映画 ご(誤)鑑賞日記

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やがて来たる者へ (2009年)

2019-09-01 | 【や】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv48241/

 

 

 以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1943年12月。イタリア北部の都市ボローニャに程近い小さな山村。ドイツ軍とパルチザンの攻防が激化するなか、この村にも戦争の影が徐々に迫ってきていた。

 両親や親戚と暮らす8歳のマルティーナは、大所帯の農家の一人娘。生まれたばかりの弟を自分の腕のなかで亡くして以来、口をきかなくなっていた。ある日、母のレナ(マヤ・サンサ)がふたたび妊娠し、マルティーナと家族は新しい子の誕生を待ち望むようになった。

 だが戦況は悪化、ドイツ軍が出入りし始め、地元の若者たちは密かにパルチザンとして抵抗を続ける。幼いマルティーナにはどちらが敵で、どちらが味方かよくわからない。

 そして両者の緊張の高まるなか、1944年9月29日、ドイツ軍がパルチザンを掃討する作戦を開始する……。

=====ここまで。

 

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 第二次大戦下では、イタリアはドイツと同盟関係にあったのでは? と思ったが、そーいえば、確かゼッフィレッリの自伝に、彼がパルチザンとして闘っていたことが書かれており、そのときに、ムッソリーニが囚われた後に、北部イタリアをナチスドイツが、南部を連合国が占領し、大戦末期はかなり悲惨な状況だったということをちょこっとだけ調べたな、、、と思い出したのでありました。詳しくはもちろん知らないのだけど、それにしたって……本作を見るまですっかり記憶が抜け落ちていたというのがオソロシイ。

 

◆声を出さない美少女マルティーナ

 冒頭、さっきまで人がいたんじゃないか、と思われるような状態の“もぬけの空”になった家の中をゆっくりとカメラが舐めるように映していき、それが髪の短い少年(?)の視線だと分かる。尋常じゃないことが起きた直後と分かる。

 が、一転して、ベッドにもぐっている少女マルティーナと、その隣のベッドに眠る両親が映り、……ハレ??今の冒頭のシーンは何? となるが、この冒頭シーンはいわずもがな、一家全員虐殺された後に、髪を短く切ったマルティーナが家に戻って来て見た光景ということになる。

 かように、本作は説明的なセリフもシーンも一切ないので、少々??となる箇所があるのだけれども、中盤以降に全部それが見ている者の腑に落ちるように作られており、そのシナリオの構成は素晴らしい。

 何より、主人公のマルティーナを演じたグレタ・ズッケーリ・モンタナーリちゃん(覚えられない)の美少女ぶりが嘆息モノである。8歳とは思えぬ大人びた視線。口が利けないという設定なので、彼女の表情の演技は、その“目”が主なのである。あまり、というかほとんど笑わなかったと思う。

 彼女の目には、近所のおじさんたちのパルチザンも、ドイツ兵も、どっちも良くてどっちも悪く見える。ドイツ兵はいわずもがなだが、パルチザンの男たちも、ドイツ兵に穴を掘らせたかと思うと、背後から銃でドイツ兵の頭を撃って、その穴に落とすということをやらかしていて、マルティーナは偶然その場面を見てしまうのだ。しかも、その殺されたドイツ兵は、マルティーナたちに優しくしてくれた兵士だった。彼女にしてみれば、なぜ殺す必要があるのか分からない。

 ……というか、見ている私も分からなくなってくる。立場を替えれば、正しいことも変わるのだ。

 どんどん環境は悪くなって行き、遂に、ドイツ軍がパルチザン狩りにやって来る。ドイツ軍はパルチザンを捕虜になどせず、問答無用で殺す。殲滅しに来たということだ。

 ちょうどその時、マルティーナの母親は出産間際で、母親と、母親の出産を手伝うためにマルティーナの祖母は家に残る。祖母は言う。「女子どもに手出しはしないだろう」

 しかし、ドイツ兵は、女子どもも容赦なく殲滅しにかかって来たのだ。

 家から教会へと逃げたマルティーナや村の女子どもたちだが、教会から排除されて1か所に集められ、機関銃で惨殺される。マルティーナはすんでのところで逃げ出し、家へと走り戻る。産み落とされたばかりで運よく殺されなかった弟を抱きかかえ、逃げて彷徨うマルティーナ。

 ラストは、赤ん坊の弟を抱きかかえたまま、それまで口が利けなかったマルティーナが、母親が歌ってくれた歌を口ずさむというシーンで終わる。

 

◆消す命、助ける命

 気が付いたら、眉間に思いっ切り皺を寄せて見ていた。何か、息をするのも忘れていたみたいな気がする。それくらい、終盤の展開は阿鼻叫喚で悲惨そのもの。グロいシーンはほとんどないのに、実に凄惨なのである。あまりに凄惨で、涙も出てこない。

 中盤までの描写は、この凄惨なシーンのためには必要なものだったのだ。つまり、貧しいながらもつつましく仲良く暮らしていたマルティーナ一家の日常を丹念に描いていたのだ。ただ、大所帯である上に、村の人々とのつながりも強いため、登場人物が多いのにもかかわらず、人物相関図が脳内で全く描けないので、ちょっと混乱してしまうのだが。

 マルティーナと一緒に暮らしている従姉のお姉さんベニャミーナが魅力的。見覚えのある顔だと思っていたら、 『マイ・ブラザー』『眠れる美女』にも出ていたアルバ・ロルヴァケルだった。彼女は、伝統と信仰に縛られた古臭い村の慣習を嫌って自立しようとする女性として描かれている。結果的に、自立は叶わずに虐殺の被害者となるのだが、その最期にドラマがある。

 ベニャミーナは機関銃の一斉掃射で、たまたま大腿部を負傷しただけで命までは落とさなかった。まだ息のあるベニャミーナを見つけたドイツ兵の将校(?)は、「自分の妻に似ている」という理由で彼女だけを助けて、兵舎へ連れて行くと手厚く介抱する。しかし、その将校の身勝手な理屈で永らえることを良しとしない彼女は、ささやかながらも一矢報いるのだった。最期まで闘う女性として描かれている。

 本作は、マルザボットの虐殺という史実を基に作られたフィクションだが、第二次大戦に限らず、戦地では似たようなことが現在に至るまで延々繰り返されているに違いない。

 ちなみに、マルサボットの虐殺を実行した元ナチス親衛隊(SS)の将校たちは、2007年に終身刑を下されている。……というか、一旦、1951年に終身刑が言い渡されたが、1985年に恩赦を受けたらしい。2007年に終身刑を受けても実効力はなさそうだ。彼らのほとんどは法廷にも現れず、祖国で年金生活を送っているのだから。ただ、21世紀になってもまだ裁かれていることには驚いたけれど。

 

 

 

 

マルティーナと弟は無事に生き延びたのだろうか、、、。

 

 

 

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