましたが、乗馬を始めたのと入れ替わるように天国へ旅立ちました。犬と馬はずっと好きです。猫も好きだけど飼ったことがないので触り方や可愛がり方がよくわかりません。でも犬と馬は、わかる。馬は犬のようには表情豊かではないけれど、耳はもちろん、全身の仕草で感情や考えを伝えてきます。何より人に添おうとしてくれる動物です。愛しい生き物です。
 この小説は震災の年に生まれた子馬を巡って前後数年を描いていますが、私は架空の一年間の物語を考えていたことがありました。春の桜花賞から暮れの有馬記念まで、そしてまた春へ…という一年間です。若手騎手の青年が主人公で、競馬記者の卵がヒロインで、獣医の女性や若い馬主や恩師の調教師やライバル騎手や生産牧場や育成センターやのキャラとドラマとレースを考え、4分の1ほどは描いたんだったかなあ…全体の構想をすべて書き付けたノートが、まだ実家にあるでしょうか? オタクとしてはやっていることが四十年前から変わらないのでした。
 仕事で凱旋門賞にも英仏ダービーにも行きました。今でも馬モチーフのアクセサリーなんかには目がなくて、エルメスにもグッチにもどれだけ散財したかわかりません。馬具屋スタートのハイブランド、恐るべし。
 今は馬の歳の数え方も違うし重賞体系も馬券の種類も違うんだそうですよね。それでもまたたまには競馬場へ、牧場へ、乗馬クラブへ、外乗へ、馬術競技場へ行きたいです。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『おかしな二人』

2020年10月18日 | 観劇記/タイトルあ行
 シアタークリエ、2020年10月17日12時。

 ときは1970年代のニューヨーク。マンハッタンにあるオリーブ・マディソン(大地真央)のアパートは古新聞や雑誌が散らかり、夏だというのに冷蔵庫は2週間壊れたまま。離婚後、その不精な性格から部屋は荒れ放題だが、女友達が毎日のように集まってはゲームやおしゃべりで盛り上がっていた。みんなの話題は、最近夫から離婚を切り出されたフローレンス・アンガー(花總まり)のこと。傷心の彼女が自殺でもしかねないと好き勝手に話していると、玄関ベルが鳴り…
 作/ニール・サイモン、潤色・演出/原田諒、翻訳/伊藤美代子。男性版は1965年初演、女性版は1985年初演。全2幕。

 女性版は日本では小泉今日子と小林聡美、浅丘ルリ子と渡辺えり子などでも上演されているそうですね。私が宝塚歌劇で男性版を観たときの感想はこちら
 プログラム含め宣伝ビジュアルがファンキーでキュートで、魔王様とマリー陛下との共演というのも話題の作品でしたが、戯曲としては…コレ、おもしろいのかなあ?と素直に思ってしまいました。コレ、元のまんまなの? ならアメリカン・ジョークが訳しきれていないとか今にハマっていないとかなの? 未だに人気があるようですが、何故まだ再演され続けているのか私にはよくわからない…ぶっちゃけおもしろくなくて退屈しました。赤裸々かつ軽妙洒脱な会話劇、のつもりなのかもしれませんが、全然そんなふうには見えなくて、1幕は40分くらいなんですけどそれでも長く感じました。なのに2幕は3場もあってフィナーレまであって、結局30分の休憩込み3時間弱って…長いよ! 重いよ! サービスだと思ってるなら要らないよ、セットチェンジの必要があるのはわかるけど1幕2時間ものにしてほしいよ!と思ってしまいました。
 共演者が豪華なのでこのメンツで歌わないのはもったいないなと思っていたら、2幕になって突然歌があり、ミュージカルだったのか!?となったのはちょっとおもしろかったけれど…フィナーレも、今のこのご時世に劇場に来てくれる観客への感謝も込めてのものだったようだけれど…うーんやはりそうしたサービスはともかく芝居の本質的なところがアレじゃねー、となりました。魔王様もハナちゃんもやっぱり別に歌が上手いわけでもないし、今さらバリバリ踊るわけでもないしね…
 魔王様の、まるで四季が出身でしたっけ?ってな感じのやたら明晰な台詞回しは聞きやすいっちゃ聞きやすくていいんだけれど、なおさらナチュラルでなんてことない日常会話の洒落っ気みたいなものからは遠ざかるし、ハナちゃんはそつなく上手いけどだから何?って気がしました。でも役者は膨大な台詞とよく格闘して上手くこなしていたと思います。だから問題は要するに脚本ですよ、この本で何をやりたかったのかっていうプロデュースの問題ですよ。いっそ、ズボラと几帳面で友達だけど喧嘩ばっかり、って枠だけ生かしてもっと今っぽい全然違う会話劇にしない限り、もう意味なくない? 別に舞台がちょっと前のアメリカだろうがなんだろうが、普遍的なものがないなら再演の意味はないわけで、配役の醍醐味だけではそらこんな小さなハコでも埋まらないでしょ、としか思えませんでした。
 美術の松井るみはともかく、照明が勝柴さんで音楽が玉麻さんで衣裳が有村さんでという宝塚布陣なのもこうなるとむしろなんだかなあ…でした。達者な役者揃いだっただけに、残念でした。


  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ローマの休日』

2020年10月18日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 帝国劇場、2020年10月16日18時。

 ヨーロッパのとある国の王室の一員であるアン王女(この日は朝夏まなと)は、諸国歴訪の旅に出ていた。連日の公式行事や数々の祝宴、会合への出席と多忙な日々が続く中、初夏のローマを訪れる。その夜も王女歓迎の舞踏会が催されている一方で、街ではローマっ子たちのお祭りが夜を徹して続いていた。王女とはいえ内実は遊びたい盛りのうら若き女の子、束縛から解き放たれたいという欲求を抑えようもなく、王女は大使館をそっと抜け出すが…
 原作/パラマウント映画『ローマの休日』、脚本/堀越真、演出/山田和也、音楽/大島ミチル、作詞/斉藤由貴。1953年製作の映画を世界初ミュージカル化、1998年青山劇場初演、2000年には帝国劇場で再演した舞台を、オリジナル・クリエイティブ・スタッフはほぼそのままに、脚本、音楽、歌詞などを一部刷新した三演。全2幕。

 コムちゃんアン王女で三人芝居のストプレ版も観ましたし、宝塚歌劇のチギみゆ版も観ました。もちろん映画も見ています。というかデジタル・ニューマスター版DVDを持っているくらいです。私はそんなにはオードリー・フリークとかではないけれど、これが映画初主演作だったなんて本当に運命的だと思うし、作品としてもあくまで小品だとは思いますがものすごーく良くできた映画だと思っています。というかほぼ完璧な出来なのでは? グレゴリー・ペックがまたいいんですよね。もちろんローマというロケーションも素晴らしい。だから舞台化に関してはそもそも点が辛いところがあると思います。今回もやや「どうせ…」と舐めた感じで劇場に行きました。
 が、ボロ泣きしました。
 まず、楽曲がいいんですよね、感心しました。私は常々、日本のオリジナル・ミュージカルは楽曲が弱いと思っていたのですけれど、20数年も前にこんな作品がちゃんとできていたなんて驚きです。キャラクターの心情を歌うようなアリア系の曲もいいし、アンサンブルが踊って回すような楽しいにぎやかなナンバーもいいし、いかにもミュージカルらしく登場人物数人が掛け合いで歌うような曲もいい。歌詞もやや単純明快すぎるきらいはありましたが、明晰でわかりやすく、聞き取りやすかったです。
 だからもっと歌の上手い人で観たかった…というのは、ありました。元基くんはなんの問題もありませんでした。声量も音程も立派で確かで、元気で溌剌としたアメリカンなジョー・ブラッドレー(平方元基)で、スクープ取ってギャラもらって凱旋帰国したるで!な明るい、気持ちの良い青年でした。タッパがある、というか大柄なのもとても良くて、この時代っぽいややオーバー・シルエット気味のスーツ(衣裳/前田文子)もよく似合っていました。アーヴィング役の藤森慎吾もとても達者でそつがなく、舞台での居方がとても上手でした。あとはそんなに歌わないからいいとして、ソロがある女優陣が残念でした。伯爵夫人役の久野綾希子は、最近の舞台も観ていますがもう往年の歌唱力はないと思うんですよね。痛々しさすらある…そしてまぁ様は高い音がよく出るようになっていましたが、それでもやっぱり危なっかしいところがあるし、聞いていてヒヤヒヤするので現実に引き戻されがちなのです。ヒステリーを起こすところなんかは特に、もしかしたらそういう芝居なのかもしれないけれど本当に苦しそうなやたら高い声で台詞をしゃべるので、そもそも喉の使い方があまり上手くないというか、舞台向きじゃない人なのでは…とすら思ってしまいました。街へ出てヒールを脱いでサンダルになって踊り出すくだりで俄然輝いたので、やはりダンスの人だと思うんですよね。『フラッシュダンス』でやっとファンがちゃぴの卒業後の舞台に満足したのと同じようなことだと思うのです。つい、次の再演ではきぃちゃんで観たいよね、とか思ってしまいました…が、それだと若すぎて王女としての務めに縛られるアンが痛々しくなりすぎるかなー、とも思い直しました。そういう意味ではやはり、まぁ様でよかったんだとも思うのです。つまりお芝居は本当によかった。たたずまいその他も素晴らしかった。そして私は結局のところ、まぁ様がそういうお芝居で作り出したアン王女の生き様に泣かされたのでした。
 まず、登場からして完璧に美しいのが素晴らしい。あたりを払う気品、威厳、美貌、ドレスの着こなし。けれどすぐ椅子に座ろうとしちゃって将軍(今拓哉)にたしなめられてしまった、みたいな顔したり、すぐおすましして賓客をもてなすんだけどだんだん退屈してきてダンスが待ちきれなくなってソワソワし出したり、あげく靴が脱げて転がってどうしよう!みたいになったりの表情が、もういちいちチャーミングでめっカワで、誰もがこの王女を好きにならずにはいられない!!となるのです。薬が効いて寝ちゃうのも、正気に返ってからのオタオタも、その後の街歩きでのプチ冒険にワクテカしているところもみんなカワイイ。ジョーと再会してからも、決してベッタリ甘えすぎる感じにならないところもいい。そう、これはラブロマンスというにはあまりに恋以前の、淡い、ささやかな感情の交錯の物語なのではないか、と私は思っているのです。だからとても品があって、ちょうどよくて、あたたかで、せつなくて、よかったのです。
 でも、最初に号泣したのは、最初のキスシーンでした。映画でキスってあったっけ、でもいかにもしそうな流れだな…とか考えていたらひょいっとしたような、そんなキスシーンだったんですけれど、でも一拍おいて号泣しちゃったんですよね。アンにとってこういうキスってこれが初めてだったことでしょう、そして今後二度とこういうキスをすることはないのでしょう。一生このときのこの思い出を胸に抱えて彼女は今後の人生を生きていくんだ、と思うと、かわいそうなような、でもせめてもの思い出ができてよかったねと思うような、もう母のような乳母のような姉のような、立ち位置不明の号泣をしてしまったのです。別れの時が迫るにつれて二度、三度とキスシーンがありますが、最後に元基くんジョーに抱きつくまぁ様アンが爪先立ちしていて、あのまぁ様が…!ってのにもキュンキュンしてまた号泣しました。このあと王女はいずれどこぞの王族の子弟と政略結婚することになると思うのですけれど、どうかその人がいい人で、ゆっくりとではあっても愛情が育てていけるような人でありますように…と、彼女のために祈らないではいられませんでした。それでもやはりこういう情熱的な、性急な、とっさの、感情の高ぶりによるふいのキスはもうないんだと思うので、そのせつなさに泣けて泣けて、仕方がありませんでした。
 でもアンは、自分で選択して大使館に戻ってきたのです。そして今までとは違った覚悟で、王族としての義務をきっちり果たしていく、と宣言します。一度逃げ出したことで、こういう家に生まれた者の務めだから…と、頭でわかってやってはきたものの心がついていかなかったものが、やっと受け止められ、受け入れられ、すべて引き受ける気になれたのです。この感じは歳若すぎるあまりにキラピカした女優さんがやっちゃうと出せないな、と思いました。ある程度ちゃんといいオトナな歳に見える女優さんがやって見せてくれた方が、しみるしいいんだと思うのです。青春を終わらせる覚悟、運命と人生に向き合う覚悟、そのまっすぐさ、ひたむきさとその裏にどうしてもにじむ悲哀を見せてほしいからです。自分の寝室に戻って赤いガウンをまとって、ミルクを断るまぁ様アンの凜々しく神々しく美しかったことよ…! また号泣。
 ラストも本当に映画どおりで、王女が退室して空っぽになった玉座と、それをひとり眺めて、そして背を向けて部屋を出るジョー…という構図がせつなく美しく、大満足でした。最後にあのレタリングで「The end」と紗幕に写してくれたらさらによかったんですけれどね。
 ハコはもうちょっと小さいところでやってもハマったかもなと思いつつ、盆がガンガン回るのもよかったし、スペイン広場の映像も階段も、スクーター疾走シーンもよかったです(美術/松井るみ)。取材陣から街の人々まで歌い踊るアンサンブルもとてもよかった(振付/桜木涼介)。冗長になるギリギリのたっぷりしたナンバーがいかにもミュージカルで、豊かで楽しく、本当にいい舞台になっていました。世界中で未だに深く愛されているこの映画の、いい舞台化になっていたと思います。
 アンのブラウスは途中で襟が変わっていたようで、ちょっと残念だったかな。映画でも、元の長袖ブラウスの袖をどんなにまくり上げてもあんなに綺麗な半袖になるわけないので、途中で変わっている嘘があるんだけれど、首元まできっちりボタンを留めていたのがひとつ外しふたつ外し、ネッカチーフを巻き、袖をまくり上げたくし上げ…ってどんどん解放されお洒落になっていくのが素敵なんですよね。
 お伽話なんだけれど、王女と記者が手に手を取って駆け落ちしてめでたしめでたし、なんて話じゃないところがいい。この選択から受ける印象は世につれ時代につれ変わるのかもしれませんが、だからこそ愛され続ける不朽の一作なのでしょう。とてもシンプルなお話なところもとてもいい。だからやはり、改変するならミュージカルがいいんだろうな、と思いました。ストプレには合わない題材な気がします。この形で観られてよかったです。
 ちなみにダブルキャスト回を観た知人の感想によれば太鳳ちゃんはやはり歌が弱く、太田くんのアーヴィングは顔が良くてジョーを食いそうだったとか(笑)。そちらも観てみたかったなあ。
 あとから追加で売ったのか最前3列ほどは全席お客が座っていて、あとは市松模様でした。完売したのかな? まだ苦しいのかな…でも、たくさん観られて愛されてほしい演目でした。またいいキャストとハコで再演していただきたいです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高森朝雄・ちばてつや『あしたのジョー』

2020年10月16日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名た行
 講談社漫画文庫全12巻。

 ある日ふらりと下町のドヤ街に現れた、天涯孤独な少年・矢吹丈。腕っ節の強さが元ボクシングジム会長の飲んだくれオヤジ・丹下段平の目にとまる。ボクサーを育てることに生涯をかける段平は、夢の実現を託そうとするが、丈は詐欺窃盗事件を引き起こして少年院へ送致されてしまう。だがそこには、生涯のライバルとなる力石がいた…

 『漫勉neo』の第一回ゲストがちばてつやだったので、そういえばこれまた長く愛蔵しているのに感想をまとめていなかった気がする…と再読してみました。
 私はリアルタイム読者ではなくて、でも学童保育の図書室で少年マガジンコミックスで読んでいるはずです。この文庫は大人になってから買い揃えました。
 梶原一騎の原作まんまなんだろうなと思われるやたら詩的だったり哲学的だったりするネームがあったり、かと思えばちばてつやが自由に展開させたんだろうなと思われるターンや描写があったりする、それが渾然一体となって不朽の名作となっている一作だと思います。
 あまりにも有名なラストシーンについては、あれは死の描写ではなくて、やり遂げて満足したという心象風景の描写なのだ…というようなことを『漫勉』で浦沢直樹は言っていましたが、正直どっちでもいいな、というかフツーに死でいいやろ、と思っています。あのあと廃人として残りの一生を終えようが、回復して再びチャンピオンに挑もうが、ボクシングはやめて一般人になろうが、死んだままであろうが、それはすべてのちの話であって、物語としてはあのラストシーンで終わり、あれしかなかった、というのが正解なんだと思います。
 私は葉子さんファンなので(陽子、や洋子、でないところも好き)、そのラブストーリーとしても愛しています。イヤそんな甘いものではなくて、確かにほとんどトートツにラストに告白がぶっ込まれただけであり、丈もずっと意識していたことは確かなんだけれど恋と呼べるほどの域にいたっていないもっとモヤモヤした感情のままで、でも紀ちゃんをスルーしたのともまた違うし、最後にグローブを渡したことも事実なわけで…その淡さ、複雑さ、重さも含めて傑作だと思っています。男だ女だ言われる台詞も、まあ時代でもあるし、実際拳で殴り合うスポーツなんてそら性差が最も強く出るもののひとつだろうので、そこに口出しなんかしません。今で言う悪役令嬢みたいなこういう女性キャラクターが、こういう少年漫画のこういうヒロイン位置に置かれたことは当時ほぼなかったと思うので、その斬新さとおもしろさにも打たれます。
 ちょっと話がズレますが、今読むとカーロスとロバートのイケメンふたりがやたらイチャイチャして見えてやたらセクシーで、イヤまったくそんな意図はなかったんだろうし薄い本が作られるには時代が早かった案件なんだろうけれど、この色気はなんなんだ…と震えました。ところでその後ロバートはどうしたのでしょうね…さびしいわ。
 連載開始当初からがっちり全体の構想が見えていたわけでもなさそうに思えるところ、それでも変に迷走しすぎることもなく綺麗に走り抜けまとまっているところ、も素晴らしいと思っています。最終回はもう4ページ、せめてあと2ページあるとよかったかもしれない、とは思いますけれどね…でも、大事に愛蔵していきたい一作です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『銀河鉄道の父』

2020年10月16日 | 観劇記/タイトルか行
 新国立劇場、2020年10月15日19時(初日)。

 物語は政次郎(的場浩司)の葬儀のシーンから始まる。愛妻イチ(大空ゆうひ)、末っ子で家を継いだ清六(栗山航)に見送られた政次郞は、「はざまの停車場」で賢治(田中俊介)と出会い、人生を振り返る…
 原作/門井慶喜、脚本/詩森ろば、演出/青木豪。直木賞受賞作を家族の会話劇として舞台化。全1幕。

 抽象的なセット(美術/杉山至)が印象的な舞台で、それを存分に生かしてくるくるパタパタ話が進む印象の作品でした。ちょっと緩急なく感じられたかなー、初日だからかなー。私は原作小説は昔ハードカバーで読んだ記憶がありますがあまり印象に残っていなくて、「ああ、そうだったそうだった」とか思いながら楽しく観ましたが、ちょっと焦点のないお話に思えたかもしれません。天才の父、というよりは、この時代にしては珍しく息子に甘かった父親と、なんらかの才能はあったのかもしれないけれどワガママ勝手なフラフラふわふわした息子…がテーマ、ではあるのでしょうが、そしてほろほろ笑いも沸いてましたが、作品として温まるのはこれから、なのかなあ?
 賢治の妹トシは乃木坂46の鈴木絢音。舞台もいろいろやっている人だそうで、可愛くて達者でした。でも子供チームだと弟役がよかったかなあ。要所を押さえているように見えました。
 大空さんは、普通のお母さん、な役どころ、かな? この時代の、地方の、やや裕福なところの奥さんでお母さん。夫や夫の姉や子供たちを愛し気遣い、普通にオタオタおろおろパタパタしている可愛い「おがさ」でした。すごーく上品とか、どーんと肝っ玉が据わっている、とかはない。本当に普通で、でもキュートでした。なんでも上手いなあ。プログラムやポスターなどの宣伝ビジュアルははんなり美人でとても素敵で、もっと若い役でももっと老けた役でもなんでもできる、女優さんとしていい年代になってきたなとファン目線ながら思います。先日のイギリスのお屋敷の女中頭とは全然違ったのもまたおもしろかったです。今後も楽しみです。
 客席はまだ市松模様でしたが、男性客が多く、宮澤賢治ファンなのかなあとか思ったりしました。私は結局どれもちゃんと読んだことがないかもしれません…
 盛岡弁、役者としてはイントネーションその他いろいろ大変だったでしょうが、ワケわからんみたいなこともなく、耳に優しくほっこりしました。
 ラストの汽笛が印象的で、ちょうど『劇場版 銀河鉄道999』のテレビ放送を見たところだったりもしたので(笑)、鉄道ってロマンだよなあ、としみじみしました。良き演目に進化していきますように!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする