駒子の備忘録

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『オセロー』

2010年02月09日 | 観劇記/タイトルあ行
 彩の国さいたま芸術劇場、2007年10月12日ソワレ。

 16世紀のヴェニスに、ムーア人の将軍がいた。彼の名はオセロー(吉田鋼太郎)。傭兵から戦績を上げていまや将軍の座に登りつめた。その旗手イアーゴー(高橋洋)は上官オセローを憎んでいる。副官に自分でなくキャシオー(山口馬木也)を登用したことが気に入らない上に、元老院議員の娘デズデモーナ(蒼井優)の心を捉えて結婚までしてしまったことも気に入らない。イアーゴーは、デズデモーナに片思いをしているロダリーゴー(鈴木豊)をたきつけ、オセロー失墜計画を開始する…作/W・シェイクスピア、翻訳/松岡和子、美術/中越司、演出・芸術監督/蜷川幸雄。彩の国シェイクスピア・シリーズ第18弾。

 彩の国さいたま芸術劇場に初めて行きましたが、ドラマ『役者魂!』のロケに使われた劇場だったんでしたね。そういえばあれはシェイクスピア役者という設定だったかもしれません。
 いい劇場でしたがしかし、はっきり言って与野くんだりという立地で終演が23時という設定はひどすぎます。19時開演を18時か18時半にすればいいだけのことじゃないですか。マチネなんか止めてしまえばいいんです。
 シェイクスピアだから長いだろうとは覚悟していましたが、19時開演ということは実は短い演目なのかと思っていたらこれですもんねえ。最初の二場くらいはセットがひどくて目も当てられず(その後の階段を使ったセットはすばらしかった。この落差はなんなんだ)、このままおもしろくないんだったら『ヴェニスの商人』同様第一幕だけで帰ろうと考えていましたよ私は。もうシェイクスピアはバレエの『ロミジュリ』とオペラの『オテロ』しか観ん、と決心するところでした。実際にはおもしろかったしオチが知りたかったのでつきあっちゃいましたけどね。でもこんなふうに観客を無視してはいけません。

 それにしても、蒼井優が観たかっただけで行った舞台でしたが、こんなにおもしろい話だとは知りませんでした。だまされて妻の貞節を疑ってしまう、というようなあらすじだけは知っていたかと思いますが。

 他の『オセロー』の舞台や演出を知らないので深くは語れませんが、確かにオセローがただの愚鈍な男に見えてしまう話になってしまってはダメだと思いますし、愚かな黒人を笑うような単なる人種差別の話になっちゃってもダメなんだと思います。確かにその意味でイアーゴーの在り方は肝です。ちなみに演じる高橋洋は、良かったんですが、あれでもう少し上背があると役者としてはより映えるのではないでしょうか。それともイアーゴーは小物、という演出なんでしょうかねえ。ちょっともったいなく見えましたが。
 さてそのイアーゴーですが、そもそもは逆恨みが出発点、とされることが多いのでしょうが、私にはなんと言うかこれは、愛の物語に見えました。もちろん嫉妬の物語と言い換えてもいいし、そういう言い方をすればそれは『オセロー』の定説なのかもしれませんが。
 つまり、イアーゴーはオセローを愛していたのですよ。というか、オセローに愛されたかったのだと思うのですよ。なのにオセローはキャシオーやデズデモーナのほうを愛している。だから彼からそれを奪ってやる、地位の権力も失わせてやる、そうしてすべてを失えば自分のほうを振り向いてくれるはず…これは、そんなお話に見えました。

 ロダリーゴーもまた、イアーゴーの歓心が買いたくて彼に協力しているように見えました。私の眼が愛に曇りすぎですか? でも、愛は、愛こそが、すべての動機になりえるものではないでしょうか?
 イアーゴーはデズデモーナに対し横恋慕をしていたようには描写されていないと思いますが、そんなわけでこれは、イアーゴーとオセローとデズデモーナの三角関係の話、というか、イアーゴーのオセローへの横恋慕の話なんじゃないでしょうかねえ。
 オセローはキャシオーに対するのとはまた別の信頼をイアーゴーに抱いていたのでしょう。というか、キャシオーに対しては、自分を追う者への危機感をこっそり抱いていたのかもしれません。だから簡単にデズデモーナの愛人かもと疑えたんでしょう。キャシオーは生粋のヴェニス人なんだろうしさ。その意味で小物のイアーゴーに対しては見下せる安心感があったのかもしれない。
 それからすると、イアーゴーからしても、所詮は成り上がりのオセローが本当にヴェニス宮廷で受け入れられるわけはないと思っていて、本当にあんたのことがわかってあげられるのはこの俺だけ、しがない俺さまだけなんだよ、というような感情があったのかもしれない…

 なんもかんもBL的に考えるなよと言われそうですが、そう見えてしまったし、そう見た方が納得がいくし、おもしろいと思ってしまったんですけれどねえ…
 ううむ、『オセロー』だけは他にもいろいろ観てみようかな。いつか絶対こういうバージョンに出会える気がします。

 演目としても気に入りました。よくできた悲劇だと思います。
 もちろん、疑惑や嫉妬でとばっちりをくう女としてはたまったもんではない、という面はある。デズデモーナの「男って、男って…!!」というセリフには、そのあとになんだってつけられる万感の名言です。
 そして、真実、男なんて、男と女の間の無理解なんて、そんなもんだ、と言ってしまえる。
 でもそれだとあまりにむなしすぎるので、せめて幕引きに、イアーゴーが、すべては愛ゆえにしたことだ、と告げるようなシーンがあると、一応全部許せちゃうんじゃないか、と思ったりもするわけです。
 女郎買い(?)をしている描写があるのはキャシオーだけですが、要するに男は自分が女を買うから、すべての女もまた色を売るのだと考えてしまうわけです。まず自分の身を正せばいいんだと思いますよ? そうすればそういう疑念から解放されるのに、本当に馬鹿ですねえ。買わない男は女が売らないこともまた信じられるのです。それだけのことなのです。
 もちろんオセロー自身には、女色の問題よりもむしろ、自分が「ムーア人」であることの押しつぶそうとしてもしきれないコンプレックスがあり、あの天女のようなデズデモーナが自分なんかを愛してくれるはずがないんだ、という否定しようとしてもしきれないひがみ、自信のなさがあって、それこそが問題なんですけれどね。
 自分に自信のない男、それもまた世界にとって害毒以外の何物でもなかったりするのですよ…ふう…

 さて、その蒼井優の少女のようなデズデモーナは、キャラクターの在り方としても正解だったと思います。役者としては、ちょっとまだ舞台発声になっていないような、セリフに抑揚をつけすぎていて聴きづらい点があったのはこれからの改善点かと思いますが、コンプレックスを押さえ込みながら成り上がった黒人将軍が入れ込み惚れこんでしまう天使のような少女、というものを十分に体現していたと思います。
 しかしイアーゴーの妻にしてデズデモーナの侍女エミリア(馬渕英俚可)の在り方はおかしかったんじゃなかろうか…「誰に対しても優しい女性として演じたい」というほうが無理があって、「エミリアの行動には一貫性がない」ということはないと思うのです。彼女はやっぱりイアーゴーを愛していて、だけど夫が自分のほうを全然見てくれないので、デズデモーナに対しては敵意を持ちながら、表面上はさも優しげに仕えている振りをして、彼女の心を揺さぶっているのではないでしょうか。というか私はそう考えた方が自然だろうと思ったけれどなあ。
 ううーむ、それは元の戯曲を読んでみないと訳わからんのかもしれない…奥が深いなあ…
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