日生劇場、2012年2月19日マチネ。
南フランスのサントロペ。今宵もゲイクラブ「ラ・カージュ・オ・フォール」のネオンがともる。オーナーのジョルジュ(鹿賀丈史)とクラブの看板スター「ザザ」ことアルバン(市村正親)はこの20年間、事実上の夫婦として生活してきた。ジョルジュには24年前にたった一度の過ち(?)から生まれた最愛の息子ジャン・ミッシェル(原田優一)がいて、アルバンが母親代わりとなって育ててきたが、ある日突然結婚を宣言し…!?
原作/ジャン・ポワレ、脚本/ハーヴェイ・ファイアスティン、作詞・作曲/ジェリー・ハーマン、翻訳/丹野郁弓、訳詞/岩谷時子・滝弘太郎・青井陽治、演出/山田和也、オリジナル振付/スコット・サーモン、振付/真島茂樹。
原作は1973年にフランスで上演された舞台劇。1978年映画化(日本公開時のタイトルは『Mr.レディ Mr.マダム』)、1983年にミュージカル化されてトニー賞受賞。1985年日本初演。
タイトルは「狂人の檻」の意。今で言うドラァグ・クイーンたち「カジェル」が歌い踊るショークラブの店名です。
未見だったのですが、アンヌ役(愛原実花)のミナコ目当てで観てみることにしました。有名なミュージカルでしたしね。
いやあ、楽しかったです。
私には当初アルバンの演技はオーバーアクトに見えて、これは別にいつの時代の話ってこともないんだからもっと現代的にナチュラルにやるって手もあるんじゃないの?とか思ったのですが、いやいやアルバンは、というかザザはと言ってもいいけれど、性格的にこういう人というか、こういう身振り言い振りが身に染み付いてしまっている人なんだな、とわかってきました。そこが可愛くもあり、彼女(と言っておこう)らしくもあるわけですね。
まろやかな楽曲とこなれた歌詞、リプライズが多くてすぐ覚えられて口ずさめるところ、派手で楽しいレビューシーン、どれもとてもよかったです。
話の流れはすぐ読めるし、おちつくしころにおちつくに決まってるんだけれど、でも私には最初ジャン・ミッシェルには結婚する資格はないと思えて仕方がなく、憤ってしまいましたよ。
その場だけのこととはいえ、のちの一生をともにしようという相手とその家族に正直になれないなんて、そんな結婚は絶対に上手くいかないし、そんな覚悟ができていない状態で結婚しようなんててんで子供のすることでとんでもない!とか、おまえはどこのおばちゃんだという感じでカリカリしてしまいましたよ。だってアルバンがあまりにかわいそうだもん。
もちろんこの顛末を乗り越えてジャン・ミッシェルが真に結婚するに足る人間に成長する話だと見えていてもね、怒りましたよ私。
まあそれは翻って、そもそも話を持ち出されたときに「冗談じゃない、そんなことは駄目だ」と叱り飛ばせないジョルジュに怒りの矛先がいくわけですが、これはまあイヤ男って父親ってそんなもんだよね、という情けない妥協と諦観と甘さが私にはあるのですよハハハ。
ところでプログラムによればジョルジュとアルバンは倦怠期ということでしたが、舞台だけ観ていると私にはそんなふうに感じられなかったなあ。普通にラブラブに上手くいっているカップルだって、男は常にヘラヘラフラフラしていて女は常にイライラカリカリしているものじゃないですか? それでまあまあ上手くいっている夫婦のように私には見えて、特に危機に瀕しているようには思えませんでした。
でもジョルジュの「砂に刻む歌」にはきゅんときました。20年も連れ添っていてお互いくたびれてきていて、でも20年積み重ねてきた時間があるからこそ、ふとしたときに出会ったときと同じコロン、同じ色のストールに気がついて、出会ったばかりの頃、恋に落ちたころの想いをすぐよみがえらせることができて、刷新してまた恋を語れる感じに、泣かされそうになってしまったのです。このふたりは確かに今も愛し合っている…
そして一幕ラストの「ありのままの私」では流れがベタすぎて泣けなかった私の涙腺が決壊したのは、二幕の「今この時」。楽しい歌や踊りはどんな頑なな人の心も溶かす、みんなでひとつになって歌い踊れば必ず心は通じ合える…そんなことをビンビン伝えてくる場面になっていて、また粋な商売人のジャクリーヌ(香寿たつき)がダンドン議員(今井清隆)を誘い出す上手さがとても良くて…楽しい場面なのに爆泣きしました。
そしてこの場面のオチが予測がついた私…もちろん伏線が事前に張られているのですが。
しかしこの鬘の重用ってなんなんでしょうね? 女でも髪は短くできるし男でも長髪にできるのに、それでもやっぱり短い髪は男性性の象徴なんでしょうか? 綺麗な鬘とお衣装で歌い踊るカルジェたちは、決まってショーの最後で鬘を取り、ポマードべったりでわざとマッチョにした地毛の短髪を見せ付ける。彼らが、女性になりたいのではなく男性のまま男性を愛すゲイでいたいのだ、そういう自分を誇りに思っているのだ、ということを表しているのかもしれないし、美しすぎる女装に対するテレ隠しや本当に女性だと思い込んじゃう人相手への種明かしなのかもしれないけれど…妙に露悪的な行為でもあり、ナゾです。
でもそれでいうとフィナーレというかカーテンコールというかパレードというか、要するにラストのキャスト紹介のところで、豪華な鬘と衣装の後ろ姿で登場したカルジェたちが、それらを脱ぎ捨てて振り向くと短髪でシャツにスラックスのおじさん・お兄さん姿、というのが、またなんとも鮮やかで爽やかで良かったです。
ラストシーンがまた素晴らしかったです。
星空と海。佇む恋人。若い男女のカップルならキスでもハグでもがっつりいくのかもしれません。
でもただ寄り添って、ゆっくり歩き出すふたりの後ろ姿の、なんと愛に満ちて、美しかったことか…!
アルバンはザザとしてドレスアップしているところももちろん素敵だけれど、普段の、まあ言ってみれば奇妙な、男性の服を着ているんだけれど仕草がフェミニン、みたいな状態も自然で素敵です。
そしてそんなぶっちゃけて言えばオカマの中年男にちゃんと見えていた市村正親が、カーテンコールではなんかすごく若く見えてゲイの美青年に見えたことには驚きました…!
さて、目当てのミナコは…実は私は現役時代の彼女が好きでも嫌いでもなかったので、だからこそ観てみたかったのですが…かつてユウコやミハルも演じたことがある役だとも知っていただけに、物足りなく感じてしまいました。
まず、なんといってももっとウエストを絞ってほしかった。女装の男体にウエストがないのに比べて、女体の特徴は砂時計型であることですよ。だから、それこそ宝塚歌劇のトップ娘役のような、「どこに内臓入ってんの?」と言いたくなるような極端にほっそりしたウエストがアンヌには欲しかった。ミナコのウエスト、普通だったもん。
それから、アンヌにはほとんど歌も台詞もなくて、ただクルクルと回って現れる、キラキラした夢のような美しい少女、というのがすべての役どころなのですよ。そのキラキラ感が足りなかったと思う。メイクも地味だったし。だからぶっちゃけミスキャストだったんじゃないかなー、ミナコはストレート・プレイの方が向くんじゃないかなー。
そして原田くんも『タイタニック』が印象的で好感を持っている役者さんなのですが…もっとスタイル良く見せられないものかな? いっそ新人類!(古い)って感じに見えるくらいすらりと細く高い現代っ子ふうに見せてくれると、私が当初ジャン・ミッシェルに感じた怒りも「仕方ない」と収まりやすかったと思うのよ。なんかこれまたフツーで、というか脚とか短くてダサいのギリギリで要するにただの子供でカレッジボーイの殻をまだお尻につけている小僧で…うーんもったいない。ビジュアルは大事だよ。
宝塚枠?ってくらい歴代キャストにOGが並ぶジャクリーヌは、なんかホントはしっこそうでズルいところもちゃんとあってしたたかそうな、でもチャーミングで愛嬌抜群で、有能な経営者であり人気者のレストランのマダム、って感じがとてもよかった。白と黒のタイトなドレス姿が、デザインのせいかちょっとだけお腹が出て見えて、それがいかにもアラサーアラフォーの脂の乗った女のいい感じの脂肪に見えて、すごく色っぽくて素敵でした。
初演から変わらないのがダンドン夫人の森公美子とハンナの真島茂樹、さすがでした。
そしてシャンタルの新納慎也が本当に美人でしたよ!
バレエもオペラもミュージカルも、基本的にはプリマドンナありきというか、どうしてもラブストーリーを扱う以上女性主体のものになりがちなので、こんなにも男性が活躍できる舞台はなかなかなさそうですよね。
みんなが生き生きと楽しそうで、そうだ指揮の塩田先生なんかも本当にノリノリで、また日生劇場が本当にいい劇場なので、ハッピーな空間が生まれてとてもとても良かったです。
南フランスのサントロペ。今宵もゲイクラブ「ラ・カージュ・オ・フォール」のネオンがともる。オーナーのジョルジュ(鹿賀丈史)とクラブの看板スター「ザザ」ことアルバン(市村正親)はこの20年間、事実上の夫婦として生活してきた。ジョルジュには24年前にたった一度の過ち(?)から生まれた最愛の息子ジャン・ミッシェル(原田優一)がいて、アルバンが母親代わりとなって育ててきたが、ある日突然結婚を宣言し…!?
原作/ジャン・ポワレ、脚本/ハーヴェイ・ファイアスティン、作詞・作曲/ジェリー・ハーマン、翻訳/丹野郁弓、訳詞/岩谷時子・滝弘太郎・青井陽治、演出/山田和也、オリジナル振付/スコット・サーモン、振付/真島茂樹。
原作は1973年にフランスで上演された舞台劇。1978年映画化(日本公開時のタイトルは『Mr.レディ Mr.マダム』)、1983年にミュージカル化されてトニー賞受賞。1985年日本初演。
タイトルは「狂人の檻」の意。今で言うドラァグ・クイーンたち「カジェル」が歌い踊るショークラブの店名です。
未見だったのですが、アンヌ役(愛原実花)のミナコ目当てで観てみることにしました。有名なミュージカルでしたしね。
いやあ、楽しかったです。
私には当初アルバンの演技はオーバーアクトに見えて、これは別にいつの時代の話ってこともないんだからもっと現代的にナチュラルにやるって手もあるんじゃないの?とか思ったのですが、いやいやアルバンは、というかザザはと言ってもいいけれど、性格的にこういう人というか、こういう身振り言い振りが身に染み付いてしまっている人なんだな、とわかってきました。そこが可愛くもあり、彼女(と言っておこう)らしくもあるわけですね。
まろやかな楽曲とこなれた歌詞、リプライズが多くてすぐ覚えられて口ずさめるところ、派手で楽しいレビューシーン、どれもとてもよかったです。
話の流れはすぐ読めるし、おちつくしころにおちつくに決まってるんだけれど、でも私には最初ジャン・ミッシェルには結婚する資格はないと思えて仕方がなく、憤ってしまいましたよ。
その場だけのこととはいえ、のちの一生をともにしようという相手とその家族に正直になれないなんて、そんな結婚は絶対に上手くいかないし、そんな覚悟ができていない状態で結婚しようなんててんで子供のすることでとんでもない!とか、おまえはどこのおばちゃんだという感じでカリカリしてしまいましたよ。だってアルバンがあまりにかわいそうだもん。
もちろんこの顛末を乗り越えてジャン・ミッシェルが真に結婚するに足る人間に成長する話だと見えていてもね、怒りましたよ私。
まあそれは翻って、そもそも話を持ち出されたときに「冗談じゃない、そんなことは駄目だ」と叱り飛ばせないジョルジュに怒りの矛先がいくわけですが、これはまあイヤ男って父親ってそんなもんだよね、という情けない妥協と諦観と甘さが私にはあるのですよハハハ。
ところでプログラムによればジョルジュとアルバンは倦怠期ということでしたが、舞台だけ観ていると私にはそんなふうに感じられなかったなあ。普通にラブラブに上手くいっているカップルだって、男は常にヘラヘラフラフラしていて女は常にイライラカリカリしているものじゃないですか? それでまあまあ上手くいっている夫婦のように私には見えて、特に危機に瀕しているようには思えませんでした。
でもジョルジュの「砂に刻む歌」にはきゅんときました。20年も連れ添っていてお互いくたびれてきていて、でも20年積み重ねてきた時間があるからこそ、ふとしたときに出会ったときと同じコロン、同じ色のストールに気がついて、出会ったばかりの頃、恋に落ちたころの想いをすぐよみがえらせることができて、刷新してまた恋を語れる感じに、泣かされそうになってしまったのです。このふたりは確かに今も愛し合っている…
そして一幕ラストの「ありのままの私」では流れがベタすぎて泣けなかった私の涙腺が決壊したのは、二幕の「今この時」。楽しい歌や踊りはどんな頑なな人の心も溶かす、みんなでひとつになって歌い踊れば必ず心は通じ合える…そんなことをビンビン伝えてくる場面になっていて、また粋な商売人のジャクリーヌ(香寿たつき)がダンドン議員(今井清隆)を誘い出す上手さがとても良くて…楽しい場面なのに爆泣きしました。
そしてこの場面のオチが予測がついた私…もちろん伏線が事前に張られているのですが。
しかしこの鬘の重用ってなんなんでしょうね? 女でも髪は短くできるし男でも長髪にできるのに、それでもやっぱり短い髪は男性性の象徴なんでしょうか? 綺麗な鬘とお衣装で歌い踊るカルジェたちは、決まってショーの最後で鬘を取り、ポマードべったりでわざとマッチョにした地毛の短髪を見せ付ける。彼らが、女性になりたいのではなく男性のまま男性を愛すゲイでいたいのだ、そういう自分を誇りに思っているのだ、ということを表しているのかもしれないし、美しすぎる女装に対するテレ隠しや本当に女性だと思い込んじゃう人相手への種明かしなのかもしれないけれど…妙に露悪的な行為でもあり、ナゾです。
でもそれでいうとフィナーレというかカーテンコールというかパレードというか、要するにラストのキャスト紹介のところで、豪華な鬘と衣装の後ろ姿で登場したカルジェたちが、それらを脱ぎ捨てて振り向くと短髪でシャツにスラックスのおじさん・お兄さん姿、というのが、またなんとも鮮やかで爽やかで良かったです。
ラストシーンがまた素晴らしかったです。
星空と海。佇む恋人。若い男女のカップルならキスでもハグでもがっつりいくのかもしれません。
でもただ寄り添って、ゆっくり歩き出すふたりの後ろ姿の、なんと愛に満ちて、美しかったことか…!
アルバンはザザとしてドレスアップしているところももちろん素敵だけれど、普段の、まあ言ってみれば奇妙な、男性の服を着ているんだけれど仕草がフェミニン、みたいな状態も自然で素敵です。
そしてそんなぶっちゃけて言えばオカマの中年男にちゃんと見えていた市村正親が、カーテンコールではなんかすごく若く見えてゲイの美青年に見えたことには驚きました…!
さて、目当てのミナコは…実は私は現役時代の彼女が好きでも嫌いでもなかったので、だからこそ観てみたかったのですが…かつてユウコやミハルも演じたことがある役だとも知っていただけに、物足りなく感じてしまいました。
まず、なんといってももっとウエストを絞ってほしかった。女装の男体にウエストがないのに比べて、女体の特徴は砂時計型であることですよ。だから、それこそ宝塚歌劇のトップ娘役のような、「どこに内臓入ってんの?」と言いたくなるような極端にほっそりしたウエストがアンヌには欲しかった。ミナコのウエスト、普通だったもん。
それから、アンヌにはほとんど歌も台詞もなくて、ただクルクルと回って現れる、キラキラした夢のような美しい少女、というのがすべての役どころなのですよ。そのキラキラ感が足りなかったと思う。メイクも地味だったし。だからぶっちゃけミスキャストだったんじゃないかなー、ミナコはストレート・プレイの方が向くんじゃないかなー。
そして原田くんも『タイタニック』が印象的で好感を持っている役者さんなのですが…もっとスタイル良く見せられないものかな? いっそ新人類!(古い)って感じに見えるくらいすらりと細く高い現代っ子ふうに見せてくれると、私が当初ジャン・ミッシェルに感じた怒りも「仕方ない」と収まりやすかったと思うのよ。なんかこれまたフツーで、というか脚とか短くてダサいのギリギリで要するにただの子供でカレッジボーイの殻をまだお尻につけている小僧で…うーんもったいない。ビジュアルは大事だよ。
宝塚枠?ってくらい歴代キャストにOGが並ぶジャクリーヌは、なんかホントはしっこそうでズルいところもちゃんとあってしたたかそうな、でもチャーミングで愛嬌抜群で、有能な経営者であり人気者のレストランのマダム、って感じがとてもよかった。白と黒のタイトなドレス姿が、デザインのせいかちょっとだけお腹が出て見えて、それがいかにもアラサーアラフォーの脂の乗った女のいい感じの脂肪に見えて、すごく色っぽくて素敵でした。
初演から変わらないのがダンドン夫人の森公美子とハンナの真島茂樹、さすがでした。
そしてシャンタルの新納慎也が本当に美人でしたよ!
バレエもオペラもミュージカルも、基本的にはプリマドンナありきというか、どうしてもラブストーリーを扱う以上女性主体のものになりがちなので、こんなにも男性が活躍できる舞台はなかなかなさそうですよね。
みんなが生き生きと楽しそうで、そうだ指揮の塩田先生なんかも本当にノリノリで、また日生劇場が本当にいい劇場なので、ハッピーな空間が生まれてとてもとても良かったです。
前回は育三郎くんで、とにかく可愛くて、笑顔一つで何もかも許せる感じが凄く納得できて、だからとてもストーリー上良かったんです。
ニッコリごめんね、って言えば何でも許されると思ってるんだろう、でも許されてきたんだよね、あなた、そして、許しちゃうわ悔しいけど、という楽しい葛藤があったので、今回の再演は実はジャンミッシェルを一番危惧してました…。
ユウコかミハルのアンヌで観たかったああぁぁ!!
以外に重要なキャスティングだなと思いましたですよ…(^^;)