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「家忠日記 四」を読む 11

(散り敷く桜の花びら/静岡城北公園)

午後、駿河古文書会に出席する。今日は総会で、決算報告などがある。会費を納める会員数、39名で、昨年40名だからほぼ横ばい。減る分が専ら病気や死去であるのが残念である。古文書解読は静かなブームで、各町の講座受講者が徐々に増えている割に、当会の増加が顕著でないのは、敷居が少し高いせいかもしれない。それだけ古文書の解読にまじめに取り組んでいるという証左ではあるのだが。

総会後の会長講演では、古文書から知る稲の品種についての話があった。江戸時代から、稲の品種はたくさんあって、農家ごとに同時に幾つもの品種を並行して作っていることが知れる。早稲、中稲、晩稲、糯米などで、それぞれ複数の品種を作るのは、天候頼みの稲作で、危険分散がなされているのであろう。学者と言われる人の目の付け所は面白い。

「家忠日記 四」の解読を続ける。

 天正十一年(1583)未十二月
 十二月大
一日 己酉 会下へ参り候。
二日 庚戌 
三日 辛亥 
四日 壬子 
五日 癸丑 

六日 甲寅 雪、雨降る。
七日 乙卯 
八日 丙辰 殿様(家康)、去る四日に駿より帰られ候由候。
      東条、妹祝言事申し来り候。
九日 丁巳 持ち寄りの連歌、三光院にて候。竹谷金左、碁打ち広田越し候。
      発句          長尊
      氷つゝ 縁(えにし)あらわす 水草(みくさ)かな
十日 戊午 夜雨降

十一日己未 雨降
十二日庚申 
十三日辛酉 
十四日壬戌 岡崎へ日帰りに、綿物買いに越し候。
※ 綿物(わたもの)- おそらく、妹の婚礼の準備であろう。
十五日癸亥 三光院永文に振る舞い越され候。会下へ参り候。

十六日甲子 
十七日乙丑 
十八日丙寅 会下へ参り候。
十九日丁卯 
廿日 戊辰 

廿一日己巳 会下へ参り候。
廿二日庚午 
廿三日辛未 
廿四日壬申 
廿五日癸酉 

廿六日甲戌 
廿七日乙亥 妹、浜松へ越し候。甲斐衆、跡部の大炊助所へ、御意にて越し候。
      人足合力、形原より十六人。下より廿人、馬五。竹谷より七人、馬五つなり。
      我ら屋敷家へ祝言候。
※ 跡部の大炊助 - 跡部大炊介昌勝(あとべおおいのすけまさかつ)。武田の家臣で、多くの重臣たちが勝頼の元を去る中で、最後まで随い、勝頼とともに死んだ跡部勝資(あとべかつすけ)の次男で、家康の家臣となる。
※ 合力(ごうりょく)- 力を貸して助けること。力添え。

廿八日丙子 
廿九日丁丑 浜松へ越年に夫丸(人夫)出し候。
晦日 戊寅 浜松へ越年に本坂を日通しに越し候。
      小笠原新六殿へ越し候。
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