映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア(1994年)

2024-06-16 | 【い】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv10599/


以下、amazonの商品紹介よりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 現代のサンフランシスコ。街を見下ろすビルの一室で、インタビュアー(クリスチャン・スレイター)を前に美しい青年ルイ(ブラッド・ピット)が自らの半生を語り始めた。

 18世紀末、最愛の妻を亡くし、絶望の淵に沈む彼の前に現れた悪魔的美貌の吸血鬼レスタト(トム・クルーズ)。彼によって永遠の命を与えらたルイは、レスタトと共に世紀末の夜をさまよう。人間の命を奪うことをなんとも思わないレスタトに対し、人間の心を捨てきれずに苦悩するルイ。

 だがある夜、母の亡骸にすがりつく少女クローディア(キルスティン・ダンスト)と出会ったルイは、衝動的にその命を奪ってしまう。彼女をヴァンパイアの一族に招き入れるべく新しい命を吹き込むレスタト。しかし、それは思わぬ悲劇の始まりだった!

=====ここまで。


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 BSでオンエアしていたので、録画しました。公開当時、かなり話題になっていたけど、イマイチ興味が湧かずにそのままスルーしてしまい、その後、地上波でも何度かオンエアしていた気がするし、BSでもVHS時代に録画しましたけど、結局見ないまま上書きしたみたいで、とにかく縁のない映画でした。

 その後も、DVDを借りることもなく、気が付けば公開から30年(!)も経っていたのでした、、、ごーん。30年かかって、ようやく全部ちゃんと見ることが出来ました~。

 ちなみに、今さら名画シリーズにしようかとも思いましたが、見てみて名画とも思えず、世間の評判的にも名画として定着しているとも言い難い気がするので、やめました。


◆ゴシックが似合わないトムクル

 トムクル、、、どっから見てもアメリカンな男。役者として云々という以前に、彼が吸血鬼(ヴァンパイア)ってのは、ドラキュラ=中世~近世ヨーロッパ、っていう先入観がある者の目には、どうにも雰囲気的にミスマッチ感が拭えなかった。……といっても、原作者がアメリカ人だから仕方がないのだが。

 もちろんトムクルは頑張っているのだが、頑張っているのが画面からビンビン伝わってくるのがまあまあイタい。ブラピは、何だかやる気なさそうに見える。そういう役なんだよ、、、ってのは分かるが、終始“アナタ、嫌々やってるでしょ”、、、って感じだった。

 トムクルは原作者に痛烈ダメ出しされていたらしいし、ブラピはあんましこの役は乗り気じゃなかった(?)みたいだし。2人のそういう背景が映像からビンビン伝わって来ちゃうってのが、ある意味面白くはあるのだが。ブラピがあんましカッコよく見えなかったなぁ、、、全編通して。髪型とかメイクとかが合っていなかったのか、、、。トムクルはキレイだったが。

 ブラピが乗り気じゃなかったっての……、んまぁ、分かるよ、分かる。いくら原作小説がベストセラーでも、所詮吸血鬼モノだもんね。小説だから読めても、映像化した途端にバカっぽくなるもんね。


◆本作も例外ではなかった

 このブログでも吸血鬼映画を何本か取り上げているけど、「ダリオ・アルジェントのドラキュラ」(2012)にも書いたとおり、私には“ヴァンパイア映画≒バカっぽい”という思い込みがある。

 なので吸血鬼モノについては、感想も悪口が多くなってしまっている(唯一の例外は「ぼくのエリ 200歳の少女」(2008)だった)。本作は、文芸作品ぽい“本格派”を狙っているように見受けられるのだが、やはり“バカっぽい”路線に見えてしまった 

 ちなみに、本作との類似性(というか似過ぎやろ、、、としか)が言われているマンガ、萩尾望都の『ポーの一族』も、マンガとして読んでいて別にバカっぽいとは思わなかった。

 で、何で映像化するとバカっぽく見えるのかを真面目に考えた。

 まずは、おさらい。吸血鬼モノの主なお約束4か条。①人間の生き血を吸わないと生きていけない、②歳をとらない、③日光を浴びると死ぬ、④血を吸われた人間は感染して吸血鬼になる

 ついでに言うと、この4か条とお約束が似ているのが“ゾンビ”なんだが、ゾンビ映画を見ていてあんまし“バカっぽい”と感じたことはないのだよな、、、。もちろん、そんなにたくさんゾンビ映画見ていないので、ゾンビ映画を語れないのだけど。

 本作もこの4か条は全部守られている。もちろん「ぼくのエリ~」もそうだった。だから、バカっぽく見えてしまうのがこの4か条にあるのではないのだと思われる。

 ん~、色々考えても、これだ!という原因は思い当たらないのだが、強いて言えば、吸血鬼モノでは、吸血鬼が“葛藤”するんだよね。ゾンビと同じく、夜行性で人間の血(ゾンビは肉?)を吸わないと生きていけない“バケモノ”のくせに、自分が生きるために人を襲うことに罪悪感を抱いて“葛藤”している。ゾンビは葛藤なんかしないもんなぁ。

 ゾンビに限らず、バケモノ系映画でのバケモノって、自分がバケモノとして生きていることに葛藤なんかしていないんじゃないか? 人間が人間でいることに葛藤していない(まあ、中にはしている人もいるかも知らんが、一般論として)のと同じで。引き換え、知性や理性があることになっているのだ、吸血鬼は。

 本作でも、ブラピ演じるルイは、自身が生きるために生き血を吸うことに激しく葛藤している。一方の、トムクル演ずるレスタトは、人の生き血を吸うことに葛藤していない。それは、彼とルイの吸血鬼キャリアの長さが違うから、、、ってことかしら。レスタトも吸血鬼になったばっかの頃は葛藤していたのか?

 それを考えるのに役に立つのが、キルスティン・ダンスト演ずるクローディア。彼女はルイによって吸血鬼にさせられたのだが、吸血鬼になった直後から、あまり葛藤はなさそうであった。それは彼女が子どもだったからってこと? ん~、イマイチすっきりしませんな。

 いずれにしても、バケモノのくせに、ヘンに人間みたいな思考回路でウジウジ葛藤して、でも結局、人の首に吸い付いて「嗚呼、、、殺してしまった、、、ぅぐぐ、、、、」とかやってるのが、客観的に見て滑稽でしかない、ってことなのかも。

 とはいえ、あのフランケンシュタインに描かれる化け物も、最初はただのバケモノだったのが、だんだん知性が付いてくるとやはり“葛藤”し始めるんだよね。でも、フランケンシュタインの化け物を映画で見ても、別にバカっぽいとは感じなかったわけだから、この“葛藤”というキーワードが答えでもなさそうである。

 そもそも、吸血鬼モノがバカっぽく見えているのって、私だけなのかも。ネットでいろんな吸血鬼モノ映画の感想を拾い読みしても“バカっぽい”(orそれに似た形容)と書いているものは見かけないもんな、、、。

 吸血鬼モノに見られる“葛藤”には、バケモノより人間の方が上等だという感じがうっすらあるような気もするが、それは、私の潜在的な差別意識が投影されているだけかも知れず、何とも言えない。


◆その他もろもろ

 一番印象に残ったのは、首をザックリ斬られたレスタトがワニ池に投げ込まれるシーン。何でそんな中途半端な処理をするのか?ってね。私がルイなら、完全に首を切り落として、心臓に杭を打って、、、と、完全処理をするけどなー、、、って。

 トムクルはかなりダイエットしたというだけあって、顔も、顎が尖ったシャープな感じであった。原作者は、レスタトにジュリアン・サンズを想定していたというのだが、是非、ジュリアン・サンズで撮って欲しかったものだ。全然作品の雰囲気は変わっていただろう。ちなみに、レスタトには、DDLも候補に挙がっていたらしい。

 まあ、日本人から見ると、どうしたって『ポーの一族』と似ている、、、と思っちゃう。人物配置もほとんど同じだしね。でも、原作もマンガも、ほぼ同時代に、全く別の場所で生まれているってスゴい偶然もあるものだ。

 クローディアを演じていたキルスティン・ダンストは、当時12歳?くらいだったのだけど、すごい女優。12歳でこれって、ジョディ・フォスターも真っ青だね。子どもの頃の方が可愛い。

 ラストにリヴァー・フェニックスへの献辞が出て?となったのだけど、インタビュアー役を演じる予定だったのね。知らんかった。

 

 

 

 

 

 

この映画が話題になったのは主演がトムクル&ブラピだから?

 

 

 

 

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コメント (4)
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