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「甲陽軍鑑」を読む 38

(掛川松ヶ岡の山崎家長屋門)

「長屋門の見て回り」最後、九ヶ所目は、掛川の松ヶ岡の山崎家であった。ここも今日は開いていなかったが、何度か訪れている所である。Nさんはまだ廻りきれていないと言い、近いうちに、二回目を実行する予定である。

今日、午後、掛川中央図書館に行く。「相良町史」を見たいと思ったが、島田の図書館は23日まで長期の休館だったので、掛川まで足を延ばした。調べたかったのは相良町の江戸時代の町名であったが、町史を読むと、相良の町のあるあたりは河原のような不毛の地で、元々人は住んでいなかったところを、城下町、あるいは湊町として江戸時代に町を作ったという。そして、新町、前浜町、市場町の三町が出来、その後、福岡町が加わったと判明した。

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「甲陽軍鑑巻第十一下」の解読を続ける。

(関東侍衆馬進上の事)
元亀二年霜月下旬に、関東下総、東金(とうがね)両酒井小金(こがね)、高木(高城)、終に、音信申上ざる衆三人ながら、能き馬を進上申し候。その外、関東侍衆、日来(ひごろ)御入魂(じっこん)申さるゝ人々、多賀谷、宇津の宮を初め、皆な馬を進上申すなり。
※ 東金(とうがね)➜ 東金城。千葉県東金市にあった城。一五二一年に戦国武将である酒井定隆と隆敏が土気城から田間城を経て東金へと移り、築いたとされる。
※ 両酒井(りょうさかい)➜ れい。土気(とき)城の酒井氏と東金城の酒井氏。
※ 小金(こがね)➜ 小金城。下総国葛飾郡(千葉県松戸市)にあった高城氏の居城。

(「関東侍衆馬進上の事」の項終り)

(氏政より御音信の事)
一 北條氏政より、白鳥十、江川酒樽一対、八丈嶋廿端(反)仁田山絹百疋、御音信(贈り物)なり。
※ 江川酒(えがわしゅ)➜ 伊豆国韮山周辺において、同地域の領主・江川氏のもとで製造された銘酒。
※ 八丈嶋(はちじょうじま)➜ 黄八丈(近年の呼称)。八丈島に伝わる草木染めの絹織物。島に自生する植物の煮汁で黄色、鳶色、黒に染められた糸を平織りまたは綾織りに織り、縞模様や格子模様を作ったもの。
※ 仁田山絹(にたやまぎぬ)➜ 群馬県仁田山地方(今の桐生市)産出の、仁田山織の太絹織物。

(「氏政より御音信の事」の項終り)

(信長より家康と御無事の儀申さる事)
一 極月中旬に、織田信長より織田掃部を以って、家康御無事の儀、その御状に、(わざ)啓上奉り候。
※ 無事(ぶじ)➜ 平穏であること。平和であること。また、そのさま。有事に対していう。
※ 態と(わざと)➜ 正式に。本格的に。


遠州、参州両国の守護により、徳河(徳川)家康事、貴国御近所に罷り在り、慮外(りょがい)仕り、相違の儀候わば、御返事次第、この方へ召し寄せ、差し置き、異見(意見)申すべく候。委細は、この使者、口上に言上致すべく候間、紙面早々、かくの如く候。恐惶謹言。
   極月朔日(ついたち)          織田上総守 信長
  法性院(信玄)殿 人々御中
※ 慮外(りょがい)➜ 礼儀を欠くこと。ぶしつけなこと。また、そのさま。無礼。

(「信長より家康と御無事の儀申さる事」の項終り)

読書:「木乃伊の気 口入屋用心棒35」 鈴木英治 著
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