映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ~モスクワ(ロシア)その⑧~

2020-04-11 | 旅行記(海外)

**赤い首都**

関連映画:『イースト/ウエスト 遥かなる祖国』(1999)

『ラブレス』(2017)

その⑦につづき

 このツアーも残すところ、あと2日。モスクワに移動したので、関連映画も変更しようと思ったのだけれど、モスクワ舞台の映画というと、『ラブレス』くらいしか思い付かないので、やはり、ロシアに興味を持った切っ掛けになったであろう『イースト/ウエスト 遥かなる祖国』を挙げておきます。

 

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 【5日目のスケジュール】~セルギエフ・ポサート、赤の広場

セルギエフ・ポサート 世界遺産トロイツェ・セルギエフ大修道院 → 昼食 → モスクワへ戻る → ノボデヴィッチ修道院 → 聖ワシリー寺院 → 救世主キリスト教会 → 宮殿レストランにて夕食


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 こちらのホテルの朝食も、サンクト・ペテルブルクのホテルと同じくらいの充実ぶり。グラスのオレンジ色のジュースは、もちろん、こけももジュース。ハムやサーモンに隠れて見えにくいのだが、チーズが美味しかった。

 L子さんとたまたま同じテーブルになり、話題はやはり新型コロナウイルスのことに。L子さんが言うには、このツアー出発直前に、すわロシア入国拒否!!というデマが旅行業界に流れたらしく、慌ててL子さんも大使館に確認の電話を入れたという。すると、拍子抜けするほど普通の様子で「そんな話はありません」と、にべもなかったとか。

 でも、正直なところ、私もその可能性は大いにあると思っていたし、そうなっても仕方がないなー、くらいに諦めモードではあった。今振り返ってみれば、あの時期(2月最終週)はもう本当にぎりぎりのタイミングだったのだと、改めて思う。L子さんとの会話も、まだ余裕があった。


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 セルギエフ・ポサートまではバスで1時間半ほどあるということで、この日の集合は7:45と少し早め。

 

ホテルを出発したところ(バスの中から)

 

 ご覧の通りの曇天。サンクト・ペテルブルクよりは、やはり少し寒い。中央の建物はスターリン様式の、今は確か博物館だとアンドレさんは言っていたような気がする。こういうスターリン様式の建物を見ると、ワルシャワを思い出す、、、。

 評判の悪いスターリンだが、スターリン様式の建物は、壁がものすごく厚くて、夏涼しくて冬暖かいように出来ているらしい。

 

モスクワ方面渋滞中(バスの中から)

 

 スターリンといえば、共産主義時代、モスクワやサンクト・ペテルブルク市民たちは郊外に皆、“別荘”をタダで国からもらったんだとか。この話については、サンクト・ペテルブルクでナターシャさんからも聞いた。

 別荘といっても色々で、アンドレさん曰く、多くは“小屋”みたいなものだとか。共産主義時代に、農民たちの不満をかわすために、郊外に結構広い土地を与え、そこで野菜等を作って自給自足が可能になるようにしたという。大戦後の食糧難をどうにか乗り切ることが出来たのは、多くの国民が自給自足していて辛うじて飢えをしのぐことができたからだと。

 今のロシア人たちは、平日をモスクワやサンクト・ペテルブルク等の都会で過ごし、週末は郊外の別荘に行って、田舎暮らしを楽しむという。この別荘のことを「ダーチャ」といい、詳しくはwikiに解説があるので、ご興味のある方はそちらをどうぞ。

 

視界狭し、、、

 

 雪は降っていないのだけれど、霧がかっている道をひたすら行き、9時過ぎに、目的地セルギエフ・ポサートの世界遺産トロイツェ・セルギエフ大修道院に到着。
 

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 このセルギエフ・ポサート(ガイドブックによっては、ポサードと表記されている)は、「黄金の環」の一つ。黄金の環とは、ガイドブックによれば……

「モスクワ北東に点在する古都群で、首飾りのように円を描いて点在することから“黄金の環”と呼ばれる。黄金に輝く教会を中心の城塞(クレムリン)が築かれ、イワン雷帝(4世)が中央集権体制を構築するまでロシア諸公国の首都として栄えた。ロシアにおける精神文化、芸術、建築等の源が形成された地域として知られている」

とある。黄金の環の中で最もモスクワに近く、城壁に囲まれたトロイツェ・セルギエフ大修道院をはじめ、教会、聖堂が建ち並ぶ宗教都市。つまり、トロイツェ・セルギエフ大修道院は、この町の中心的な場所なのだ。

 


修道院の入口へ

 

 バスを降り、少し歩く。少しだけど雪が残っていて、ようやく冬のロシアに来たんだ~~、と視覚的にも実感できた。このトロイツェ・セルギエフ大修道院は、正式には「至聖三者聖セルギイ大修道院」と日本語訳されるようで、至聖三者とは「三位一体」のこと。1425年、聖セルギイによって設立されたロシア正教でも重要な修道院だ。

 

修道院入口

 

入口通路壁画には聖セルギイの生涯が描かれる

 

トロイツキー聖堂

 

 中には入れたけれど、賛美歌が歌われお祈りが行われている最中だったので、ちょっと撮影できなかった。聖セルギイの墓所の上に建てられ、棺が安置されている。棺に額を付けた後キスして信者の方たちが次々お祈りしていた。このお祈りは、多分、今は禁止されているのかも、、、。というか、外出禁止なのだろうか、今は彼の地も。

 そういえば。ロシア正教の音楽は、楽器を使用しないのだって。全て、アカペラの歌のみ。

 上の画像の左隅に映っている幾何学模様の壁の建物は、トラペザ聖堂で、トラペザとは食堂の意味。こちらの建物には、画像のトロイツキー聖堂の間に見える階段(人がいるの分かりますかねぇ、、、?)から上がって入る。

 


トラペザ聖堂内部

 

 ちょっとアングルがヘンなのは、この横でお葬式が行われていたから。そちらが入らないように、静かに、、、。男性は脱帽、女性は頭部をスカーフで覆うか着帽。

 とても美しい内部で、やはり金ピカ。正面上部の壁画は、最後の審判。

 


最後の審判

 

ウスペンスキー大聖堂

 

 イワン雷帝の命により、モスクワのウスペンスキー大聖堂(この翌日に訪れた)を模して1585年に建てられたのだという。手前のピンクの建物は、聖水の管理をしている建物小聖堂だとか。アンドレさん曰く、飲めるけど、日本人は飲まない方がよい(お腹壊す可能性アリ)とのことだった。その左側に見える青い天蓋の所には聖水の湧き出る泉があるのだけど、この季節だから当然水は出ていない。観光シーズンは人だかりになるそうな。

 

大鐘楼

 

 1740年に建てられたロシアで最も高い鐘楼。高さは88メートル。ロシア革命によって鐘が取り外され破壊されたが、2004年に修復された。

 で、トラペザ聖堂に入れてもらう時間まで、少し時間があったので(といっても20分くらいだが)自由行動となって、入口に近いところにショップがあったので覗いてみる。さすが、修道院のショップだけあって、イコンやら書物がたくさんあったが、日本語のガイドブックを発見。

 

 

 狭いショップの隣の部屋に行ってみると、少し広めの部屋に民芸品がたくさんあって、琥珀のアクセサリーなども色々あったが、私はこちらの絵皿を記念に。

 

 

 確か、470ルーブルくらいだったから、1,000円しないのかー、と思って購入。ちゃんと皿立てもセットでお姉さんが袋に入れてくれた。愛想はないけど親切なお姉さんだった。

 このガイドブックにあった大修道院の俯瞰画像が素晴らしかったのでスキャンして拝借。

 


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 さて、この後、まだ11時前だったけれど、この町でロールキャベツが美味しくて有名といわれている(?)お店へランチに向かう。

 

修道院から歩いて5分ほどのこちらのお店へ

 

 思っていたほどではないにせよ、外はやはり寒いので、建物の中は暖かくてホッとなる。皆それぞれ適当な席に着き、ランチョンマットを見ると、、、


 

ひらがなが、、、

 

 

 そして、飲み物はやっぱりこけももジュース。これはもちろん、それぞれ好きな飲み物を頼むんだけれど。私は何となくつい、こけももジュースを頼んでしまう。……で、ホッと一息ついてたら、突然、背後のテーブルが騒がしくなる。

「2人いない!!」

 え゛ーーー、いないって、どなたが?? 見れば、添乗員のL子さんもアンドレさんも探しに行ったのか、いない。

 ツアーと言っても皆が皆、ちゃんと名前を認識しているわけじゃない(名札つけてるわけじゃないし)。で、誰がいないの??と皆で顔を見合わせる。あのご夫婦? ゛いや、あそこにいらっしゃる。……えぇ、、じゃあ誰だろう?? 

 あ、分かった。あの姉妹のお二人じゃない?? と。そうだそうだ、、、となり。歩いてほんの少しの距離とはいえ、確かにメインの通りからちょっと入った所にあるお店だから、はぐれてしまったのかも知れない。

 ランチ、どーなる!?


その⑨へつづく


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2 コメント

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景色がさぶそう・・・ (フキン)
2020-04-11 11:24:39
こんにちは!
すねこすりさんの旅行記、今さらに貴重だわ・・・
だって、なんだか閉塞感バリバリの毎日で暗いし。
(すねこすりさんは現在、在宅勤務ですか?)

収束のめども全く見えないどころが日々、不安も増すが一方で毎日おんなじ状況下で羊少年的な心境に…。
それが最も怖いとも思うんですが…。

「うつされないように」の意識から自分がもうすでに感染者だという前提で「うつさない」という意識で!!という誰かの示唆に気を引き締めました。

それはともかく。

ロシア、本当に建物が豪勢で可愛かったりと目に楽しいです。
サブそう・・と言う点をのぞけば(笑)
いったい気温はどのくらいなのでしょう??

すねこすりさんの買われたお皿、可愛い♬
ウェッジウッド風??
5枚くらい欲しい。

ランチョンマットのいただきます!には笑いました。

それなのに、いったい二人の姉妹さんはいずこへ…笑

ツアー旅行、アルアル!!ですね!!!
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Unknown (すねこすり)
2020-04-11 22:52:52
フキンさん、こんばんは☆
見えないウイルスの恐ろしさを毎日感じながらの生活はストレスフルですね。
今は周りに移さないことと、体調を崩したり事故に遭ったりして医療に負荷をかけないことを心掛けるくらいしか出来ることがないように思います。
出社制限になっていますが、社外持出し出来ない資料が多々あり、結局、週3日は出社しています。幸い私の使う路線は空いているので、とにかく感染しないように気をつけて痛勤、、、ならぬ通勤しています。
こんな時期に旅行記もいかがものかという気もするんですが、自分自身の気分転換にもなるので書いています(^^)
モスクワのこの日の昼間の気温は、マイナス2〜3度だったと思います。まあ、十分寒いですよね(^^;
お皿、お褒めに預かり嬉しいです! 結構気に入ってるんです(*^o^*)
ご姉妹迷子の顛末は次回に♪ 笑えます(^^)
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