テアトルBON BON、2020年2月21日19時半。
宝塚の大スター「春日野八千代」(月船さらら)が潜む地下の喫茶店。ヅカ・ガールを目指すひとりの少女によって虚飾の世界は揺らぎ始める。嵐が丘と満州の曠野が重なるとき、「春日野」の仮面が崩れ落ちる…
演出/天願大介、台本/唐十郎、舞台美術/加藤ちか。1969年初演、全一幕。
先日シアタートラムで観た『少女仮面』の感想はこちら。
というわけで細かい演出はもちろん違うものの同じ戯曲だったことはわかったわけですが、何故か今回は全然、意味が、わからなかったのです…!
老婆(村中玲子)が少女趣味の服装をして少女漫画誌を持ち歩いているのや、ボーイ主任(若松力)が指に包帯をしているのなんかが同じだったので、ト書きに指定されているものなのかな、とかの発見はあって、そういうのは楽しくはあったのですが…なんか全体に、全然わからなかったのです。舞台が小さくて役者の圧が強く、よりアングラ感はあったかもしれません。
私はこの作品は要するに、スターとしての自分とか役としての自分に疲れてしまった役者が、ただの自分を取り戻したがる話、要するにキャンディーズの「普通の女の子に戻りたい」という話なのかな、と前回観たときには思えて、その悲しさとか虚しさにわりと感動したんですけれど…なんか今回はそういう「理解」が訪れませんでした。
ああ『嵐が丘』のヒースと満州の荒野が重ねられているのだな、というのは今回初めて気づいたんですけれど、それとても、「でもなんで『嵐が丘』なんだろう、そもそも宝塚オリジナル作品じゃないしな…所詮世間の認識はその程度なのかな…」とか思えてしまって…
前回は貝(熊坂理恵子)が役者として春日野を逆転するようなところから俄然おもしろく感じ出した記憶があるのですが、今回はそんなふうに見えなかった気も…
ただ、さららんの春日野はやはりおもしろく感じました。宝塚OGがこの役を演じるのは初めてだそうですね。やはりジェンヌが、まあOGですが、とにかくジェンヌがジェンヌをあえて「演じる」ときの過剰な本物感はそりゃものすごかったです。そうそう、演出として、さららんの春日野は宝塚メイクで登場しました。若村麻由美は単に化粧がやや濃いめなだけの、舞台メイクとも言えない程度のものだったかと思います。
あいかわらず綺麗でいい声で、全然老けてないなー変わってないなー、という印象。そしてもちろん芝居はちゃんとしている。それでも全体としてこの役が、この作品が私にはよくわからないままで終わってしまった…ううーむ。
前半やたら客席から沸いていた笑いが後半全然起きなかったのも印象的でした。私はこんなにシュールで不条理な世界観の中で人が転んだだけで笑うような客席の方をけっこう疑問に感じたのですが、後半静かだったのは笑うところがなかったというより、さらに世界が不条理になっていってついていけなかったんじゃないか、と思いました…が、私が慣れ親しんだ客層より全然男性が多くしかもおじさんが多い客席だったので、アングラにくわしい層だったのかもしれません。ではウケていたのかな…よくわかりません。
そしてどうでもいいことではあるのだけれど、あれは付け乳だったのかな…やたら豊満でしたが。イヤどうでもいいの、その前から私は、胸元にブラウスのフリルがあってウェストで絞られたベストを着けていても胸が豊かなことがよくわかる春日野だなあと感心していて、それがいいなと思っていたんですよね。春日野は現役ではないから(それとも死ぬまで生徒だったんでしたっけ?)、ないし昔の男役はオフでは普通にスカートを履いていたりもしたからか、胸をつぶしたりもしていなかったはずなので、正しい描写だしそれこそ春日野の「肉体」を感じていいな、と思ったんですよね。その象徴的なシーンではありました。あえて見せるのは露悪的だとも思いましたが、生だったのならそれはそれでごちそうさまでした。
でもやっぱり、作品が全然わからなかったことの方が衝撃でした…しょぼん。
宝塚の大スター「春日野八千代」(月船さらら)が潜む地下の喫茶店。ヅカ・ガールを目指すひとりの少女によって虚飾の世界は揺らぎ始める。嵐が丘と満州の曠野が重なるとき、「春日野」の仮面が崩れ落ちる…
演出/天願大介、台本/唐十郎、舞台美術/加藤ちか。1969年初演、全一幕。
先日シアタートラムで観た『少女仮面』の感想はこちら。
というわけで細かい演出はもちろん違うものの同じ戯曲だったことはわかったわけですが、何故か今回は全然、意味が、わからなかったのです…!
老婆(村中玲子)が少女趣味の服装をして少女漫画誌を持ち歩いているのや、ボーイ主任(若松力)が指に包帯をしているのなんかが同じだったので、ト書きに指定されているものなのかな、とかの発見はあって、そういうのは楽しくはあったのですが…なんか全体に、全然わからなかったのです。舞台が小さくて役者の圧が強く、よりアングラ感はあったかもしれません。
私はこの作品は要するに、スターとしての自分とか役としての自分に疲れてしまった役者が、ただの自分を取り戻したがる話、要するにキャンディーズの「普通の女の子に戻りたい」という話なのかな、と前回観たときには思えて、その悲しさとか虚しさにわりと感動したんですけれど…なんか今回はそういう「理解」が訪れませんでした。
ああ『嵐が丘』のヒースと満州の荒野が重ねられているのだな、というのは今回初めて気づいたんですけれど、それとても、「でもなんで『嵐が丘』なんだろう、そもそも宝塚オリジナル作品じゃないしな…所詮世間の認識はその程度なのかな…」とか思えてしまって…
前回は貝(熊坂理恵子)が役者として春日野を逆転するようなところから俄然おもしろく感じ出した記憶があるのですが、今回はそんなふうに見えなかった気も…
ただ、さららんの春日野はやはりおもしろく感じました。宝塚OGがこの役を演じるのは初めてだそうですね。やはりジェンヌが、まあOGですが、とにかくジェンヌがジェンヌをあえて「演じる」ときの過剰な本物感はそりゃものすごかったです。そうそう、演出として、さららんの春日野は宝塚メイクで登場しました。若村麻由美は単に化粧がやや濃いめなだけの、舞台メイクとも言えない程度のものだったかと思います。
あいかわらず綺麗でいい声で、全然老けてないなー変わってないなー、という印象。そしてもちろん芝居はちゃんとしている。それでも全体としてこの役が、この作品が私にはよくわからないままで終わってしまった…ううーむ。
前半やたら客席から沸いていた笑いが後半全然起きなかったのも印象的でした。私はこんなにシュールで不条理な世界観の中で人が転んだだけで笑うような客席の方をけっこう疑問に感じたのですが、後半静かだったのは笑うところがなかったというより、さらに世界が不条理になっていってついていけなかったんじゃないか、と思いました…が、私が慣れ親しんだ客層より全然男性が多くしかもおじさんが多い客席だったので、アングラにくわしい層だったのかもしれません。ではウケていたのかな…よくわかりません。
そしてどうでもいいことではあるのだけれど、あれは付け乳だったのかな…やたら豊満でしたが。イヤどうでもいいの、その前から私は、胸元にブラウスのフリルがあってウェストで絞られたベストを着けていても胸が豊かなことがよくわかる春日野だなあと感心していて、それがいいなと思っていたんですよね。春日野は現役ではないから(それとも死ぬまで生徒だったんでしたっけ?)、ないし昔の男役はオフでは普通にスカートを履いていたりもしたからか、胸をつぶしたりもしていなかったはずなので、正しい描写だしそれこそ春日野の「肉体」を感じていいな、と思ったんですよね。その象徴的なシーンではありました。あえて見せるのは露悪的だとも思いましたが、生だったのならそれはそれでごちそうさまでした。
でもやっぱり、作品が全然わからなかったことの方が衝撃でした…しょぼん。
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