駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

PLAY/GROUND Creation『BETRAYAL 背信』

2020年10月02日 | 観劇記/タイトルは行
 赤坂RED/THEATER、2020年10月1日16時(千秋楽)。

 ジェリー(この日は池田努)は親友ロバート(この日は小野健太郎)の妻であるエマ(この日は壮一帆)と、7年にわたる不倫関係にあった。その関係が破綻してから2年、ふたりは再会する。エマはジェリーに、ロバートと別れるつもりであること、そしてふたりの過去がロバートに知られてしまったことを告げる。あわてたジェリーはロバートを呼び出し謝罪するが、そこでジェリーはロバートが4年も前からふたりの不倫を知っていたことを知る。時は徐々に遡っていき、過去が明らかになっていくが…愛と裏切りについての9年間の物語。
 作/ハロルド・ピンター、翻訳・演出/井上裕朗、文芸協力/小田島創志、音楽/オレノグラフィティ。ノーベル文学賞受賞作家が自らの経験を元に書いた戯曲。1978年初演、全1幕。

 私は現役時代はそんなにツボらなかったんですけれど、女優になってからのえりたんはわりに好きで、90分の三角関係4人芝居なんて好みに決まってるじゃん、といそいそ出かけてきました。ちなみにすっかり忘れていましたが演目自体は以前観たことがあって、こちら。卒業後のえりたんは『深夜食堂』とOGのDSくらいししか観ていないのですが、機会あれば引き続き追い続けたいなと思っています。無理してグランド・ミュージカルに出るような仕事をしていないのが、いいよね。あと、ちょっと変わった声も好き。そういえば開演前の注意アナウンスの声がえりたんで、開演時間にそのアナウンスが再度繰り返される中、えりたんエマがゆっくり舞台に出てきてなんとなく舞台が始まる感じが、とてもお洒落でした。
 今回の演目はキャストが2パターンあって、もう1チームは役者の年齢が気持ち若めで、イメージカラーは黒だとか。そして芝居は若い分エグい仕上がりだったそうです。観比べてみたかったなあ。対して今回のチームはイメージは白、オトナなのに赤ちゃんみたいにピュア、という芝居になっているそうです。わかる気がしました。
 構造としてはどんどん時が遡っていく形なんだけれど、だからといってそれで何かが、まして真実が明かされる、というようなお話ではありません。強いて言えば、最初の最初から誰もが何かを裏切っていたのだ、ということが明らかにされるだけのお話、かな。ジェリーがエマの手を取ってエマがハッとなる、普通のロマンスなら、少女漫画的に考えるなら恋が生まれる瞬間のはずです。でもこれは、そこで幕、となるお話なのでした。イヤ幕が上がったり下りたりしない舞台なんですけれどね。
 そもそも3人とも既婚者だから、教会で神に誓った夫婦の愛を裏切るところからスタートするわけですし、そもそもこういう男ふたりがひとりの女を取り合う話って所詮男のホモソに女が利用されているだけだろってところがある。そういう意味でも裏切りです。ジェリーとエマはふたりで会うアパートメントを持ち、家具を揃え、料理をして逢瀬のときを持っても、お互い離婚して再婚しようとはしないし、お互いそれぞれの伴侶ともセックスしている。ロバートは知っていても黙っていたし、ジェリーの妻ジュディスだってどうかはわかりません。愛って何? 誰が誰を、何を愛していたの? 少なくともここには、常に裏切りと表裏一体の愛しかなかった。純粋な愛はなかった。それこそが愛に対する裏切り、背信である…そんなお話に、私には思えました。
 そりゃお互いふたりも子供がいて、まだ小さくて、婚外恋愛のたびにいちいち離婚して再婚しようとかしないよね。エマが今はケイシーのためにロバートと離婚しようとしていることだって、別にそれが真実の愛だからとかではないでしょう。自分だけが相手を裏切っていたと思っていたエマがロバートの裏切りを知らされ、裏切られたと怒ったからにすぎないのでしょう。それもまた愛かもしれないけれど、多分「真実の愛」「純粋な愛」ではない。この世にそんなものがあるとして。
 タイトルは「トルチェロ」としていたものを発表直前に変更したそうですが、それはロバートがひとりで行って楽しんだ土地の名前です。人はひとりきりでいれば自分で自分を純粋に愛せるのかもしれません。なのに他人と関わろうとしてしまう、他人を愛し、他人に愛されようとし、結果愛は常に裏切りと表裏一体のものになる…これはそんなお話なのでしょう。
 プログラムでは「近づきたいのに近づけない、触れ合いたいのに触れ合えない、それはある意味、今の時代をそのまま写しているようにも思えます」とありますが、私はなんにでもかんにでも「ソーシャルディスタンス」を感じようとすることには意義があります。コロナ「以前」だろうが「以後」だろうが、不変のものもあるのではないかなあ。あるいはそういうものが観たくて、いつの世も人は劇場に来るのではないかなあ。それを愛と呼んだりすることもまたできるのではないかなあ。
 そんなことを考えさせられた、濃くて豊かな観劇でした。美術(稲田美智子)も照明(富山貴之)もとてもよかったです。







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