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「家忠日記 一」を読む 10

(庭の白いビオラ)

駿河古文書会の自分の当番の解読をしていて、面白い事を発見した。

事の起こりは、江戸へ荷を運んだ、摂州今津の千石船が、江戸からの帰りに「返り酒」を運ぶと解読したが、下り酒は江戸では大人気で、摂州今津といえば、今の西宮市の港、つまり灘の銘酒の積出し湊であった。酒を積みだすことはあっても、江戸で出来た酒を持ち帰っても商品価値があるとは思えない。

読み違いだろうか、と何度見直しても、間違いない。そこで、ネットで「返り酒」を検索してみた。「返り酒」ではなかったが、「戻り酒」で面白い記事に当った。江戸時代、上方の酒を船に積み込んで、江戸まで行き、江戸に下さずに持ち帰る。行き帰りにお酒は熟成して、旨い酒になる。これを「戻り酒」と言って、上方で大変に珍重された。別名、「富士見酒」と呼ぶ。

つまり、途中の駿河で富士山を見て来たお酒としゃれたのである。船で送る以前には、「富士見酒」のために、馬の瀬に酒樽を乗せて、東海道を富士山の見える駿河まで往復していたというから、面白い。現代と物の価値観が全く違うことに気付く。約70年も人間やってきて、ここに至って耳新しいこと知る。まさに古文書解読の醍醐味であろう。

「家忠日記 一」の解読を続ける。

 天正六年寅六月
 六月大
一日  辛巳 城へ出仕候。夜より雨ふる。
       鵜殿八郎三郎所へ越し候。

同二日 壬午 雨降り、城小姓衆越され候。
       松太郎左衛門所へ振舞いに越し候。

※ 松太郎左衛門 - 松平太郎左衛門。三河国の豪族・松平氏の庶宗家。別名に松平太郎左衛門家。当時は松平由重、七代目当主。

同三日 癸未 雨降
同四日 甲申 雨降
同五日 乙酉 蔵を作らせ候

同六日 丙戌 成瀬殿は、信康鷹匠衆こされ候。

※ 成瀬殿 - 成瀬正一。成瀬正頼の次男。三方ヶ原の戦いで兄成瀬正義が戦死の後、家督を相続。

同七日 丁亥 和屋新は松平紀伊守きられ候て、我ら所まで越し候。

同八日 戊子 深溝会下に心ざしにて越し候。

※ 心ざし - 追善供養。

同九日 己丑 永良へ堤つか(築)せ候。
※ 永良へ‥‥ - 五月十三日の記事に「ながら堤、七、八間切れ候。」とあり。その補修。

同十日 庚寅 境、築せ候。
同十一日辛卯 同境、築せ候。
同十二日壬辰 中嶋、境、築せ候。
同十三日癸巳 同境、築せ候。
同十四日甲午 同境、築せ候。
同十五日乙未 同境、築せ候。

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