映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ドッグマン (2018年)

2019-09-03 | 【と】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67573/

 

 以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。 

 イタリアのさびれた海辺の町で、〈ドッグマン〉という犬のトリミングサロンを営むマルチェロ(マルチェロ・フォンテ)。店は質素だが、犬をこよなく愛す彼には楽園だ。妻とは別れて独り身だが、彼女との関係は良好で、最愛の娘ともいつでも会える。地元の仲間たちと共に食事やサッカーを楽しむ温厚なマルチェロは、ささやかだが幸せな日々を送っていた。

 だが、一つだけ気掛かりがあった。シモーネ(エドアルド・ペッシェ)という暴力的な友人の存在だ。シモーネが空き巣に入る時に無理やり車の運転手をさせられ、わずかな報酬しかもらえなかったり、コカインを買わされ金を払ってくれなかったりと、小心者のマルチェロは彼から利用され支配される関係から抜け出せずにいた。自分の思い通りにいかないとすぐに暴れるシモーネの行動は、仲間内でも問題になり、金を払ってよその人間に殺してもらおうという話さえ出ていた。

 ある日、シモーネから持ちかけられた儲け話を断りきれず片棒をかついでしまったマルチェロは、その代償として仲間たちの信用とサロンの顧客を失い、娘とも会えなくなってしまう。満ち足りた暮らしを失ったマルチェロは考えた末に、ある驚くべき計画を立てる――

=====ここまで。

 『ゴモラ』(2008)、『五日物語 -3つの王国と3人の女-』(2015)のマッテオ・ガローネ監督作品。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆

 

 チラシを見たときから、見たいと思っていた本作。先日1日の映画の日にようやっと見に行って参りました。映画の日なのに、9月1日から値上げでなんと1,200円!!! サービスデーで1,200円って、、、。まあ、仕方がないのか、世の流れとしては。

 

◆嗚呼、マルチェロ、、、。

 マッテオ・ガローネの監督作は、『五日物語 -3つの王国と3人の女-』しか見たことがなく、代表作の『ゴモラ』も未見。『五日物語~』を見た限りでは、“鬼才”と呼ばれていることが今一つピンとこなかったけれども、今回、本作を見て納得した気がする。

 とにかく、その世界観に引き込まれる。マカロニ・ウエスタンを思わせる荒廃した街並みで、全体に暗いんだけれども、そこで描かれる人間関係は決して暗いわけではなく、人情味のある貧しい田舎町、といったところか。街の人たちは皆仲が良く、食事をレストランで一緒にとったり、サッカーを楽しんだり、決してどんよりした風景ではない。

 だけれども、その平和そうな街は、たった一人の荒くれ者・シモーネの存在によって常に恐怖と隣り合わせにある、というところがミソだ。

 このシモーネ、トンデモ野郎で手がつけられない。もう見るからにおっかない。デカい!! 全盛期のヒョードルを二回りくらい大きくした感じ。こんな奴が近寄ってきたら、大の男でも足がすくむのはムリもない。シモーネは、コトが自分の思い通りにならないと、すぐ暴力に出る。暴力で相手をねじ伏せ、自分の意のままに周囲を動かす。しかも、圧倒的な暴力なのだ。一発で相手をぶちのめす。それもいきなり。身構える余裕さえ与えない。こうやって、彼は問答無用で街を老若男女を支配してきたのだ。

 とはいえ、当然、街の人間たちだって、好きでこんなならず者にいいようにされているわけじゃない。何とかしたい、とは思っているが、手も足も出ないのが実情なのだ。挙げ句の果てに、誰かを雇ってシモーネを殺させよう、、、なんて話し合いまでしてしまう。まぁ、そんな風に考えてしまうのも、あれじゃぁ責められない。

 マルチェロだってそうだ。彼は、シモーネ殺害談義では傍観者だが、本当はシモーネと関わり合いたくないと思っている。でも、圧倒的なパワーの差で、とことん拒絶することは不可能なのだ。シモーネに一発食らったら、下手すればマルチェロなんぞ即死なんだから。誰だって死にたくはない、こんなクズに殴られて。

 その、マルチェロの抱えるどうしようもなさ、情けなさ、弱さ、、、あらゆるネガティブな要素が実に巧みに描かれる。見ている者は、マルチェロにふがいなさを感じつつも、我が身に置き換えれば致し方なし、、、と、マルチェロに同情的にもなる。その辺の描写が実に上手い。

 映画監督の行定勲氏が、本作の評でこんなことを書いている。

「とにかくマルチェロが愚かでイライラさせられる。なぜ、自分の生活を害する者とわかっていても、それを排除できないのか理解できない。主人公がしがみついて生きる町の存在が不気味で、その集落に生きるしかない男のあわれが描かれる」

 この人、ホントに映画監督なの? 彼の監督作品、調べたら一杯あるけど、んで私は1本も見たことないんだけど、“それを排除できないのか理解できない”って、信じられない感性の鈍さに仰天する。この方の画像も見たけど、言っちゃ悪いが、この人シモーネに軽く叩かれただけで失神しそうなんだけど。

 さらに“その集落に生きるしかない男のあわれが描かれる”ってさぁ、、、アンタ何見てたのよ、この映画の、、、と言いたい。マルチェロがこの街を離れられない理由なんて何度も何度も描かれていたじゃんよ。“主人公がしがみついて生きる町の存在が不気味”とか、いちいち映画人とは思えぬアサッテな物言いに、邦画界に絶望しそうになるわ。

 上記の文の後には「人間は割り切れるものではないという、その曖昧な感情と人間の愚かさを表現しているところにこの映画の匂いがある」なんて、とってつけたようなフォローが続くが、チョー鼻白む。

 でも、ネットの感想には、行定氏みたいに、マルチェロにイラついて蔑む人が少なからずいるらしく、ちょっとなぁ、、、と感じる。

 確かに、映画をどう見てどう感じるかは、その人次第で自由だ。けれども、ここだけは押さえておきたいツボ、みたいなものってあると思うのよね。これはとあるブロガーの方が書いていたけど、“映画鑑賞偏差値”なるものがあると。

 本作で言うならば、マルチェロがシモーネの支配に甘んじていることに対し、理解出来るか出来ないかが、偏差値50ラインではないかと思うのだよ、私は。実際、本作は、そこのところをきちんと、しかもしつこく描いていたと思うし。

 監督自身、インタビューで言っている「本作で描きたかったのは、間違いも犯すけれども、人に好かれたい、皆とうまくやっていきたいという気持ちもある、私たちの多くに似ているような、ある種平凡な男が、望んでもいないのに、じわじわと暴力のメカニズムに巻き込まれていく姿です」と。そして、監督のこの言葉は、確かに本作に見出すことが出来るのだけど……。

 

◆シモーネ VS マルチェロ

 冒頭のシーンで、見るからに恐ろしげな顔をした犬(調べたところ、恐らくドゴ・アルヘンティーノという犬種)が出て来て、歯を剥き出しにして唸っている。次第にマルチェロが手懐けていくのだが、この冒頭の犬が、もしかしてラストでシモーネを襲うようにマルチェロが仕向けるのか?? などと安っぽい予想をしてしまったが、案の定、大ハズレ。

 もっと、想像の斜め上を行く展開に、唖然としてしまった。

 以下ネタバレです(結末に触れています)。

 マルチェロは、愛すべき街の人たち皆から嫌われそっぽを向かれ、捨て鉢になって、自らの手でシモーネに制裁を下すのだ。その方法が、さすがドッグマンだね、というもの。詳細は敢えて書かないけど、もちろん一つ間違えばマルチェロの方がやられていたかも知れない。それくらい、ギリギリのものだった。でもその攻防も、どこか可笑しさが混ぜ込まれており、なかなか残酷な描写なのにグフフ、、、と笑えてしまうのだ。実際、劇場でも笑いが小さく起きていた。

 しかし、問題は、その後。死体となったシモーネを、マルチェロは、一旦は処分しようと商売用の車に載せる。このとき、あまりにもシモーネがデカくて重いので、軽くてみみっちいマルチェロの車が動いてしまうのが、またまた笑ってしまった。

 そうして、街の広場からほんのちょっとだけ離れた草むらでシモーネの屍を燃やし始めるマルチェロ。サッカーをしているかつての仲間たちに「おーい!! オレはやったぞ!」などと声を張り上げて叫ぶが、誰の耳にも届かない。すると、マルチェロはシモーネの屍を燃やしている草むらに戻って、火を消して、今度はシモーネの屍を背負って、再びサッカーグラウンドにやって来る。……が、もうそこには誰もいない。そして、マルチェロは屍を背負ってふらふらと当てもなく彷徨うのである。

 このラストシーンをどう見れば良いのか。一緒に行った映画友は「もうあの時点ではイッちゃってたのかね?」と言っていたが、どうだろうか。少なくとも、“オレはシモーネを仕留めたぜ! 克服したんだ!” という思いがあったのだろうが、彷徨う姿はいかにも哀れである。彼がこの後どうなるかは想像に難くないのだが。

 最後は屍となったシモーネだが、こんなならず者が一人いるだけで、小さな街は平和でなくなるという不条理。このシモーネ、しかし、母親には弱い。母親にコカインが見つかったときのシーンなどは笑える。そして、案の定というか、オツムも弱い。街の人たちから巻き上げた金で高級バイクを買って、それを爆音を轟かせながら乗り回すという描写もある。しかも、同じ道を行ったり来たり繰り返しているという、、、。こんなヤツ死んでくれたら、と思うのは、むしろ自然だろう。

 ちなみに、本作は、実際にイタリアで起きた猟奇殺人に監督がインスパイアされてオリジナル脚本を書き上げたんだそうだ。詳しくは、公式HPをどうぞ。

 マルチェロを演じたマルチェロ・フォンテが素晴らしい。カンヌで主演男優賞を受賞したのも納得。無名の役者だったようだけれど、実に表情豊かで、多面体なマルチェロを見事に演じている。彼を見出した監督はさすがの審美眼だ。

 まあ、万人にオススメの映画ではないかもだけれど、ブラックな笑いと不条理さを好む方は、見て損はないと思います。

 

 

 

 

 

マルチェロに冷凍庫から救い出されたワンコを演じたチワワにパルム・ドッグ賞!

 

 

 

 ★★ランキング参加中★★


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« やがて来たる者へ (2009年) | トップ | 悲しみに、こんにちは (2017... »

コメントを投稿

【と】」カテゴリの最新記事