映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

悲しみに、こんにちは (2017年)

2019-09-11 | 【か】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv65410/

 

 以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。 

 フリダは部屋の片隅で、荷物がダンボールに詰められるのを静かに見つめていた。その姿は、まるで母親(ネウス)が最後に残していった置物のようだ。両親を“ある病気”で亡くし一人になった彼女は、バルセロナの祖父母の元を離れ、カタルーニャの田舎に住む若い叔父家族と一緒に暮らすことになる。

 母親の入院中、祖母たちに甘やかされて育てられていた都会っ子のフリダ。一方、田舎で自給自足の生活を送っている叔父と叔母、そして幼いいとこのアナ。彼らは、家族の一員としてフリダを温かく迎え入れるが、本当の家族のように馴染むのには互いに時間がかかり・・・。

=====ここまで。

 

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 昨夏、公開中に見に行きたかったのだけれども、なかなかタイミングが合わず行けずじまいに。ようやくDVDで見ることが出来ました。いや~、やっぱしスクリーンで見たかった!

 

◆涙一つ見せない美少女フリダ

 原題は、『ESTIU 1993』で、“1993年の夏”というカタラン語(カタルーニャ語)。何で、『悲しみに、こんにちは』なのか分からないけど、、、まぁ、そこまでヒドい邦題でもない気もするが、ちょっと違う感じもするかなぁ、、、。タイトルって難しい。

 ストーリーは特になく、フリダが両親亡き後、叔父・エステバと叔母・マルガの家でどうやって生きていくことになるのか、、、を詩的に描いている。なので、セリフはあまり多くなく、大人たちのセリフで何となくネウスの亡くなったいきさつやフリダの置かれた状況が察せられる。

 フリダは、可愛らしいのだけれど寂しそうな目をしていて、ちょっと大人にとっては扱いが難しそうな雰囲気の少女、、、という雰囲気を、もうオープニングのシーンから醸し出している。

 寂しそうな目、というか、周りの空気を無意識に窺う目、と言った方が分かりやすいかも。かといって、物怖じする感じではなく、マイペースに見える。なかなかシビアな状況にありながら、フリダは涙一つ流さない。意志の強そうな口元が印象的だ。

 この涙一つ流さない、というのが、ラストシーンで効いてくる。

 

◆フリダが、、、

 以下、ネタバレです。

 あれがあり、これがありしながらも、最終的にはどうにかフリダはエステバとマルガ、アナと馴染んで、幸せそうなシーンが描かれる。色違いでアナとお揃いのパジャマを着てキャッキャ言いながら、エステバが「やめてくれ」と優しくたしなめるのを尻目に、ベッドの上でぴょんぴょんアナと一緒に跳ねている。幼い子供のいる家庭によくありそうな光景だ。アナも無邪気に笑っていて、エステバも何だかんだ言いながら楽しそうだ。

 が、その直後、フリダが火がついたように泣き出すのである。それまで、一度も涙を見せなかったフリダが。

 驚いた叔父と叔母がフリダを抱きしめなだめる。アナも心配そうにフリダを見つめる。……で、ネウスへの献辞が出てエンディングである。

 この幕切れが実に良い。ヘンに感動モノに仕立てることもなく、フリダが突然泣き出したその理由が、見ている者の心に直截的に迫ってくる。なだめている叔父と叔母も、どこかホッとしたような表情を見せているのも良い。一つ、自分たちとフリダの間にあったハードルを越えられたことを実感したに違いない。

 もちろん、これで今後全てが上手く行くとは思えないが、希望の持てるラストシーンで、見て良かったと思える映画になっている。

 実は、このときフリダとアナが着ているパジャマには伏線がある。このパジャマは、彼女たちの祖母がプレゼントしてくれたもの。しかし、フリダのはブルー、アナのはピンクだった。すると、フリダは、「私もピンクが良かった」と言って、ブルーのパジャマを投げ出すのである。それを拾った祖母が「じゃあ、変えてもらってくるよ」と言ってフリダの前に置くのだが、フリダは何とその脇にあったミルク入りのコップを倒して、ブルーのパジャマをミルクまみれにするのである。

 そんな“ワケあり”のパジャマを、ラストシーンでは屈託なく身に着けているフリダを見れば、フリダのわだかまりが一つ消えたことが分かる。

 

◆フリダがアナにする“いけず”なあれこれ

 フリダは、ミルクまみれにしたブルーのパジャマを自分で洗わされるのだが、そのとき、別の叔母・ロラに「私をメイドみたいにこき使うの」などと、マルガのことを言っている。マルガは別にこき使っているわけではもちろんないが、ある出来事からフリダと険悪な雰囲気になったことがあったのだ。

 ある出来事とは、自分に懐いてついて回るアナが何となくウザく感じたフリダは、家の近くの茂みにアナを連れて行って、「ここで私が戻ってくるまで待ってて」とか言って置き去りにするのである。しばらくしてマルガがアナを探し回り、結果、アナは手を骨折していたのだった。

 まぁ、フリダに悪気はなかったのだが、マルガにしてみれば怒り心頭もムリはない。

 その他にも、自分が持ってきたたくさんの人形を一つ一つ鞄から出して、アナに見せびらかし「絶対触らないでね!」と言ったりもする。

 フリダは、天使でもなく、邪悪でもない、どこにでもいる6歳の女の子。こういう多面体な描き方が、本作を“可哀想なフリダの映画”にしていない所以だと思う。下手すると、安っぽいお涙ちょうだいになりかねないが、一切、そういうセンチメンタルな描写はなく、あくまでもフリダの視点から描かれているところが素晴らしい。

 

◆フリダを取り巻く大人たち...etc

 フリダの母が何で亡くなったのか、直截的には描かれていないが、それを暗示するシーンはある。スペインでは1993年、「エイズ禍で騒然となった」とあるサイトにはあった。エイズは今でこそ制御できる病として認知されているが、1993年当時なら、まだ偏見にまみれていた頃だろう。

 本作のラストの献辞からも分かる様に、フリダは監督自身の幼少期がモデルになっている。監督のインタビューも読んだが、監督自身も周囲の好奇の目に晒されたことがあったらしい。

 そんな状況にあって、叔父と叔母は、フリダを引き取り、いろいろあっても愛情を注いで面倒を見ているというのは、私は尊敬してしまう。なかなか出来ることではないのではないか。祖父母や親戚たちも一様に優しくフリダに接するが、引き取った叔父と叔母にしてみれば、フリダとの生活が日常になるわけだから表面的な優しさだけでは成り立たない。フリダにとってもストレスフルな日々だったろうが、叔父と叔母にとってもかなり大変だったはずだ。

 その叔母・マルガを演じたブルーナ・クッシという女優さんが素敵だった。スゴい美人という感じじゃないけど、何かイイ。素敵な女性。

 アナを演じた女の子がまた、実に素晴らしい演技(?)をしていてビックリ。顔も可愛いんだけど、表情がとても良い。目がくりくりしていて、無邪気にフリダに懐いている姿は、見ているだけで頬が緩んでしまう。

 フリダを演じたのはライア・アルティガスちゃんという少女だが、笑顔が何とも言えず可愛らしい。ちょっとすきっ歯ぽいんだけど、それもまたご愛敬。口を真一文字にしている顔もいじらしい。ぽっこりお腹も少女らしい体型で可愛い。作中の登場人物とはいえ、彼女の今後の幸せを願うばかりだ。

 

 

 

 

夜中に家出を試みたフリダが「暗いから明日にする」と言って帰ってくるところが可愛すぎる。

 

 

 

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