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「家忠日記 四」を読む 30

(散歩道のオオデマリ)

夕方、雨空の下、ムサシの散歩に出掛ける。雨は何とか止んだようだ。大代川に出ると、ピーピー、チクチクとつばめが川の上を過ぎる。姿はとらえ難いが、数羽居そうだ。南から来たつばめも、子育てに入るのだろうか。

「家忠日記 四」の解読を続ける。

 天正十三年(1585)酉十月
 十月小
一日 戊辰 深溝へ帰り候。
二日 己巳 雨降り。
三日 庚午 殿様、浜松へ帰り候。
四日 辛未 夜、雨降り。
五日 壬申 夜、地震候。

六日 癸酉 
七日 甲戌 
八日 乙亥 
九日 丙子 雨降り。
十日 丁丑 

十一日戊寅 
十二日己卯 雨降り。
十三日庚辰 
十四日辛巳 夜、雨降り。
十五日壬午 会下へ参り候。人質の事、吉田より申し来り候。


突然に人質の話が出てくる。各国衆から人質を取るというのは、エリアが三河から遠州、そして駿河へと広がる中で、陣営の引き締めをしたいと考えた家康の指示なのだろう。

十六日癸未 吉田へ質物事に人を越し候。
十七日甲申 
十八日乙酉 
十九日丙戌 
廿日 丁亥 

廿一日戊子 
廿二日己丑 
廿三日庚寅 
廿四日辛卯 
廿五日壬辰 雨降り。

廿六日癸巳 竹谷備後殿へ茶湯会にて越し候。
廿七日甲午 浜松より早々越され候え候由、酒左より申し来り候て、
      午刻に出で候て、夜の丑刻に参着候。
廿八日乙未 城へ出仕候。上へ御質物御出し能く候わんか、
      また御出し候てよく候わんかとの、御談合にて候。
      各国衆同意に、質物御出し候事、然るべからざる候由、申上げ候。
      相州より御家老の衆、廿人の起請文越し候。
      この方よりも、各国衆、長人衆、起請文遣わされ候。
廿九日丙申 夜より辰刻まで雨降り。人質に娘致し、浜松へ越し‥‥候。


家忠さんも、自分の娘を浜松へ人質に出すことになったが、娘は確かまだ生まれたばかりのはずだが、その上にも娘がいるのだろう。武家の家族の宿命とはいえ、辛いことである。その後、女どもも浜松へ引っ越すことになる。一家で引っ越せば、家忠さんの単身赴任でことが済む。

 天正十三年(1585)酉十一月
 霜月大
一日 丁酉 城へ出仕候。
二日 戊戌 深溝日駈けに帰り候。
三日 己亥 
四日 庚子 雨降り。喜平所に、夜、連歌候。竹金左広田越され候。
五日 辛丑 

六日 壬寅 小六右衛門所に、夜、連歌候。
七日 癸卯 
八日 甲辰 雨降り。
九日 乙巳 
十日 丙午 妹、跡大炊助女房衆、浜松へ越し候。
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