東京国際フォーラム、2006年1月19日ソワレ。
1928年、ドイツ。第一次大戦での敗戦の傷跡はようやく癒え、しかしやがて訪れる世界大恐慌をかすかに匂わせる時代。だがベルリンではあらゆる文化が華やかに咲き誇り、まばゆいばかりのきらめきが街中にあふれている。中でも歴史と栄華を誇る最高級ホテル「グランドホテル」にはさまざまな人が来ては去り、人生の最も輝かしい瞬間を謳歌していた。今日もまたグランドホテルの回転扉が回り、プリマ・バレリーナ(前田美波里)、若き男爵(この日は岡幸二郎)、美しいタイピスト(紫吹淳)、陰のある実業家(田中健)、そしてユダヤ人会計士(小堺一機)たちが集い、出会う…原作/ヴィッキー・バウム、脚本/ルーサー・デイヴィス、作詞&作曲/ロバート・ライト&ジョージ・フォレスト、追加作詞&作曲/モーリー・イェストン、演出/グレン・ウォルフォード、翻訳・訳詞/菅野こうめい。全1幕。
原作は1929年に出版、グレタ・ガルボやジョン・バリモア主演で映画化されたのが1932年、トミー・チューンの演出・振付によるブロードウェイ・ミュージカル版初演が1989年。2004年にはアダム・クーパーの振付でロンドン・リバイバル版も上演されている、そんな演目ですが、実は私にとっては1983年の宝塚歌劇団月組による公演、というのがそもそものイメージです。
そして私はこの公演を観ていない…(笑)
宝塚を見始めたころ、初めて買った機関誌『歌劇』がカナメさん(涼風真世)のサヨナラ特集号で、その退団公演がトミー・チューンを迎えての『グランドホテル』だったのでした。
当時、記事で読んだだけでしたが、カナメさんが、もともと主役であるはずの男爵役ではなく、余命少ない会計士であるオットー・クリンゲラインを演じるということで話題になっていたのです。フォン・ガイゲルン男爵を演じたのは当時三番手の久世星佳。二番手の天海祐希が女役になってプリマの付き人ラファエラを演じ、これも話題になっていました。娘役トップの麻乃佳世はフラッパーなタイピストで女優志願のフラムシェン役で、すみれコードぎりぎりでこれまた話題に。その印象がものすごくあるのです。
ノンちゃんのヒゲの写真がものすごく色っぽくて、きっと素敵な男爵だったろう、ユリちゃんのラファエラも超然としてよかったろう、ヨシコはすばらしくキュートだったろう、そしてカナメさんは繊細に優しく演じたのだろうな…と、もはやライブの舞台は二度と観られないだけに、ずっとずっとそんな素敵なイメージを抱き続けてきました。
先日テレビで映画版が放映されたのを観ましたが、なかなかおもしろかったです。男爵の犬がどうなったのかが心配だったわ…
それはともかく、「グランドホテル形式」という言葉を生んだ群像劇とはいえ、やはり男爵の愛と死が軸となっている物語に見えました。ジョン・バリモアのハンサムだったこと! ものすごく素敵でした。
今回の公演は、知人がものすごく褒めていて、また一階ほぼ正面の席だったのですが、正面扉から入ってすぐ見えるセットが本当に美しく、とてもとても期待してしまっていたのですが…
ぶっちゃけ男爵が、なあ…
大澄賢也の男爵はどうだったんでしょうか。というか、何故この役だけダブルキャストなんだ…
岡幸二郎は私はもしかして初めて観るのかもしれませんが(こんなにちゃんとしたミュージカル役者なのに、何故か縁がなかった…)、歌はまったく問題がなかったです。
というか楽曲的にも「あるべき人生」「恋なんて起こらない」「ステーションの薔薇」といった男爵のナンバーが一番いい、一番の聴かせどころになっていますし、堪能しました。
でも、芝居がなあ…若いのはいいと思うんだ。グルーシンスカヤに比べて明らかに彼は若くあるべきだと思うし、そういう意味ではバリモアにはその若さがなかったところは減点材料だと思いますしね。でもとにかく、彼がパンフレットのインタビューで語っている男爵像にはまったく間違いがないし過不足もないのだけれど、そういうふうには演じられていませんでしたよ? 日本人に「貴族」を演じさせるのは無理なのか??
男爵はとにかく「貴族」なのです。それがアイデンティティ、いやメンタリティなのです。貴族の生まれ。品格。鷹揚さ、人の好さ。それが男爵です。
貧乏でギャングまがいに借金を作ってしまい、ホテル泥棒をするはめになってしまうことは、彼の中では、なんというか水面下のことというか、別人格でやっているようなことなのですよ。バリモアの男爵にはその二面性というかなんというかが確かにあってそこがよかったのです(それとはホントは関係ないけど、グルーシンスカヤの恋に夢中で自分から誘ったフレムシェンに冷たくなっちゃうところがよかったなあ。というか、まだそんなに本気になってはいなかったけどそんな態度の急変に傷つくフレムシェンがよかった。今回の舞台の、はしゃいでフレムシェンにもより親切になる男爵というのはちがうと思うのだがどうか)。
でも今回の男爵には品格がない、貴族性がない。ただの若いお坊ちゃんに見えました。高貴な生まれ育ちゆえの鷹揚さからどんな人をも見下さずエリック(パク・トンハ)やオットーにも優しい…のではなく、気まぐれで優しい言葉をかけただけの軽薄な若造に見えました。それじゃ駄目なんだって!
そんなだからグルーシンスカヤとの恋もわからない。この恋がわからないとその死も悲劇になりきれないんだよなああ。そしてその悲劇があってこそのオットーとフレムシェンの旅立ちだからなああ。あああ。
グルーシンスカヤやプライジングは映画よりよかった気がしました。本来の正しい位置にいる感じを受けました。
ドクター・オッテルンシュラーグ(藤木孝)を立てることにしたのはトミー・チューンのアイデアなのでしょうか。作品本来の退廃が足りないのではないか、ドクターのメフィストフェレス性が生かしきれていないのではないか、といった劇評を読んだことがあり、そういう面はあるかな、と思って観ていたのですが、しかし幕切れの彼の「もう一晩泊まることにしよう」という台詞に、思わず泣きそうになってしまいました。
そう、これこそがテーマだったのです。私は彼は医者のくせにヤク中なのかと思ってしまいましたがあれは痛み止めのモルヒネだったんだそうですが、ともあれ先の大戦で軍医として前線に出て負った傷で今なお足を引きずり、死を待つように生きてホテルにいる日々なのですが、オットーに対しフレムシェンは金目当てなのだからやめろというような忠告をするような考え方の人なのですが、でも、その彼は「もう一晩泊まることにしよう」と言うのです。ホテルに泊まることがやめられない、生きることがやめられない、愛することがやめられない、それが人間。そういうことだと私は感じました。退廃や絶望や不条理を描いているわけではないのだ、と。希望や理想を描いているわけでもないですが、しかし生を、生とは愛あるものだと、している。そこに感動して、泣きそうになってしまい、全部許せる気になってしまった…そんな舞台でした。
ちなみにリカちゃん(紫吹淳)はのちに月組トップスターになりましたが、「グランドホテル」公演時はまだ花組っ子でまだまだ新人。ちゃんと女優さん声ができていて、映画より若い19歳の夢見る夢子ちゃんを好演していたと思いますが、一点だけ。細いんだけど、ボディラインが砂時計型になっていなくて可愛くない。これは『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』の彩輝直なんかもそうで、男役さんはスーツ体型にすべくウェストを絞ってこなかったんだろうなーと、仕方ないとはいえ寂しく思いました。
あと、ドレスアップしていたオーケストラが素敵でした。それからラストのボレロも!(西島鉱治、向高明日美)プロのボールルームダンスを初めて見ましたが、ダンスって本当にリーダーが作るんだ、リーダーがすごいんだ…と感動しました。すばらしかったです。
1928年、ドイツ。第一次大戦での敗戦の傷跡はようやく癒え、しかしやがて訪れる世界大恐慌をかすかに匂わせる時代。だがベルリンではあらゆる文化が華やかに咲き誇り、まばゆいばかりのきらめきが街中にあふれている。中でも歴史と栄華を誇る最高級ホテル「グランドホテル」にはさまざまな人が来ては去り、人生の最も輝かしい瞬間を謳歌していた。今日もまたグランドホテルの回転扉が回り、プリマ・バレリーナ(前田美波里)、若き男爵(この日は岡幸二郎)、美しいタイピスト(紫吹淳)、陰のある実業家(田中健)、そしてユダヤ人会計士(小堺一機)たちが集い、出会う…原作/ヴィッキー・バウム、脚本/ルーサー・デイヴィス、作詞&作曲/ロバート・ライト&ジョージ・フォレスト、追加作詞&作曲/モーリー・イェストン、演出/グレン・ウォルフォード、翻訳・訳詞/菅野こうめい。全1幕。
原作は1929年に出版、グレタ・ガルボやジョン・バリモア主演で映画化されたのが1932年、トミー・チューンの演出・振付によるブロードウェイ・ミュージカル版初演が1989年。2004年にはアダム・クーパーの振付でロンドン・リバイバル版も上演されている、そんな演目ですが、実は私にとっては1983年の宝塚歌劇団月組による公演、というのがそもそものイメージです。
そして私はこの公演を観ていない…(笑)
宝塚を見始めたころ、初めて買った機関誌『歌劇』がカナメさん(涼風真世)のサヨナラ特集号で、その退団公演がトミー・チューンを迎えての『グランドホテル』だったのでした。
当時、記事で読んだだけでしたが、カナメさんが、もともと主役であるはずの男爵役ではなく、余命少ない会計士であるオットー・クリンゲラインを演じるということで話題になっていたのです。フォン・ガイゲルン男爵を演じたのは当時三番手の久世星佳。二番手の天海祐希が女役になってプリマの付き人ラファエラを演じ、これも話題になっていました。娘役トップの麻乃佳世はフラッパーなタイピストで女優志願のフラムシェン役で、すみれコードぎりぎりでこれまた話題に。その印象がものすごくあるのです。
ノンちゃんのヒゲの写真がものすごく色っぽくて、きっと素敵な男爵だったろう、ユリちゃんのラファエラも超然としてよかったろう、ヨシコはすばらしくキュートだったろう、そしてカナメさんは繊細に優しく演じたのだろうな…と、もはやライブの舞台は二度と観られないだけに、ずっとずっとそんな素敵なイメージを抱き続けてきました。
先日テレビで映画版が放映されたのを観ましたが、なかなかおもしろかったです。男爵の犬がどうなったのかが心配だったわ…
それはともかく、「グランドホテル形式」という言葉を生んだ群像劇とはいえ、やはり男爵の愛と死が軸となっている物語に見えました。ジョン・バリモアのハンサムだったこと! ものすごく素敵でした。
今回の公演は、知人がものすごく褒めていて、また一階ほぼ正面の席だったのですが、正面扉から入ってすぐ見えるセットが本当に美しく、とてもとても期待してしまっていたのですが…
ぶっちゃけ男爵が、なあ…
大澄賢也の男爵はどうだったんでしょうか。というか、何故この役だけダブルキャストなんだ…
岡幸二郎は私はもしかして初めて観るのかもしれませんが(こんなにちゃんとしたミュージカル役者なのに、何故か縁がなかった…)、歌はまったく問題がなかったです。
というか楽曲的にも「あるべき人生」「恋なんて起こらない」「ステーションの薔薇」といった男爵のナンバーが一番いい、一番の聴かせどころになっていますし、堪能しました。
でも、芝居がなあ…若いのはいいと思うんだ。グルーシンスカヤに比べて明らかに彼は若くあるべきだと思うし、そういう意味ではバリモアにはその若さがなかったところは減点材料だと思いますしね。でもとにかく、彼がパンフレットのインタビューで語っている男爵像にはまったく間違いがないし過不足もないのだけれど、そういうふうには演じられていませんでしたよ? 日本人に「貴族」を演じさせるのは無理なのか??
男爵はとにかく「貴族」なのです。それがアイデンティティ、いやメンタリティなのです。貴族の生まれ。品格。鷹揚さ、人の好さ。それが男爵です。
貧乏でギャングまがいに借金を作ってしまい、ホテル泥棒をするはめになってしまうことは、彼の中では、なんというか水面下のことというか、別人格でやっているようなことなのですよ。バリモアの男爵にはその二面性というかなんというかが確かにあってそこがよかったのです(それとはホントは関係ないけど、グルーシンスカヤの恋に夢中で自分から誘ったフレムシェンに冷たくなっちゃうところがよかったなあ。というか、まだそんなに本気になってはいなかったけどそんな態度の急変に傷つくフレムシェンがよかった。今回の舞台の、はしゃいでフレムシェンにもより親切になる男爵というのはちがうと思うのだがどうか)。
でも今回の男爵には品格がない、貴族性がない。ただの若いお坊ちゃんに見えました。高貴な生まれ育ちゆえの鷹揚さからどんな人をも見下さずエリック(パク・トンハ)やオットーにも優しい…のではなく、気まぐれで優しい言葉をかけただけの軽薄な若造に見えました。それじゃ駄目なんだって!
そんなだからグルーシンスカヤとの恋もわからない。この恋がわからないとその死も悲劇になりきれないんだよなああ。そしてその悲劇があってこそのオットーとフレムシェンの旅立ちだからなああ。あああ。
グルーシンスカヤやプライジングは映画よりよかった気がしました。本来の正しい位置にいる感じを受けました。
ドクター・オッテルンシュラーグ(藤木孝)を立てることにしたのはトミー・チューンのアイデアなのでしょうか。作品本来の退廃が足りないのではないか、ドクターのメフィストフェレス性が生かしきれていないのではないか、といった劇評を読んだことがあり、そういう面はあるかな、と思って観ていたのですが、しかし幕切れの彼の「もう一晩泊まることにしよう」という台詞に、思わず泣きそうになってしまいました。
そう、これこそがテーマだったのです。私は彼は医者のくせにヤク中なのかと思ってしまいましたがあれは痛み止めのモルヒネだったんだそうですが、ともあれ先の大戦で軍医として前線に出て負った傷で今なお足を引きずり、死を待つように生きてホテルにいる日々なのですが、オットーに対しフレムシェンは金目当てなのだからやめろというような忠告をするような考え方の人なのですが、でも、その彼は「もう一晩泊まることにしよう」と言うのです。ホテルに泊まることがやめられない、生きることがやめられない、愛することがやめられない、それが人間。そういうことだと私は感じました。退廃や絶望や不条理を描いているわけではないのだ、と。希望や理想を描いているわけでもないですが、しかし生を、生とは愛あるものだと、している。そこに感動して、泣きそうになってしまい、全部許せる気になってしまった…そんな舞台でした。
ちなみにリカちゃん(紫吹淳)はのちに月組トップスターになりましたが、「グランドホテル」公演時はまだ花組っ子でまだまだ新人。ちゃんと女優さん声ができていて、映画より若い19歳の夢見る夢子ちゃんを好演していたと思いますが、一点だけ。細いんだけど、ボディラインが砂時計型になっていなくて可愛くない。これは『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』の彩輝直なんかもそうで、男役さんはスーツ体型にすべくウェストを絞ってこなかったんだろうなーと、仕方ないとはいえ寂しく思いました。
あと、ドレスアップしていたオーケストラが素敵でした。それからラストのボレロも!(西島鉱治、向高明日美)プロのボールルームダンスを初めて見ましたが、ダンスって本当にリーダーが作るんだ、リーダーがすごいんだ…と感動しました。すばらしかったです。
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