駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

metro『少女仮面』

2020年02月23日 | 観劇記/タイトルさ行
 テアトルBON BON、2020年2月21日19時半。

 宝塚の大スター「春日野八千代」(月船さらら)が潜む地下の喫茶店。ヅカ・ガールを目指すひとりの少女によって虚飾の世界は揺らぎ始める。嵐が丘と満州の曠野が重なるとき、「春日野」の仮面が崩れ落ちる…
 演出/天願大介、台本/唐十郎、舞台美術/加藤ちか。1969年初演、全一幕。

 先日シアタートラムで観た『少女仮面』の感想はこちら
 というわけで細かい演出はもちろん違うものの同じ戯曲だったことはわかったわけですが、何故か今回は全然、意味が、わからなかったのです…!
 老婆(村中玲子)が少女趣味の服装をして少女漫画誌を持ち歩いているのや、ボーイ主任(若松力)が指に包帯をしているのなんかが同じだったので、ト書きに指定されているものなのかな、とかの発見はあって、そういうのは楽しくはあったのですが…なんか全体に、全然わからなかったのです。舞台が小さくて役者の圧が強く、よりアングラ感はあったかもしれません。
 私はこの作品は要するに、スターとしての自分とか役としての自分に疲れてしまった役者が、ただの自分を取り戻したがる話、要するにキャンディーズの「普通の女の子に戻りたい」という話なのかな、と前回観たときには思えて、その悲しさとか虚しさにわりと感動したんですけれど…なんか今回はそういう「理解」が訪れませんでした。
 ああ『嵐が丘』のヒースと満州の荒野が重ねられているのだな、というのは今回初めて気づいたんですけれど、それとても、「でもなんで『嵐が丘』なんだろう、そもそも宝塚オリジナル作品じゃないしな…所詮世間の認識はその程度なのかな…」とか思えてしまって…
 前回は貝(熊坂理恵子)が役者として春日野を逆転するようなところから俄然おもしろく感じ出した記憶があるのですが、今回はそんなふうに見えなかった気も…
 ただ、さららんの春日野はやはりおもしろく感じました。宝塚OGがこの役を演じるのは初めてだそうですね。やはりジェンヌが、まあOGですが、とにかくジェンヌがジェンヌをあえて「演じる」ときの過剰な本物感はそりゃものすごかったです。そうそう、演出として、さららんの春日野は宝塚メイクで登場しました。若村麻由美は単に化粧がやや濃いめなだけの、舞台メイクとも言えない程度のものだったかと思います。
 あいかわらず綺麗でいい声で、全然老けてないなー変わってないなー、という印象。そしてもちろん芝居はちゃんとしている。それでも全体としてこの役が、この作品が私にはよくわからないままで終わってしまった…ううーむ。
 前半やたら客席から沸いていた笑いが後半全然起きなかったのも印象的でした。私はこんなにシュールで不条理な世界観の中で人が転んだだけで笑うような客席の方をけっこう疑問に感じたのですが、後半静かだったのは笑うところがなかったというより、さらに世界が不条理になっていってついていけなかったんじゃないか、と思いました…が、私が慣れ親しんだ客層より全然男性が多くしかもおじさんが多い客席だったので、アングラにくわしい層だったのかもしれません。ではウケていたのかな…よくわかりません。
 そしてどうでもいいことではあるのだけれど、あれは付け乳だったのかな…やたら豊満でしたが。イヤどうでもいいの、その前から私は、胸元にブラウスのフリルがあってウェストで絞られたベストを着けていても胸が豊かなことがよくわかる春日野だなあと感心していて、それがいいなと思っていたんですよね。春日野は現役ではないから(それとも死ぬまで生徒だったんでしたっけ?)、ないし昔の男役はオフでは普通にスカートを履いていたりもしたからか、胸をつぶしたりもしていなかったはずなので、正しい描写だしそれこそ春日野の「肉体」を感じていいな、と思ったんですよね。その象徴的なシーンではありました。あえて見せるのは露悪的だとも思いましたが、生だったのならそれはそれでごちそうさまでした。
 でもやっぱり、作品が全然わからなかったことの方が衝撃でした…しょぼん。



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宝塚歌劇月組『赤と黒』

2020年02月23日 | 観劇記/タイトルあ行
 御園座、2020年2月18日12時、16時半。

 ナポレオンが没し、再び王政復古となったころのフランス。フランス東南部フラッシュコンテの小都市ヴェリエールに貧しい製材業の息子として生まれたジュリアン・ソレル(珠城りょう)は、繊細な神経と聡明な資質と強い自尊心を備えた美しい青年であった。彼は立身出世をし、富と名声を手に入れることを生涯の目的としていた。司祭のシェラン(颯希有翔)についてラテン語を学び、神学生になる準備をしていたジュリアンに目をつけたのは、町長のレナール氏(輝月ゆうま)だった。彼は助役のヴァルノ氏(千海華蘭)と何かにつけて競い合っていて、息子たちの家庭教師としてジュリアンを迎え入れ、息子たちにラテン語を学ばせてヴァルノ氏に差をつけようとしたのだ。ジュリアンの親友フーケ(月城かなと)は一緒に商売をしようと誘うが、上流階級への糸口をみつけたジュリアンはそれには応じず…
 脚本/柴田侑宏、演出/中村暁、作曲・編曲/吉田優子、寺田瀧雄。1975年月組初演、1989年には月組バウホール公演で再演、2008年には星組で上演されたミュージカル・ロマン。
 生では観たことがなくて、トウあすチエねね版を以前スカステで観たことがあるだけでした。そのときも、いい芝居だけどいかにも役が少ないなあ、と思ったものでした。なので御園座公演に決まったときには、地方公演にショーとの二本立てを持っていかないなんてダメすぎるし、今の月組に組の半分とはいえ役不足すぎるし、だいたい珠城さんてジュリアンってタイプじゃなくない? ちなつの公演と逆にしたら? てかそもそも3番手か4番手スターの若手バウ初主演とか向きの演目なのでは…といろいろ心配したものでした。
 ま、観てみたら、未だアナクロには堕ちないギリギリの古式ゆかしいクラシカルな柴田ロマンで、ザッツ・タカラヅカで、スローな展開ながら登場人物が少ないのでストーリーや心情把握はしやすく宝塚歌劇を初めて観るような観客には向いているだろうし、新調されたゴージャスなフィナーレがついていたので、いろいろ配慮はされているのかな、とは思い直しました。
 劇場も素敵で、アクセスが良く、1階の売店が素晴らしく、ロビーもまあまあで、トイレは私は使用しませんでしたがスタッフのホスピタリティ含め評判は上々でしたね。1階席の床の傾斜はゆるやかで、センターブロックが千鳥配席になっていないので、前方席だとかえって見づらかったかもしれませんね。私はサブセンと端ブロックでの観劇だったので、斜めに視界がよく開けて、ストレスはまったくなく、コンパクトで観やすい劇場に感じました。2階席はどんな感じだったんでしょう…
 なんにせよ、通が5回も10回も通うのはさすがにしんどい演目だと思われ(とはいえ贔屓が出演していたら行かざるをえないのでしょうが、それでも減らすよね…)、入りが悪いと言われても「そりゃそうだろ」としか言えません。柴田作品の再演は続けていく意義があるとは思うんだけれど、座組含めもう少し考えてほしいなあ、とはやはり思うのでした。

 さて、しかし珠城さんジュリアンは素敵でした。もちろんもはや役不足くらいではあるんだけれど、自意識が強くプライドが高く思い込みが激しく被害妄想も激しくて、ときにとても卑屈な、若く美しいけれど滑稽にも見えることがある聡明だけれど愚かな若者、という像をきちんと演じてくれていました。その滑稽さでちゃんと客席から笑いを誘っていて、でも単に「しょーもないなー」とか思わせず、チャーミングだな、破滅するんだろうけど応援してあげたいなー、と思わせられる芝居をやってのけてくれました。「こう見えて」(本人談)熱くディープなラブシーンを多々やってきた珠城さんですが、今回もとてもいい感じに「キャー! ヒュー!!」とさせてくれました。先行画像が出たときにはみんなが「どうしたオイ」となった髪型もスッキリし、良きジュリアンだったと思います。
 人はなんのために生きるのか、それは幸せになるためだ…というのが物語のテーマですが、メインの三人、つまりジュリアンとルイーズ(美園さくら)とマチルド(天紫珠李)はいずれも、一瞬の幸せは得ますが滅んで終わります。ジュリアンは、やっと愛と幸せを知って、栄達はならなかったけれどある意味満足して死んでいくのでしょうから、いいと言えばいいのでしょう。とても男性っぽいですよね。そしてルイーズは当人も言っているように、この数日後に心労で病没してしまうのでしょう。それか、さらに田舎に引っ込んで幽霊のようにして生きながらえるか…子供のためにまた良き家庭婦人として社会復帰する、というのは難しいのではないかしらん。それほど情熱的な女性だったのだと思います。対してマチルドは、自分の決断に酔ってジュリアンの首を葬り子供を産み、その子は父なり兄なりが乳母などに養育させるのでしょうがマチルド自身は何もせず、しかし社交界の女王の座は追われ、何もすることがなくなったときにさすがにふと、虚しさに襲われるのではないでしょうか。実は人は愛の思い出だけでは生きていけないものだ、と私は思うからです。しかもマチルドはまだ若い。憧れの先祖のように若くして死ねなかった彼女の後半生こそ、惨めで悲しいものになることでしょう。結局泣かされるのは女なのです。ひどいわスタンダール…
 でも、そんな、現代ではほぼ成立しえない愛と破滅の物語を、がっつり舞台で見せてくれることが、そして観客の心情は沿わせてかつある種のカタルシスに導いてくれることが、優れた演劇のひとつの効用だと思うのです。良き作品、良き主役でした。
 でもさくさくルイーズは…あすかがすごくよかった印象があって、それ以上ではない気が私はしたなー、さくさく好きなのに残念だったなー。何が悪かったとかではないんですけれど…公演後半だとまた違っていたのかもしれません。とにかくとおりいっぺんに見えた気がしました。
 そしてじゅりちゃんマチルドも、なんせ私はねねちゃんのベスト・アクトでは?と思っているくらいねねマチルドのケンケン才走ったこじらせ具合とかが大好きだったので、やはりそれを越えてこなかったかなーという印象でした。寝室でのガウンがレベルダウンしていたのも残念…そういうところはケチらなくていいんですよ劇団…(ToT)
 れいこちゃんはよかった! 二役ともよかった! カナメさん版ではフーケがユリちゃんでコラゾフはノンちゃんだったんですね、二役になったのはチエちゃんから。フーケはニンだし今の珠城さん大好きわんこれいこちゃんの素も見えていい感じでしたし、この役の意味をちゃんと体現していました。でも役不足だったけどね、れいこちゃんはもっと複雑な役にも心理描写にも出番数にも耐えられますからね。コラゾフの恋愛達人っぷりもなんせ美貌の説得力がすごいわけで、立ち居振る舞いもちゃんとフーケと変わっていてよかったです。プロローグやフィナーレも鮮やかでした。
 からんちゃんの嫌みったらしさの上手さ、まゆぽんのしょーもない感じの上手さもたまりませんでしたし、絶品だったのははーちゃんのデルヴィール夫人(晴音アキ)でした。ルイーズの「学校時代のお友達」で、おそらくともに貴族の令嬢で親の言うままに初恋も知らず嫁がされ子をなし、でもパリの社交界のご婦人方のように恋愛ゲームを楽しむような気質でもなくて、でも今の生活や人生に満足しているわけでもない、聡明な女性。「娘時代と変わらない」ルイーズを案じ、なんならユリユリしい友情を少し越えた情愛を注いでもいる女友達…という感じの漂わせ方が抜群に上手くて、上級生娘役として一段上がったなと感心しました。このところしっかりタイプのアネゴをやらされがちでしたからね。脇の娘役で言えば結愛かれんも絶品で、鞘当てに使われるフェルヴァック元帥夫人での色っぽさもさることながら、フィナーレのダンスのシャープさ上手さコケティッシュさんがたまりませんでした! ホント芝居いいのでもっと起用されてほしい!! タイプじゃないと思われそうだけど、マチルドも観てみたかったです。
 若手男役ではマチルドの兄ノルベール伯爵(夢奈瑠音)のるねっこ、宮廷一の貴公子クロワズノワ侯爵(蓮つかさ)が出番が少ないながら大健闘していて、それぞれ単に美しいだけでなく宮廷貴族のスノッブさをちゃんと演じていて、作品世界を彩っていました。ラ・ジュマート男爵(礼華はる)のぱるも『IAFA』新公リチャードを経てスイッチが入ったか、垢抜けてきていてプロローグは目を惹きましたし、仲間内のいじられ役をとても上手く演じていたと思いました。あと一息下半身が痩せればもっとシュッとなるのになー。
 あとは、私はおはねちゃんよりは羽音ちゃんの方が味があるなと思いました。
 ひろさん、ハッチさんの素晴らしさは言わずもがな。サン=ジャン(大楠てら)の大楠くんはもう少し何かアピールできるとよかったかなー、フーケから小遣いをせしめる門番(瑠皇りあ)のるおりあは儲け役だったかもしれません。看守(甲海夏帆)の甲海くんもなんとなく好感を持ちました。
 あ、レナール家三兄弟はみんな可愛くてよかったです! フィナーレのデュエダンのカゲソロの咲彩いちごもよかった、こういう起用は大事です! エトワールの白河りりも!!

 一新されたフィナーレも盛りだくさんでよかったです。ただ、珠城さんのソロダンスはおはりちなっちゃんに軍配が上がったかな…(^^;)お芝居総浚いみたいなデュエットダンスが素敵でした。娘役の吐息みたいなカゲコーラスも、いかにも柴田作品でよかったです。
 
 次の本公演ポスターもなかなか素敵でしたし、ますます期待が高まる組です!



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